前編<ミハル>3
数日前、ミハルと私は一緒にクラシック演奏サークルに入った。音楽を生業にする父の影響で、二人とも小さい頃から楽器が好きだ。
「
サークルの新歓に二人揃って参加したら、すぐさまミハルを女の子たちが取り囲んだ。
「うん。ハーフなんだ」
「すごく綺麗ね。目も碧」
ミハルがモテるのは昔からなので、私は隣で黙って話を聞いている。
「春日安樹さんとは双子なんだって? 見えない」
声にやっかみが混じるのはすぐだった。何せ私はいつもミハルと一緒で、今日も当たり前のように隣にいるから。
私はミハルのように麗しい容姿をしていない。私の髪は淡い茶色で、瞳も同色だ。日本人にはとても見えない銀髪碧眼のミハルに比べるととても地味で、中途半端な色合いをしている。
――あすちゃんの色は陽だまりの色。とっても優しくてきれい。
ミハルは私の容姿を褒めてくれるけど、並ぶと私の方が見劣りすることは自覚している。
「ほら、美晴も飲め」
今度は女子たちを独占しているのをやっかんだ先輩男子たちがミハルにジョッキを押し付ける。ミハルは困ったように目を伏せた。
「あの、僕飲めなくて……」
「えっ、かわいい!」
「ちょっと男子、ミハル君困ってるでしょ」
すぐに女の子たちが止めてくれたので、私は内心ほっとする。
ミハルはお酒が弱いので、飲まされる時には私が代わりに飲むことに決めていた。
ほどほどに近くの先輩と話しながら、私はいつものように背中にミハルを感じていた。
――みはるはあすがまもらないといけないんだ。
そう心に決めた幼い頃の事件を思い出した。
まだ五歳くらいの頃、私とミハルが一緒に家の前で遊んでいたら、黒塗りの車に引っ張り込まれた。
中にはおもちゃがいっぱいあって、優しそうなお兄さんが遊ぶように言った。だけど事態の異常さは幼心にわかっていて、私はミハルを抱きしめて動かなかった。
――みはるがあんまりかわいいから、ゆーかいされちゃうんだ。
私はそう思って、どうやってミハルを守ろうか考えを巡らせていた。
車が止まって扉が開いた瞬間、ミハルの手を握って逃げ出した。
――あすがまもってあげるからね。
その事件の顛末を、今となってはよく思い出せない。ただあの時の決意は胸に残り続けている。
「美晴君、きいて……」
だけど私が側にい続けることはミハルにとって良くないんじゃないかと、思うこともある。たとえば今みたいに、女の子たちが彼の興味を引こうと必死でいると、申し訳ないような思いがする。
ふいにテーブルの下で、ミハルが私の手をそっと掴む。
私がミハルを見ると、彼は私に目配せしてから女の子たちに言った。
「ごめん。大勢の人と話すのは苦手で。ちょっと抜けていいかな」
ミハルは私の手を引く。私は頷いて立ち上がった。
廊下に出てから、私は心配になって言う。
「気分が悪いのか?」
ミハルはこくんと頷く。
「たくさん話しかけられると混乱して。お酒の匂いにも酔ってきちゃって」
「早く言わなきゃ駄目じゃないか。帰るか?」
「顔でも洗ってくる。すぐ戻るから」
ミハルは私と違って繊細に出来ている。もっと気をつかってやらなきゃいけなかったと思って私が顔をしかめると、ミハルは私の頬に触れて私の額にぺとりと自分の額を合わせた。
「あすちゃんも疲れた?」
「……そうでもないよ」
「やっぱり僕が戻ってきたら帰ろ。いいよね?」
ミハルが帰りたいならと、私は頷く。正直、人前に出るのはミハルより私の方が苦手だった。
ミハルをトイレの前まで送って、私は戻ってくる。
すだれから顔を出して店員を呼ぶ声が聞こえて、そこでも大学生らしい団体が飲んでいるのが見えた。
「あ」
隙間からちらりと竜之介の姿が見えて、私はおもいきり顔をしかめていた。
どうしてか竜之介とは昔からいろんな場所で出くわしてしまう。今日もサークルの集まりなら顔を合わせずに済むと安心していたのに、やっぱり会ってしまった。
「そっちも飲み会?」
「うん。こっち来る?」
先輩同士が知り合いらしく、廊下で少し話をするなりすだれを上げて入ってくる。
私は内心、うっと声を上げた。バスケ部の連中がこっちの空いたテーブルに流れ込んできた。
「……安樹」
その中にはやはり竜之介もいるわけで、私の姿をみとめるなり、竜之介はすぐ近くに腰を下ろした。
「夜遅くまで何をやってる。酒なんて飲んで」
「そっちも飲んでるだろ」
「その言葉遣いもどうにかしろ。男みたいだ」
私は酒が入っているのもあって苛々しながら言い返す。
「私はこの話し方が好きなんだ。竜之介に言われる筋合いはない」
「なに、そこ? 仲いいね?」
先輩に興味本位で言われて、私は頭に血がかっと上るのを感じた。
「こいつとだけは絶対にありません」
どうして男と女であるというだけで結び付けたがるのか。昔から腹が立って仕方ない。
「リュウちゃん。今日はよく会うね」
振り向くと、テーブルの向こう側にミハルが戻ってきていた。
「美晴もいたのか。お前、いい加減べったりくっつくのはやめろ」
ミハルはにこにこしながら答えなかった。
「おい。ミハルをいじめるな」
私が竜之介の袖を掴んで剣呑な調子で言うと、彼は私の方を見ないままに言う。
「女が入ってくるな」
カチンと来た。昔から、竜之介はこのフレーズを使って私を門前払いするのだ。
「何だと?」
私が胸倉を掴むと、竜之介はしれっと言う。
「俺に文句をつけたいなら、何か一つでも勝ってから言うんだな」
「大学は同じだ」
「勝ってから、だ」
「ああわかったよ、勝負だ」
――勝負だ、りゅうのすけ!
またいつものパターンだと思いながら、私はジョッキを持つ。
「飲み比べだ。先につぶれた方が負け」
「女をつぶす趣味はない」
「はっ。女にも負ける程度しか飲めないんだな」
挑発してやれば竜之介は必ず最後には乗ってくる。予想通り、私が煽ると竜之介は眉を寄せた。
「いいだろう。ただしお前が負けたら実家に連れて帰る」
「わかった」
どうして竜之介はそこまで実家にこだわるのかわからないが、私は胸を張って頷いた。
「あすちゃん。無理しちゃ駄目だよ」
心配そうに笑ったミハルに、私は軽く手を振って笑った。
「やっちまえ、竜之介」
「がんばって、春日さんも」
周囲の声援を受けて、私は竜之介とにらみ合った。
コップに一杯ずつ飲みあってまもなく、私は竜之介がこの勝負に勝つ気でいることを知った。
私は酒は強い自信があった。けれど私がきつくなってきても、竜之介は顔も赤くならずに平然としていた。
「ちょっとトイレ」
私は水分の取りすぎで胃が重くて、少しトイレに立った。
歩いている内に酔いが回ってきたらしく、足がふらついた。席につく頃には、だいぶ眠気に負けそうになっていた。
「安樹。もうやめろ。体格が違うんだ」
竜之介も酒に強いことは知っていた。ただ後に引けなかっただけだ。
「お前にだけは……負けない」
私は呟いて、もう一杯飲み干す。
でも眠気が頭を押しつぶすようで、私はそのままテーブルに突っ伏した。
「……安樹」
私の頭をそっと誰かが撫でてくれた。それで、意識が途切れた。
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