第133話 ブラックコーヒーを克服する方法②

 山の稜線が夕焼け雲に溶け込み、落陽に染まりゆく白亜の城の中。

 窓から茜射す医務室、ではなくその隣の部屋。刑務所から戻ったミアは眉間に皺寄せ、立ったまま分厚い本に目を通していた。


 北側に換気用の小さな開き戸があるだけ。明るい時間帯ですら日が射さない部屋は夕方の今、照明をつけないとかなり暗くなる。が、暗がりに強いミアはあまり気にならない。気にせずそのまま読み続けていたら、急に部屋全体が明るくなった。

 暗がりに慣れてしまっていた目には刺激が強い。思わず目を瞬かせ、くしゃりと顔中顰めていると、「照明つければいいのに。暗いじゃないか」とイェルクの声が降ってきた。


「あ」


 熱心に本を読んでいたので、イェルクがミアの頭上の白熱球の照明を点けたことに気づきもしなかった。それ以前に彼が部屋に入ってきたことすらも。


「遅くなってすまない!随分待っただろう??」

「だいじょうぶですっ。資料読む時間に充てられたし」


 待ち人がやっと来た。

 本を閉じ、壁際を囲む本棚へ戻しかけ──、部屋の面積の大半を占める広い作業台の惨状に目を留める。

 天板の半分はネジやビス類、レンチやスパナ、ドライバーなどの工具類。もう半分は顕微鏡や試験管、フラスコなどの実験道具類が散乱している。


 しまった。

 本を読み始める前に机の上をちょっとでも整頓しておけば。せめて実験道具類側の面だけでもそうすれば良かった。相変わらず気が回らない。

 反省した端から、イェルクが実験道具類を整頓し出すのでいたたまれなさに拍車がかかる。手伝うべきか、でも、本も元の場所に戻さなきゃだし……。


 戦闘時なら瞬時で、その場に置ける最上の動きを取れるのに。

 一族間の話し合いでも最上の言葉を選び取れるのに。

 意外と何でもない時の方が間違った判断してしまう。

 ほんの少しだけ自分に落胆しながら、ミアは本を元あった場所へと戻すことにした。たぶん、今この状況ならこれが最上の選択。


「コーヒーを淹れてくる。少し片づけたからそこで座ってなさい」


 ミアの気を知ってか知らずか、イェルクは机の整頓された箇所を軽く叩き、丸椅子に座るよう促した。促されるまま、ミアは遠慮がちに椅子に腰かける。


「角砂糖は二つ、ミルクは多めでよかったか??」

「えっと、ミルクも砂糖もなしでお願いします」


 濃紺の単眼にはっきりと困惑が浮かぶ。


「変に遠慮しなくてもいいんだぞ??」

「ううん、遠慮してるわけじゃないのっ!ちょっと、イェルクさんと同じブラックコーヒーに挑戦……してみようかなーって思って」

「そうか、そういうことなら……、でも無理して一緒のにしなくてもいいからな??」


 そう言い残し、イェルクが一旦退室した後、再び一人になるやミアは机に突っ伏した。


 とりあえず普通に顔見て、普通に話すことができた。

 特に違和感持たれるような言動も態度も取っていない、筈。


「もぉおおおお、お爺様たちのせいだよぉおおおおぅぅぅぅ……」


 ヴェルナーや一族の遠縁女性が結婚云々余計な話なんかするから、変に意識してしまうじゃない。どうしてくれるの。

 ヴェルナーが『組織の中で結婚相手候補はいないのか』なんてことを訊いてこなければ。

 質問に対し、『絶対に有り得ない!』と男性陣全員の名前を挙げたつもりだった。

 刑務所からの帰路を辿る途中、たった一人だけ名を挙げなかった人物がいたとふと思い出さなければ。


 最初は単純に挙げ忘れただけ、と思った。

 そこで考えるのを止めておけばよかったものの、一度考え始めると止まらなくなる悪い癖が出た。


 好きか嫌いかで言ったら断然好きに決まっている。

 組織の男性陣の中で一番人格者なのは間違いないし、一番尊敬できる人だ。

 ミアにとっては頼れる年の離れた兄に近い存在でもある。


 だいたい十五も年下のミアなんて最初から相手にされる訳な──、いや、相手にされるってなに??なんで真面目に可能性の話を考えちゃってるの……??


 一度意識してしまったが最後、何度打ち消そうとしてもぐるぐると思考が巡る巡る。

 しばらく顔を合わせなければ、そのうち賞金稼ぎの仕事や長の役割こなすうちに忘れていったかもしれない。

 なのに、刑務所から住処へ戻り次第、当のイェルクといつもの研究ミアの血の解明行う予定が入っていたとくる。


「ううぅぅ……、お爺様のばかぁ……」

「誰が馬鹿だって??」

「ぴゃあぁぁ?!」


 キュウリと遭遇した猫みたいにミアは椅子から飛び上がった。

 ビビッ!と立ち上がった猫のしっぽのように、一つにくくった長い黒髪が勢いよく揺れ動く。ついでに着物の袖も。

 ミアの余りの驚きように、さすがのイェルクも「何かよくわからんが、すまん」と謝りつつ軽く引いていた。


「ご、ごごごめんなさい。気にしないで……」

「疲れてるんじゃないのか??今日はいつもより早めに切り上げよう。ひとまずコーヒーでも飲んで落ち着こうか!」

「はい……」


 差し出された白磁のカップから漂う馥郁ふくいくたる香りに、一日の疲れが吹き飛んでいく。香りだけなら、砂糖とミルク入りコーヒーよりブラックコーヒーの方が落ち着いていて好ましい。

 ヴェルナーたちに発破かけられたから、という訳じゃないが、自分はもう十八歳。

 成人して三年経つのだし、砂糖とミルクたっぷりの甘いコーヒーはもう卒業した方がいい、気がする。少しでも大人らしくなった方が──、と、隣の椅子に座り、コーヒーを啜るイェルクに視線を向け、すぐにパッと逸らす。


 だから!なんで!!


 気持ちごと逸らすため、コーヒーをぐい、と口に含む。

 途端に強い苦みが口中に広がった。吐き出しそうになり、慌てて飲み込む。


「げほっ!げほげほ!!」

「だいじょうぶか?!今日は本当にどうした??ちょっと変じゃないか??」


 涙目で噎せつつ、何度も小刻みに頷く。

 ミアの背中を擦りながら、イェルクはいよいよ困惑極まっていた。

 当のミア自身も困惑を通り越して混乱しきっていた。

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