第二話 フェロモン星人の逆襲
前編<龍二>1
一月ほど前から、私はバスケの夜練と称してバイトをしている。
「準備終わりました。確認していただけますか?」
場所は銀座にある高級クラブ、「初音」。ここのママをしている友達のお母さんから、声をかけられたのが始まりだった。
「安樹ちゃんは本当によく働いてくれるわね」
鈴子ママは着物の似合う日本美人だ。とても大学生になる娘を持つ母とは思えないほど若く見える。
「ねえ、ママのお願い聞いてくれるかしら?」
つぶらな黒い瞳で見上げられて、私はいつもの断り文句を切り出した。
「すみませんが、私にお姉さん方の真似はできそうもないです。力仕事なら大歓迎ですけど」
「そうかしら。安樹ちゃんを呼んでほしいっていうお客様はたくさんいらっしゃるのに」
「女なのにボーイの格好してるのが面白いんですよ」
私の仕事はここのクラブのボーイ。黒服をきっちり着込んで髪を撫でつければ、背が高いこともあって男に見える。
ここでバイトをしているのは、鈴子ママがボーイでもいいからと熱烈に勧めてくれたことが一つ。
そして現在お金を早急に貯めたい私にとって、鈴子ママの言うバイト代がとても魅力的だったことがもう一つの理由だ。
ホステスのお姉さんたちがやって来る時間になって、お姉さんたちは私の頭をぽんぽんと撫でていく。お姉さんたちは、店の格式かママの人望のおかげかみんな優しい。
「会長さんに、十四日までには食事に誘ってもらえるくらいにならなきゃ」
「香水替えた?」
イベントが近いからか、お姉さん方の目の色が違う。皆さん綺麗だから一緒に過ごす相手はいくらでもいると思うけど、売れっ子はその程度じゃ満足できないようだ。
「安樹はどのお客さんが好きなの?」
「え、私ですか?」
私はシャンデリアの埃を払っていた手を止めて振り返る。
「私はボーイですよ。壁と同じです」
「そんなことないわよ。安樹が給仕しに来ると絶対振り向いて見てるもの」
それは物珍しいだけだろうと思う。
私はイベントが近いからと、一緒に過ごす相手を探すつもりもない。このバイトだって、今年のイベントでミハルにプレゼントを贈るためにお金を貯めているのだから。
開店時間になって、私は給仕や雑用にとりかかる。和洋折衷のお洒落な内装は、一室ごとが広く取られていて、店内とはいえ結構歩き回らないといけない。
精神面でもかなり気を遣う。扱う物がいちいちびっくりするほど高かったり、お客様が新聞に載るような偉い人だったりする。最初の内はお盆を持つ手が震えたくらいだ。
「安樹。あなたをご指名よ」
そして最大の理由は、このご指名だった。
「……今日は休みだと言ってくださいませんか。シフトが変わったとか」
「せっかくいらっしゃったお客様よ? 行きなさい」
私は頭を押さえて頷くと、奥の部屋に重い足を向ける。
給仕をしに行った際に声をかけてくださるお客様ならいる。だが信じられないことに、私を指名する奇特な方がいる。
「失礼します」
ノックをして扉を開けると、ソファーに掛けている男性の姿が最初に目に飛び込んできた。
長身で肩幅が広くて筋肉もしっかりついている無駄の無い体つきに、たいていの女の人は振り向くんじゃないかなという整ったお顔をお持ちだ。四十は回っていると思うが、いい具合に深みのある年の重ね方をしている。実は毎回微妙に違う高そうなスーツもよく似合う。
私も初めて見た時は息を呑んでまじまじと見てしまった。たぶんこの人の欠点は目つきが鋭すぎることくらいで、後はどこを取っても文句なくかっこいい大人の男だ。
……ただ、それはそれとして問題が一つある。
「はるか」
鋭い目がふっと和らいで私を捉える。
隣には日々取り合いがされている鈴子ママがいるというのに、私などを呼んで座らせようとする。
「こっちにいらっしゃい」
私が困ってママに視線を送ると、彼女も軽く手招きした。帰らせてもらいたかったのだけど、こうなると私に選択権はない。
意を決してお客様の横に座る。できるだけ間を置いて座ったが、ひょいと腰に手が回されて引き寄せられた。
この人本当に四十台か? 片手で私の云々キロを持ち上げるとは。
「膝に乗りなさい」
「すみません、私重いですから」
「重い? まさか」
感心している場合ではない。軽く腕の中に抱かれている状態だ。スーツと香水と何だかわからないけど男っぽい匂いがする。血が頭の方にぐんぐん上がる。
「……はるか?」
あわわ……耳元で囁かないでください。
この人に話し掛けられると背筋がぞくぞくする。これは、悪寒?
私は慌てふためいて問いかける。
「あの、今日はどうして」
「はるかに会いに来た」
なぜ私のシフトの日に必ずいらっしゃるのだ。それとも毎日いらしているだけなのか。だとしたらいつ仕事をしていらっしゃるんですか。
「仕事なら今日はもう終わったぞ」
今私の頭の中読みましたね? 考えた途端ジャストで答えが返ってきましたよ。
「あの、浅井さん」
「
至近距離で私を見下ろしながら、彼は目を細める。
「はるかにはそう呼んでもらいたい」
艶めいた声がとっても怖い。我慢していなければ震え出している。
この私にとってまるで理解できない艶ボイスの人がやって来たのは、大体十日前にさかのぼる。
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