第137話 ブラックコーヒーを克服する方法⑥

(1)


 双頭の黒犬シュバルツハウンド精鋭たちは基本的にB級以下の賞金首を狩らない。B級以下を狩る場合は烏合の人手が足らない時か、捕縛に手こずっている時──、と言うのは名目でしかなく。

 実際はB級以下の賞金首を狩りに出向くこともしばしばあるため、結果的に多忙がちに。精鋭たちが多忙がちとなれば、自動的にイェルクも忙しくなる。


 玉砕覚悟でイェルクに自分の気持ちをぶつけてみる。

 固く決意したものの、ロザーナたちに相談した日以降、ミアもイェルクも互いに多忙でまともに顔を合わせる機会が巡ってこない。やっと機会が訪れても、いつもの研究で顔を合わせるので私事を話すわけにはいかない。


 別に急ぐことではないけれど、時間が経つにつれて決意が鈍ってしまいそうで焦りを覚えてしまう。

 だからといって仕事に支障をきたすのだけは回避したい。仕事に私情は何としても持ち込まないように気をつけていた、つもりだった。








 ロザーナたちに相談した日からしばらく過ぎたある日。


 ミアは通常通りロザーナと共に仕事へ向かい、賞金首を無事捕縛した……のだが。

 捕縛直前に標的の足に食らいつき、その際に地面に引きずり回されたせいで全身擦り傷だらけ。

 住処へ帰還後、当然医務室へ直行する羽目になった。


「あいたたたっ!!し、しみる……」

「また派手に擦り剝いたものだな!」


 消毒液がたっぷり沁み込んだ脱脂綿を傷に宛がわれる度、椅子から飛び上がりそう。

 ひとつひとつの傷自体は大したことないが、全身に及ぶと相応に身体は痛む。痛みに加え、消毒の臭いに鼻の奥がツンときて、目尻にうっすら涙が滲む。


「今回の処置だけでは心配だ。今塗布したのと同じ化膿止めの軟膏も渡しておくから、朝と晩に必ず塗っておくように!」


 イェルクは薬品棚の抽斗から、掌サイズの胴色の丸缶を取り出すとミアに手渡す。


「念のため、今日このあとの自主訓練は控えるんだぞ!」

「あ、やっぱりダメですか??」

「ミア自身はどう思う??」


 今回負った怪我を思い出してみる。

 額に頬、顎、ホルターネックから剥き出しの両肩と両腕。特に両膝から脛にかけては皮膚がべろっと削げ、肉まで見えてしまっていたような。


「そうですね……、ちょっとやめておきます」

「うん、その方がいいと思うぞ」


 穏やかに笑うイェルクに少し、どきりとしてしまう。

 一方でこの間の女性にもこんな顔を見せるのかな、と思うと少し悲しくなり、蓋に象られた蛇の絵をそっと指先でなぞる。


 このあと自主訓練しないなら、ミアには時間ができる。

 イェルクもいつもより顔色が良く、のんびりした様子から推測するに、今日はさほど忙しくはない、かも??


 と、すると。

 ミアの気持ちを打ち明けるには絶好の機会では。



「あの、イェルクさん」

「うん??どうした」

「あの……、忙しくなかったらでいいんだけど……。あとで休憩がてら、一緒にコーヒーでも飲みませんか」


 よし!言った!!

 心中でガッツポーズを決め、イェルクの返答を待つ。


「俺で良いのか??ロザーナは……、ああ、夕方からスタンが某大手軍事工場の社長と会食があるか」

「はい、ロザーナはこのあとスタンさんの運転手と警護に入るから……」

「では、俺で良ければ付き合おう」


 心中だけでは留まらず、本当にガッツポーズ決めそうになるのを耐える。


 よっし!

 最初の試練は突破した!!


