第139話 キスしないと出られない部屋に閉じ込められました

【イェルクとミアの場合】


 ※時系列は番外編直前。



 任務を終えたミアがいつものごとく医務室を訪れ、イェルクもいつものごとく彼女を迎え入れる。

 ミアは精鋭の中でも一番怪我が絶えない。その分、イェルクも彼女を一番心配しているが、今日は軽い打ち身と額を少し擦り剝いたのみ。内心ホッとしながら、傷の手当てを行った。


「よし、これで終わり!」


 手当の最後に額の傷に化膿止めを塗布し、大きめの絆創膏を貼り付ける。


「ありがとうございます」


 ミアがぺこり、控えめに頭を下げれば、額の真ん中で分けた長い前髪が流れるように落ちてくる。


 うん、額の傷は前髪で隠せそうだ。

 戦闘員とはいえ若い娘の顔に傷が残るのは忍びない。


 傷と言えば、ロザーナの頬の三本傷も消してやりたいけれど……、と、物思いに耽るイェルクをよそに、「あ、私、戻りますね」とミアは立ち上がり、扉へ向かっていた。


「打ち身は湿布を貼って一晩様子を見るように」

「了解っ!……あれ??開かない」


 ミアは握ったままのドアノブをまじまじと見つめると、何度もがちゃがちゃ左右に回したり、引っ張ったりしてみる。が、扉はびくともしない。


「んー、なんで??私、入った時に壊しちゃったとか??」

「いや、それはありえないんじゃないか」


 困り果てるミアを見兼ね、イェルクも扉へ近づいていく。

 貸してごらん、とドアノブから手を放すよう促し、壊れない程度に力を込めてドアノブを回し、引っ張ってみる。が、イェルクの力を持ってしても扉は一mmとて開く気配なし。


 しきりに首を捻り、何度もドアノブを回し続ける。そのうち、本来ある筈のない、文字が記された表札のようなものが扉上部に表示されていた。



『この部屋から出るにはキスをしてください』




「ええぇぇ……、どういうことなの……。わあっ?!」


 八の字眉がこれ以上ない程下がりまくり、困り顔ここに極まったミアの隣で思わず機械の右手で扉を殴りつける。結構な力で殴ったため、扉はミシミシと軋んだ音を立て──、ただけで、音の割にへこみもなければ傷一つ付いてもいない。


