前編<龍二>3

 接客業って過酷なんだ。龍二さんが現れてから、遠い目をして納得した。

「大学はどうだ?」

「今日はサークルでボランティアの準備をしてきました」

 話自体はありふれたものだけど、体勢が普通じゃない。

 肩に腕を回されて頭を抱かれている状態、これが基本姿勢だというから寒気が収まらない。

 どうしてお店のお姉さんにやってくれないのか。その腰に来る囁き一発で落ちるに違いない。それとも私の修行が足らないだけなんだろうか。

「はるかは保育士になりたいんだったな」

「そう、ですね……まだ夢ですけど」

 それはともかく、客であるはずの龍二さんの方がむしろ私から話を引き出してくる。

 身近な関係じゃないという利を生かして、込み入った話にもがんがん触れてきた。

「一週間前にもボランティアに行っていたな。熱心だ」

 私は苦笑してうなずく。

「子どもの成長にどう関わればいいのかとか、保護者の方との関係とか、勉強しておくことは山ほどありますから」

 好きという気持ちだけではできない仕事だとわかっている。それでも、子どもの成長を手助けする仕事がしたい。

「意外に感じる。はるかは、見た目では女性的じゃないからな」

「そうですよね」

 私が保育士になりたいというと、親しい友達でもイメージが違うと驚くことも多いけど、家族は背中を押してくれている。

「……綺麗すぎるからかな」

 髪を撫でられてぎくりとなる。でもこの人、胸とかそういう助平なところは絶対触らない。だからなんでもないところ、たとえば手とか頭とか触るだけでぞくぞくさせられるのが不思議なんだけれども。

「い、いえいえ。まさか」

「はるかはかわいい」

 うわぁ! 唇を親指でなぞられたぁ!

 慌てふためいて体を離すと、案外あっさり腕から解放してくれる。龍二さんはゆったりと話を続けた。

「こんなかわいい子はいない。鈴子もそう思わないか?」

「同感ですねぇ」

 私が泣きついたので一応鈴子ママだけは同席してくれる。でも微笑んで龍二さんに同調するだけで基本的に助けてくれない。

 ふと腹部が引っ込む感触があって、きゅるる、とお腹が鳴った。

「……す、すみません」

 私は赤面して頭を抱えた。

 運動部所属の私は、この時間になるとお腹がすいて仕方がない。家にいれば夜食を作ってくれる人がいるけど、隠れてバイトをしている身でお弁当を作ってもらうわけにもいかない。

 龍二さんはさほど驚かず、朗らかに言った。

「ちょうどいい。何か食べに行くか。おごるぞ」

「えっ!」

 おごり、それは天からの贈り物……だけども、ちょっと待ってほしい。

「いえ、私は従業員ですし」

「鈴子も行く。そうだな?」

 ママがおっとりと頷く。え、それじゃ行くこと、ほとんど決定なのでは?

「何が食べたい?」

「え、選んでいいんですか?」

「もちろんだ。はるかが好きなものでいい」

 私は頭に点滅した言葉をぱっと口にしていた。

「ごはん!」

 龍二さんの目が止まって、せめてライスにするべきだったと反省した。

「え、えと」

 でもごはんはごはんで。父親は日本人じゃないけど、私は小さい頃からおかずなんていらないくらいに米が大好きだった。

「はは!」

 弾けるように龍二さんは笑い声を立てた。それを見ていつも微笑を欠かさないママはびっくりした顔をして、私も、ああこんな大人の方でも声を上げて笑うんだと思った。

「わぁ!」

 私の頭を胸におしつけて、まだ楽しそうに肩を震わせながら龍二さんは言う。

「ああ、わかった、わかった。ごはんにしような、はるか」

 子どもをあやすように言って、龍二さんは私の頭を撫でた。

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