第142話 予定は狂わされるもの
(1)
早朝訓練後に食べる朝食のおいしさは格別だ。
コーリャン人街の朝市屋台、大盛り
塩風味のスープは故国の味と比べ、あっさり薄味で多少物足りないが、海老や貝類など海鮮たっぷりの具材や少し固めの麺も悪くはない。あっという間に麺は胃袋に収まったが、ラシャの食欲はこの程度じゃ満たされない。別の器に盛った白飯をスープにぶち込み、粥のようにして食べる。
こう見えてもラシャは、故国では上流に近い家庭育ちである。当然ながら、健康的にも品性的にもこのような食べ方は許されていない。
しかし、故国で亡き兄カシャと共に通っていた拳法道場の帰り道、ときどき、大衆食堂に入って二人でヌーデルズッペのスープに白飯入れて食べていた。両親には内緒の『悪い子メシ』とか言いながら。
スープの一滴、米の一粒足りとも残さず平らげ、軽く伸びをする。その間に、店員が器を下げに来ると同時に炒飯と白飯を運んできた。
卵を絡ませ炒め、黄味を帯びた米に海鮮具材、ベーコン、ネギ、ピーマン、ナスなどみじん切りした野菜の具沢山炒飯をおかずに、白飯をかき込む。この食べ方も『悪い子メシ』のひとつ。他にもあるが今は割愛する。
「んー!うまーい!しあわせ~!!」
木の実やドライフルーツなどを盛り込み、程よく固く重たいカナリッジの
「……あ?」
至福の表情から一転、ラシャの目つきが一気に据わった。
チッ、と舌打ちし、耳朶を、ピアス型受発信機を軽く弄る。
「何?アタシ、今日非番なんだけど?」
『新しい案件が入った。任務に入るのは明日からでいいが、その前に概要説明したい。至急住処へ戻れ』
食事のお代払ったら、カシャの墓参りに行こうと思ってたのに!!
「あのさぁ、アタシ、これから……」
『お兄ちゃんの墓参りに行くつもりだから、先に行ってきてからでもいい?』
スタンに断りを入れようとして、考え直す。
カシャが逆の立場だったら、きっと仕事の話を優先させる。
『これからとは何だ?何か用事でも……』
「あー、やっぱいい。気にしないで。今コーリャン人街にいるけど、一時間以内に住処に戻るから」
『了解。戻り次第、執務室に来てくれ』
「りょーかーい」
通信が切れるなり、ラシャは軽く息を吐き、腰を軽く叩く。
屋台の古い長椅子は座り心地が悪く、背もたれがないので腰が疲れる。現実に引き戻された分、余計に疲れが割り増す。
兄の墓参りはまた後日。
あーあ、と残念がりながら、ラシャは席を立った。
(2)
スタンに伝えた通り、一時間以内で住処である白亜の古城へ戻ると、ラシャはまっすぐに執務室へ急ぐ。今は亡き
「なに、その顔。遅いって?しょーがないじゃん。あんたが連絡してきた時、アタシ、コーリャン人街で朝ごはん食べてたんだし」
部屋の正面奥、大窓を背に、執務机で待ち構えていたスタンへ、ラシャは小言を言われる先に申し開きをしてみせる。
「まだ何も言ってないんだが?」
「だっていかにも不機嫌ですぅ~って顔してるから?」
「ほっとけ。元からこういう顔だ」
スタンは眉間の皺をより深くさせ、カップに口をつける。
几帳面に置かれた書類の束から察するに、中身はおそらく紅茶ではなくコーヒーだろう。目の下のクマが一段と濃く、顔色の青白さも拍車がかかっている。これは徹夜明けか、もしくは朝早く起きて書類仕事していたのかもしれない。
「そんなことより、アードラは?」
「アタシが知る訳ないでしょーが。呼び出したんじゃないの?」
「何度も呼び出したが、応答しないどころか、応答せずに切りやがる。今朝の早朝訓練もサボってるし、少なくとも昨夜から住処にはいない。」
「アタシの知ったことじゃないんだけど?」
「あのなぁ。お前は一応あいつの相棒なんだ。行き先くらい把握しておけ」
「えー、めんどっくさ……。どっかの女の家にでも泊ってんじゃないの~?」
急いで駆けつけたのがバカバカしい。
スタンがガミガミ文句言ってくるのを聞き流しながら、こんなことなら自分も応答せずに無視を決め込み、カシャの墓参りしてこれば良かった、と後悔していると。
背後でノックの音、次いで、大きく扉が開かれた。
「用件って何?説明は手短に済ませてよね」
「「その前に言うことがあるだろーがぁぁあああ!!!!」」
入室するなり、平然と悪びれもせずに説明を急かすアードラに、スタンと同時に怒号を飛ばす。怒号と共に、スタンの
「言うこと?何かあるっけ?」
「……呼び出し無視するわ、平気で遅れてくるわ、お前は何様だ。少しは悪いと思わないのか」
「いちいち応答しなくたって緊急呼び出しだってことくらい分かるし、多少は遅れたけどちゃんと呼び出しに応じてるよね?」
何か問題でも?と、さわやかに微笑む端正な顔に大きく書かれている。
「……もういい。お前に謝罪求める方が間違いだった。話を進めよう」
「うん、ぜひそうして」
「あんたが言うな!!」
「ラシャ。気持ちはとてつもなく分かるが、押さえてくれ」
スタンは両のこめかみを指先で揉み解し、椅子に深く座り直した。
「近頃、歓楽街で娼婦が殺害される事件が頻発しているだろう?」
「客を装って一晩過ごした後の明け方未明に女の子殺す……っていう」
「というか、吸血して失血死させるんだっけ」
スタンを慮り、あえて言わなかったのに!
思わずアードラをキッと睨み上げたが、こちらをちらりとさえ見ない。腹立つ!
ムカムカ、もやもやするラシャをよそに、スタンはわずかにも表情を変えることもなく、続ける。
「そう。やはりまだクソな同族がいるってことだ。で、今朝方も一人やられたそうだ。しかも今度は一般女性だという」
「警察何やってんの?
「同感。あー、それか、吸血鬼相手取るのが未だに怖いとか?」
「だから賞金を懸けた上で、
苦々しげに吐き捨てると、スタンは犯人の似顔絵と賞金額を載せた指名手配書をラシャとアードラへ手渡した。
「今回の標的の捕縛、基本的にはお前たち二人に任せる」
「基本的にはぁ?何その微妙な言い回し?」
ラシャが即座に指摘すると、スタンは顔中を嫌悪で歪めながら、理由を詳しく話しだす。話が進むに従い、ラシャは「……賞金額減ってでもいいから、そいつ
「……ダメに決まってるだろう」
「そいつと同じ空気吸ってるかと思うと
「ラシャに一票。そんなキモい奴、サクッと殺っちゃうべきじゃない?」
「お前ら何でそう血の気が多いんだ?!」
「「スタンにだけは言われたくないんだけど」」
「とにかく!いいか!気持ちは十二分に分かる!!分かるが!!殺すなよ?!絶対生きて捕縛しろよ?!わかったか?!」
アードラと揃って、「え~……」とやる気なさげに答えれば、遂に「いい加減にしろよ!!」とスタンの本気の雷が落とされ、一時間以上に及ぶ大説教を浴びる羽目になったのだった。
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