第136話 ブラックコーヒーを克服する方法⑤
天井近くまで高さのある格子窓を雨が叩きつける。雨は一向に止む気配がない。
雨以外にも夕方の時間帯も相まって、地下の台所はいつにも増して暗い。白熱電球を点けても薄暗さは否めず。古い石壁も冷たく湿り気を帯びているような。
台所の中央、一〇人前後なら着席できるテーブルに
当初は、ミアが着替えたら三人でロザーナのオススメの店へ食事に行く予定だった。
しかし、雨は止むどころか益々激しくなっていき、三人共に下山する気がすっかり失せてしまった。
『残念だけどぉ、お店に行くのはまた今度にして……、地下の酒場で飲もっかぁ??みんなで
というわけで、台所に寄り集まり無心でカルトッフェル剥きに勤しんでいるのだが……、ナイフではなくT字の皮むき器を半強制的に持たされたミアに対し、スタンは普通にナイフでカルトッフェルを剥いている。
そんなに自分は不器用だと思われている??と正直心外だし、ここでも子ども扱い……、胸中複雑だ。でも、実際皮むき器を使ってみると、凸凹に刃が滑り、ちみっと掠った程度しか剥けない。もしくは逆に身まで余分に削ってしまったり。
スタンはというと慣れた手つきで凹凸に添って刃先を動かし、剥き残しもなく身も余分に削り取ることもなく。器用に芽が出始めた部分のみを切り取っている。
どうすればこんな風に上手に皮を剥けるのか。コツを掴もうと一瞬手を止め、スタンの手元を盗み見る。
その時、何の拍子もなく機械の左手からカルトッフェルがつるり、転がり落ちていく。
舌打ちし、腰を上げるスタンから逃げるようにカルトッフェルは床を転がり、調理場の近くで動きを止める。めんどくさそうに中腰になったスタンが拾うより先に、フライパンでカルトッフェルを揚げていたロザーナが拾い上げた。
「はいっ」
「ありがとう」
笑顔でカルトッフェルをスタンに手渡すと、ロザーナは再びフライパンの前に戻った。
ちょうど良い塩梅で揚がった頃合いだったらしく、揚げたてのポメスがバットへ次々と乗っていく。
香ばしい匂いを漂わせ、こんがりときつね色した揚げたてポメスはミアの空腹を大いに誘う。腹部にぎゅっと力を入れ、おなかが鳴らないよう気をつけなきゃ。
他の精鋭たちと違い、ミアは食が細い方だけれど、今日はいつもよりたくさん食べられそう。ロザーナのことだから、余分目に作ってくれるだろう──
「って、作り過ぎじゃ……」
ミアの予想通り、たしかにロザーナはポメスを余分目に作ってくれた。なんならヴルスト数本も添えて。
しかし、同じく地下にある酒場に移動し、三人で囲む一席にいざポメスが運ばれてくるとミアは面食らい、皿を二度見、三度見してしまった。
ポメスは皿に乗っていなかった。
おそらく間に合う皿がなかったから。
じゃあ、何に入っていたか??
シチュー用の銀の大鍋に盛り盛りいっぱい、溢れ出しそうな量で運ばれてきたのだ。
つい先程まで空腹に耐えていた筈なのに、一目見ただけでお腹いっぱいになった。
「文句があるなら食うな」
「もうっ、だからそういう意地悪言わないのぉ!そうなのぉ、ミアの言う通りちょっと作り過ぎちゃったぁ。ごめんねごめんねぇ。余ったら余ったでルーイとエリカ、あとイェルクさんの夜食にでもすればいいかなぁって」
イェルクの名がまたミアの心に影を落とし込む。
忘れかけていた胸の痛みが何度目かに蘇る、気分が一気に塞いでいく。
「はいっ」
「ん゛──!」
軽く肩を叩かれ、顔を上げるとロザーナにポメスを一本口に突っ込まれた。
反射でもぐもぐ咀嚼していると、二人はちゃっかり自分たちだけビアーの大ジョッキを用意し、ポメスをつまみ始めている。
「理由は知らんが一人でいじけていたいならそうしてろ。俺たちは勝手に飲むし食べるぞ」
「お腹空いていると余計にイライラするし悲しくなってくるでしょお??とりあえず食べよ??」
「う、うん。そうだね……」
揚げたてのポメスに楓のシロップをたっぷりつける。
とろりとした甘味と塩気が絶妙で、一本、二本と摘まんでいく内に自然と気持ちが緩んでいく。
そうして、(濁すところは濁しつつ)ミアは涙の理由を少しずつ明かしていった。
自分でもよく理解できていない事柄を人に説明するのは難しい。