 一発だけでは足りなかっただろうか。

 暴力的なやり方での解決は好まないが、今回はそうも言っていられない。


「ミア。少々、いや、だいぶ乱暴な行動に出るが見逃して欲しい」

「え、え?!ひゃあっ!」


 宣言した端から扉を先程の数倍力を込めて何度も殴りつける。殴るだけでは飽き足らず、機械の脚でも強烈な蹴りを入れてみる。

 扉が駄目なら壁はどうかと同じように殴る蹴るを試しても、穴が開くどころか罅すら入らない。


 だんだん息が上がってきたし、腕も脚も痺れてきた。

 額に滲む汗を生身の左腕で拭っていると、袖をつ、と引かれる。


「イェルクさんっ!」

「……だいじょうぶ!少し休んだらまた」


 袖を引いたまま、ミアはぶるぶると頭を振った。


「あのっ!私のことなら気にしないでくださいっっ」

「いや、そういう訳には」


 ちらり、例の表札を見上げれば、未だ忌々しい文字列が並んだままだ。


「だって、く、くくくく、口に、とは書いてないですよね?!」

「たしかに……!いや、でも」

「手とか、お、おでこ、なら……、平気、ですっっ!!」


 両の拳を胸の前で握りしめ、真っ赤な顔のどこが平気そうに見えると言うのか……。

 羽織の中でしびれる腕を組み、神妙に考え込む。相変わらずミアは「私なら平気!」「べ、別にイヤじゃないので!!」と気を遣って叫んでいる。


「……分かった。手を出してもらえるか」


 ミアの身長に合わせるべく、床に片膝をつく。

 おずおずと差し出された小さな掌をそっと手に取り、すばやく唇を落とす。


 しかし、忌々しい表札は消えない。

 ドアノブを回してみても開く気配もない。


「あ、れ……??」

「手じゃダメなのか……」

「ってことは、おでこ……??」

「やめておこうか??」


 困り顔通り越し、泣きそうな顔をしながらも、ミアはぶるんぶるんと頭を振る。


「が、がんばります……!」

「無理しなくても」

「してませんっっ!さあ、どうぞっ!!」


 依然真っ赤な顔で腰に手を当て、どんとこい!と仁王立ちするミアに、イェルクの方が腰が引けつつ、中腰で額に唇を落とす。

 更に赤くなった顔を両手で覆うミアから扉を視線を巡らせる。

 忌々しい表札はまだ消えていない。つまり、扉もまだ開いていない。


「えええぇぇぇ……、なんでなの……?!」


 悲鳴を上げ、崩れ落ちるミアと共に絶望感がいや増す。

 そして、二人を嘲笑うように表札の文字が切り替わる。


『唇へのキスしか認めませんのであしからず』

「貴様は何様のつもりなんだ?!?!」


 イェルクは元来短気ではない。

 そんな彼ですら堪忍袋の緒が切れ、堪らず護身用の拳銃で扉や壁へ発砲。なのに、穴一つ開かない。


 自分はともかくとして、だ。

 ミアに嫌な思いをさせるのだけはどうしても避けたい。

 せめて最初は一回り以上離れた自分と義務的にではなく、年相応の相手と好き合った上で、でなければ。


 硝煙が消えるのを待つ間もなく、苛立ち紛れに銃を投げ捨てる。

 次の手を考えねば、と思考を巡らせかけて、再び羽織の袖をミアに引かれる。


「あの」

「駄目だ」

「イェルクさん!」

「絶対他の方法を見つける」

「いいからこっち向いてくださいっっ!!」


 引きちぎられそうな力で袖を引っ張られ、反射で振り返ってしまった。

 振り返りざま、飛びつく気配と共に柔らかいものが唇に掠った。

 余りに瞬間的過ぎて気のせいかと疑うほどの短さだったが、背後で扉が勝手に開く音で確かなことだったと思い知らされる。


「ミア、君は何を……!ミア??」


 羽織の袖を掴んだまま、ミアは深く頭を垂れて微動だにしない。何度呼びかけても反応もなし。

 それだけショックが大きかったのだろう、と心を痛めつつ、ふと違和感が生じた。

 おそるおそる頬に触れ、ゆっくり顔を上げさせてみると──


「気絶?!」


 なんと、ミアは羞恥の極みによって意識が飛んでしまっていた。

 そ、そんなことってあるか?!と驚く反面、意識が飛んだついでに忘れてくれているといい、とイェルクは強く願う。これは彼女にとっては不慮の事故みたいなものだから。





 ######




【スタンとロザーナの場合】


 ※時系列は四章と五章の間辺り。付き合いたての二人。




 アードラの情報によると、今回の標的は目の前にそびえ立つ、高階層の古い病院跡に潜伏中らしい。

 数時間程外から様子を窺っていたものの、標的らしき人物は一向に姿を現さず。ここは強行突破でいくか、と銃を構え、最大限の警戒心を払いながらスタンとロザーナは中へ突入……、までは良かった。



「この部屋にもいないのか!」


 扉を蹴破るなり、もう何度目とも知れない舌打ちを鳴らす。

 蹴破った扉の中にあるのは(元は白かったであろう)黄ばんだ灰色の天井、壁、床。白いベッドが一つと、ベッドを囲うパーテーション。そこにスタンとロザーナ以外の人影も気配も感じない。

