第144話 厄介かもしれない

(1)


 一方、同じ頃。

 ラシャは先日殺害された一般女性が住んでいたアパート前にいた。


 三階建てのこのアパートは、薄いサーモンピンクと白を基調としたタイル貼りの外観といい、室内の覗き見防止のためか背の高いベランダの柵といい、玄関扉が二重鍵のチェーンつきといい、女性専用と謳われるのも頷ける、が。犯罪被害者が出てしまい、防犯面での評判は地に堕ちるだろう。悪いのはすべて加害者だと言うのに。


 被害者は殺害された女性だけじゃない。

 加害者のせいで管理者は責任を問われるし、同じアパートの住人も当面は恐怖に苛まれてしまう。

 立ち入り禁止の黄色テープを貼り付けた、板チョコの形に似た白い玄関扉、同じく白い外廊下のあちこちに残る血痕にラシャは唇を歪め、奥歯を強く噛みしめる。


「一週間前に葬儀を済ませたんです」

「…………」

「警察は信用できません。彼女を殺した犯人をこの目で見たのに、なかなか僕への疑いを晴らしませんでした」


 ラシャから少し離れ、血痕から目を逸らし外廊下に立ち尽くすのは、被害女性が殺害直前まで共にいたという彼女の恋人。第一目撃者でもあり第一発見者でもある彼は、男嫌いのラシャですら同情したくなる程憔悴していた。


「カナリッジの警察ってホント無能だからね。ところで、おにーさん」


 今にも溢れ出しそうな怒りと悲しみを堪える男性に、犯人の似顔絵と懸賞金記載の指名手配書を差し出す。


「これ、表には出しにくい案件ってことで、無能警察がアタシら用に作ったんだけど。おにーさんが事件発生直後に目撃したのはたしかにこいつな訳?」


 手配書の似顔絵を見た途端、男性の顔色は一気に色を失くし……、たかと思えば、見る見るうちには真っ赤を通り越し、赤黒く染まっていく。


「間違いありません!こいつが、こいつが……、彼女の……、うっ……」

「とりあえず落ちつこっか」

「あの朝……、帰る途中で……、どうにも胸騒ぎがして、途中で引き返したんです……」

「うん」

「もっと、早く戻って、いたら……」

「うん」


 かける言葉が見つからず、ラシャは男性が落ち着くのを黙って待つことにした。

 過去の強いトラウマから男嫌い、カシャとノーマン以外の男性にはきつい態度ばかり取ってしまう。だから、こういう場合の対応に激しく悩む。女性なら、いくらでも優しくできるのだけれど。


「アパートの前に戻った時……、奴は、ちょうどこの塀から飛び出そうとしていました」


 嗚咽を漏らしながら、男性は廊下を囲む塀を振り返る。


「そいつさ、羽根使って飛んでた?」


 男性は頭を振る。


「いえ……、羽根は生えていませんでした。塀から飛び上がって、凄い速さで別の建物に飛び移って逃げていきました」

「飛行能力はなし。跳躍力は高い……、か」


 自分の仲間にも吸血鬼が四人いるが、個々が持つ能力と特性にはそれぞれ違いがある。今回の標的の能力と特性はどの程度出現しているのか。ラシャが持ち得る知識では今少し量りかねる。


 その辺はちょっと要相談、かな。





(2)


 事件現場の下調べを終え、昼過ぎに住処へ戻ったラシャは、城内の一室へ向かう。

 この白亜の巨城は先々代の城主(ちなみに先代城主は亡きノーマン、現城主はスタンになる)の頃から増築と改築を重ねに重ね、現在も完成には至っていない。一〇年近くこの城で暮らすラシャでさえ、未だに足を踏み入れてない区域が数えきれないほどある。住人たちが暮らす区域は意外に限られ、彼らが城内で過ごす場所の目星は大体つく。


 たしか、今日は非番の予定で、も比較的忙しくなかった、筈。

 午後一三時半近い今だと、あの部屋にいるかもしれない。


 ラシャの予想は的中。

 城内の南棟二階。南側の一面に並ぶ、天井近くまで届くアーチ窓からは、眼下に拡がる大きな湖が一望できる。泳ぐ魚の姿までくっきり見える程水の透明度が高く、冬には白鳥が訪れる湖は窓から眺めても美しさが堪能できる。