同様に、話すことで己の気持ちを確かめていくような危うい話ぶりは、聴く方も忍耐を要する。
それでも二人はミアの話を聴いてくれた。
最も、穏やかな笑みを湛え、相槌を打つロザーナに対し、スタンは仏頂面を浮かべ、嫌気が差してきているのが一目瞭然ではあった。一応は口も挟まず、黙って耳を傾け続けてくれたのは僥倖と言えるるけれど。
「そっかぁ、ミアはイェルクさんのことが好きなのねぇ」
「うーん、自分じゃよくわからなくて……。好きとか恋とか愛とかそういうの、今まで考えたり経験したいって憧れる余裕が全然なかったし。今回だって長の伴侶の話の流れから始まったことだし……」
「周りに伴侶云々煽られたから一時的に気になっているだけかもしれない、と」
ぐい、とビアーを景気よく煽るとスタンは椅子に深く背を預け、ネクタイを緩める。
そしてまた喉を鳴らしてジョッキを煽り、ラフに流した前髪をぐしゃっと掻く。素面で聴くなんてやってられない、というのがありありと伝わってくる。
彼とロザーナの
「んー、あたしの勘だけどぉ」
いかにもおいしそうに大きくジョッキを煽り、一息で空にすると、ロザーナはポメスを二、三本同時に摘まみながら、言った。
「
「どういうこと??」
ロザーナはまたポメスを二、三本摘まむ。
決してもったいぶっている訳ではないと分かっているが、ミアは向かい合うロザーナへ、テーブル越しににじり寄る。ロザーナは意に介す風でもなく、呑気にまた数本ポメスをつまむ。
「ミアは元々、無自覚にイェルクさんが気になってたんじゃないかなって」
指先についた塩気と油を紙ナプキンで拭うとロザーナは姿勢を改める。
「だってあたしもそうだったもん。三年前だっけ??ほら、執務室でスタンさんに」
「あぁ、あれ……」
「あのときは本当に
「そうだったんだ。でも、それって消去法、だよね……??」
「うん、まあねぇー」
狭い人間関係内での、というのは心中に留めておく。今の問いだけでも意地悪な気がするから。(目も当てられない程真っ赤な顔で突っ伏したスタンはこの際放置しておくことにする……)
「だからね、もう一回同じことしたらわかるかなぁって思って押したお……」
「わかった!わかったから!!ロザーナの言いたいことは伝わったから!?」
「そーお??あ、ちゃんと同意は」
「うん!ありがとう!!了解したよっ!!」
シュバッ!と掌を突きつけ、ロザーナの話を強制終了させる。
羞恥の極みでスタンが死んでしまうし、仲間の生々しい話は刺激が強くてミアも耐えられそうにない。あとは本当に腑に落ちた部分もあるにはある。
元々無自覚に気になっていた、と言われたことで、思い当たる節がいくつか脳裏に蘇ってくる。
何かに根詰めている時、必ずそれとなく声掛けしてくれたりとか。
慢性疲労と万年寝不足抱えているのに微塵も感じさせなかったりとか。
癖の強い精鋭たち(特にアードラとかアードラとかアードラとか)を上手にあしらう余裕とか。
嫉妬までは全然いかないけど、機械整備助手のルーイと医療班のエリカがたまに羨ましく思えることも、正直たまにある。
なによりも彼はミアの良き理解者であろうとしてくれる。
当然ながら、ロザーナを筆頭に他の仲間も理解者でいてくれている。
イェルクが彼らと少し違うのは──、他の者以上に賞金稼ぎとしてでも吸血鬼の長としてでもなく、たまに普通の女の子に対するような言葉を掛け、心配してくれるように思う。それが思いの外、ミアは嬉しいのかもしれない。
「うん。もうだいじょうぶだよ」
「
「うん。ロザーナが確信突いてくれたおかげで、この後どうするべきかも見えてきた」
吹っ切ったような微笑は、ロザーナを安心させるためというより、自分の気持ちを引き締めるため。
きっといつまでも自分の中で残しておくものじゃない。
だったら。
「短期決戦だよね」
「うんうん、頑張ってねぇ。押し倒してみるのが一番早いわよぉ」
「その方法はナシかな?!」
えぇー、そーお、と残念そうなロザーナに、まったくもう、とポメス摘まみつつ苦笑い。
身体中に詰め込まれた鉛玉は消失し、ミアの心は嘘のように軽くなっていた。
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