 今まで違う点があるとすれば、大部屋か個室かの違いだけで、それこそもう何度目にしたか知れない光景だ。


「ロザーナ、行くぞ」


 開け放したままの扉から出ようと──、する前に、風も、人の気配もないのに扉が勝手に閉まる。特段気にもせず、ドアノブを握ったスタンの眉間に深い皺が刻まれた。


「どうしたの??」

「開かない」

「え、あたしたち閉じ込められちゃったのぉ??」

「……のようだが、閉じ込める相手を間違えたな」


 スタンはドアノブから手を離すと、扉めがけて凄まじい威力の蹴りを繰り出した。

 しかし、扉は壊れるどころか傷一つ入っていない。代わりにスタンの額に極太の青筋が浮かび上がる。


「……いい度胸だ。今度は手榴弾お見舞いしてやろうか」

「ねぇ、待って!あそこに何か書いてあるっ」


 ロザーナが指を差した先、扉上部に真白に光る表札があり──、そう、唯あるだけだったら問題はなかった。


『この部屋から出たければキスしてください』


「はああぁぁあああ?!?!死ね!!!!」


 叫びついでに、ドゴン!と部屋中が揺れる程の蹴りを扉にお見舞いするもびくともしない。頭から噴煙が上がりそうだ。


「ロザーナ、奥まで下がれ。やはり手榴弾を……」


 ロザーナを下がらせようと振り返った次の瞬間、ロザーナがスタンを囲い込むようにどん!と扉に手をついた。


「おま……、な、ななな、何を……」

「いーから大人しくしてぇ??ね??」

「ちょ、まっ……」

「ダーメ」


 押し返すにも押し返せず、しどろもどろに混乱する間にロザーナの唇が押し当てられる。


「ほら、あたしたちなら楽勝でしょお??」

「…………」


 怒りに駆られていた時より更に紅潮し、石化したスタンに代わって、ロザーナが扉を開け……、開く筈なのに開かない。


「うーん、なんでかなぁ??あらぁ??」


 再び扉上部の表札がきらーんと白光り、文字列が変化していく。


『君らあっさり終わり過ぎてつまらんわー。もっと濃いやつシなきゃ出られないようにしといたからよろしく!』


「本気で殺されたいらしいなっ!!!!」


 あんまりにもふざけた命令に羞恥より怒りが勝った。

 今度こそ手榴弾投げつけてやる。ウエストポーチに手を伸ばしたスタンの腕をロザーナがぎゅっと掴み取った、だけかと思いきや、スタンは床に押し倒されていた。

 混乱しつつも半身を起こしかけ、しかし、馬乗りで迫るロザーナに混乱はいよいよ深まっていく。


「……ちょ、待て待て待て待て待て!!落ち着け!!!!」

「あたしは至って落ち着いてるわよぉ??」

「つ、つまらない手に乗るのは……」

「だってぇ、あたしたちならこれも楽勝だしぃ。悩んで可能性の少ない他の手試すより早いかなぁって」

「だからって……」


 それ以上は言葉が続かなかった。

 もっとより深く長く。ふたりだけの世界に落とされていく──、ような錯覚を覚える程の甘さを持ってくちづけられ。つい背中に腕を回しかけ、我に返った。


「も、もういいんじゃないか」

「あ、うん。確かめてくるねぇ」


 あ、危なかった……。

 かろうじて理性を総動員できて助かった……。

 扉に近づいていくロザーナの後ろ姿に若干気まずさを覚えていると、「あらぁ??」という声。


 二度あることは三度ある。

 とてつもなく嫌な予感に緊張と警戒が一気に高まっていく。


「んー??『だからさー、あっさりクリアしすぎなんだってば。もういっそのこと〇〇〇〇(カクヨム自主規制)しないと……』」

「よし殺すっっっっ!!!!!!!!!」










 #####


【おまけのアードラとスタン】


 ※スタン×ロザーナと同じシチュエーションでの野郎同士ver.です。




 標的が潜伏中だと情報が入り、アードラとスタンでこの古い病院跡に突入してはみたものの。

 あらゆる階のあらゆる部屋のどこにも猫の仔一匹見つからない。

 ほら、今し方突入した部屋も例に漏れず。汚れた灰色の壁、天井、床、埃をかぶったパーテーション付きのベッド数脚が並んでいた。


「誤報じゃないだろうな」

「失礼な。僕の諜報力見縊らないでくれる??」

「だったら何で見つからない」

「僕に言われてもね。さっさと次の部屋行くしかないんじゃない??」


 あからさまに苛立つスタンを尻目に、開け放した扉まで戻ろうとした、その時。人の気配など微塵も感じないのに扉が勝手に閉まった。

 勝手に閉まる程軽かったっけ、この扉、と首を捻り、ドアノブを回しかけ、異変に気づく。


「なんか閉じ込められたっぽい」

「はあ??」


 ドアノブをがちゃがちゃ左右に回していると、仏頂面でスタンも扉に近づいてくる。

 二人が扉の前に並んだのを見計らったように、扉上部で表札らしきなにかが白光っていた。


『キスをしないとこの部屋から出られません』



「うわ、引く。悪趣味。何が楽しくて男同士の無理矢理なキスなんて見たいんだか」

「……同感だ……」


 顔を見なくても気配だけで、スタンが死ぬほどげんなりしているのがひしひしと伝わってくる。おそらくアードラからスタンにも同じ気持ちが伝わっている筈。


「……おい、少し姿勢を屈めろ」

「あー、そうきた訳」

「いいから黙って屈め」


 はいはい、とスタンに向き直り、彼の身長に合わせて膝を曲げる。


「早くしろ」

「はいはい。そんな急かさないでよね」

「さっさと終わらせろよ」


 心底嫌そうに目を瞑ったスタンに顔を近づけ、さっと掠める程度にキスをする。

 女子相手ならおいしい場面シチュエーションなのに。不可抗力とはいえ、彼女持ちの根暗ドSな年上男にキスしなきゃいけないなんて。

 終わらせるなり、スタンはアードラを押しのけて扉に再び近づき、ドアノブを回した。


「案外呆気なかったね」


 アードラを無視し、すたすたと速足で廊下へ出て行くスタンの背中に、分かりやすいなぁ、と忍び笑いが漏れてくる。アードラのくぐもった笑い声にスタンは足を止め、険しい顔でパッと振り返ってきた。


「何が可笑しい」

「いやよく考えたらさぁ、スタンにキスしたってことはさぁ、間接的にロザーナともしたってことにな」

「ただちにその妄想はやめろさもなくば標的見つけるより先にお前を始末する」


 息継ぎなしでの淀みない長台詞が面白すぎて、アードラの笑みは益々深くなった。


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