 部屋の内装も華やかな天井画や大型のシャンデリア、花柄の壁紙、白や淡いクリーム色の猫脚 のテーブルセットや長椅子など、女子心をくすぐるため、ラシャも実はお気に入りの一室だったりする。


「ってことでね、今回の標的のさぁ、吸血鬼としての能力はどの程度なのか、とか、ミアちゃんならわかるかなーって思って。あ、大体の見当でいいよ!」

「う、うん……」


 その部屋で、ちょうど遅めの昼食を共にしていたミアとイェルクの間に割り込み、ミアにラシャは意見を求めてみる。

 ミアがしばし考える間、さりげなく着席したテーブルに並んだミアお手製のツナサンドウィッチにかぶりつく。


「おいしーい!腕上げたじゃん!」

「ほ、本当?!ちょっとだけマスタード入れるといいかもって、ラシャさんの助言試してみたの」

「ね、アタシの言った通りでしょー!もう一コ食べていい?!仕事の後でお腹ぺっこぺこでさぁ」


 どうぞどうぞ、と、ニコニコ勧めるミアの隣で、ラシャの遠慮のなさにイェルクは閉口していた。呆れを滲ませた視線に気づくと、ラシャは早速イェルクに噛みつく。


「何?!」

「いや別に」

「言っとくけど、アタシ、仕事の話をしに来ただけだし?でも、ちょっとくらい雑談したっていいでしょ」

「まだ俺は何も言ってないんだが?!」

「まだって何、まだって!!絶対その内文句言う気でいたでしょ?!」

「ああああ……、ラシャさん落ち着いて……?」


 あわあわ、ラシャを宥めながら、「それで、ラシャさんの質問についてなんだけど……」と、ミアは真面目な顔で続ける。


「手配書見た限り、吸血鬼城では見かけたことないから純血の一族ではない、と思う。混血か、吸血された元人間かな。でも事件発生し始めたのはここ一、二ヶ月。吸血回数が事件の数だけの場合なら、建物間を飛び移れるような跳躍力までは身に付かないし、元人間の線は薄いかも。って考えると、長年自分の正体に気づいていなかった混血の吸血鬼の可能性が高い気がする」

「うん」

「それでね……」


 この場には三人しかいないにも拘らず、、ミアは周囲を見回すと、何かを憚るようにこそこそ、言いにくそうにラシャに告げた。


「たまたま何かの弾みで自覚した途端、急激に能力開花したり、吸血鬼の本性に飲まれたりとかしやすいのは……、統計的にも経験則的にも混血の吸血鬼が比較的多いんだよね……。元人間は吸血への抵抗感が強かったり、純血はプライドの高さから闇雲に吸血しない傾向があって」

「混血は違うんだ?」

「混血の吸血鬼の場合、特に自覚なしに生きてきた人は身体が未発達なまま大人になることが多くて。中には外見面で劣等感抱えて屈折してしまう人もいて」

「自分の本性自覚した途端、屈折した思いを吸血という形で発散させてしまうってこと?」

「うん、そんなところ、かな。もちろん皆が皆、そうじゃないけど……」

「うん、それはわかってる」

「でね、混血の吸血鬼の、その……、厄介な点はね、本性に飲まれやすい分、短期間で能力向上してしまうの。吸血回数も当てにならない。現に、飛行力はなくても跳躍力高いみたいだし、ひょっとしたら五感も発達してたり、機動力も優れているかも」

「んー……、なんかさ、ミアの見解聞けば聞くほど」


 顔色の悪い不機嫌仏頂面した某伯爵スタンが脳裏に浮かぶ。


「ってことはさぁ!ひょっとしたら、スタン並みに強い吸血鬼相手取らなきゃいけないってこと?!げ----!!やだぁ!!模擬戦闘訓練ですら、アタシ、未だにあいつにボッコボコにやられるのにぃ!」

「さすがにスタンさんよりは弱いと思うよ?!」

「やだやだやだああああ!!」


 駄々を捏ねるラシャと、落ち着かせようとするミアを横目に、今この場にスタンがいなくて本当に良かった、と、コーヒーを啜りながらイェルクはしみじみ思っていると。


 騒がしい室内にノックの音が飛び込んだ。

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