「えっと、じゃあ!着替えたらもう一度医務室に来ますねっっ」


 そんな改まったように言わなくても、と、微苦笑するイェルクは知る由もない。

 ミアが一大決心を胸に秘めていることなんて。






(2)


 汗を流し、仕事着のホルターネックと袴キュロットから普段着の赤黒タータンチェックの着物、袴スカートへ急いで着替える。それから、城内のある場所へ向かい、再び医務室へ向かう。

 ノックと同時に扉を開けると、医学書らしき本を立って読んでいたイェルクの肩が大きく跳ねた。


「早いな?!」

「そ、そうかな?!」

「急がなくても良かったのに。しかも、わざわざコーヒーまで淹れてきてくれるとは……、ん??」


 ミアが運んできたトレイの上、二客のカップから漂う香りに、イェルクの単眼がわずかに眇められる。


「これはですね。スタンさんがくれたんです。バニラの香りづけしたコーヒーで、お砂糖とミルクを入れなくても飲みやすいからオススメだって」

「スタンが??珍しいこともあるもんだ!」

「コーヒーの味そのものは甘くないみたいだし平気かなって。あ、もしあんまり好きじゃなかったらまた淹れ直しますけど」

「いや、せっかく淹れてくれたんだ。いただこう!」


 イェルクはミアの手からトレイを運び出し、壁際の細長い書斎机へ置くと。その机専用の椅子以外にもう一脚別の椅子を持ち出し、机の前に並べてミアに座るよう促した。


 平静を装っていても心臓が飛び出しそうなくらいバクバク鳴っている。

 少しでも緊張を抑えようとコーヒーを口に含む。甘いバニラの香り、苦さ控えめでまろやか味わいが緊張を解きほぐしてくれる。


「あのですね、実は……イェルクさんに訊きたいことがあって」

「うん??何だ??」

「この間の……、単独の任務の後にですね。賞金換金しに行く銀行の近く……、というか、銀行の裏通りで偶然イェルクさんを見かけたんですけど……」


『何をしていたんですか??』とまでは訊くことができなかった。

 イェルクがしまった、とばかりに腕を組み、天井を仰いだからだ。


「……そうか、見られていたのか」

「ご、ごめんなさい。私生活について詮索するつもりはないんですっっ。ただ……」


 ただ、何??

 この質問自体がすでに詮索でしかない。

 イェルクは眉間を左手、生身の指先で揉み解し、ちら、とミアを見下ろす。


「ごめんなさい。言いたくないなら……」

「いや、君に誤解されたままの方が困る」

「え、それって」

「誤解が原因で今後治療拒否されても、な??」



 ああ、そういうこと……。

 一瞬期待した(何の)自分が恥ずかしい。


「えー……と、男の人にもがあるみたいだし、に行くことについては偏見ないし理解もしてます……」


 んっんん!!と噎せつつ、イェルクは盛大に咳払いすると「いや、だから、違う。違うんだ!」「たしかに以前はたまに……、いや、今のは聞かなかったことにしてくれ!」と何やら言い訳を始めるので逆に冷静になってきた。


「今回は私的な用件とかではなくて……、あの通り周辺で、調査中の標的の噂が流れてきたから客の振りして立ち寄っただけだ!」

「客の振り」

「そう、本当に振りだけ。部屋を一晩取ったのも店の女性たちに話を聴くためであって……」

「でも、色っぽくてきれいな女性とやけに親しげでしたよね??」


 あ、今、すごくみっともない上に関係ないこと訊いてしまった。

 すぐに後悔したが後の祭り。自分が情けなくて、恥ずかしくてイェルクから顔を背ける。


「あ――――…………、彼女のことか……。親しいと言うか……、ではあった」


 別に答えなくてもいいのに、生来の真面目さ律義さゆえの正直な答えが納得と共に、再び重い鉛が胸に詰め込まれていく。


「まあ、もう何年も店に足を向けていないから馴染でも何でもないし、もう行く気すら起きないが」

「……へ??」

「いや──……、娼館に行く時間があるなら睡眠時間に充てたい……。枯れていると言われようと寝たい……」


 ふーっと肩を落とし、わざと疲れた顔を見せるイェルクの単眼の下にはうっすら隈が浮かび上がっている。


 そっか。そっか、そうだよね……。

 実は住処の中でイェルクは誰よりも働いているもんね……。


「これで誤解は解けたか??」

「は、はいっ。あの、変なこと訊いてごめんなさい」

「いや、全然かまわない。誤解が解けて何よりだ」


 静かにコーヒーを啜るイェルクに、気まずさと申し訳なさでいっぱいだが、(過去はどうあれ)イェルクと例の女性との間に現在何もないと知れて、心の底からミアはホッとしていた。


 しかし、本題はこれからであり、安心しきるにはまだまだ早かった。

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