番外編

第132話 ブラックコーヒーを克服する方法①


※時系列は本編から二年後、最終話辺りのお話。

※三、四話予定。




(1)


 吸血鬼城での定例集会を終え、大広間から少しずつ皆が去っていく。

 中央の長机の食器を片付け、乱れた椅子を直すメイドたちの動きを、最奥のマントルピースを背に壇上で見下ろし。自分も退室しようかと思った矢先だった。


「ミア様」


 壇上から下りると待ち構えていたかのごとく一人の老婦人に呼び止められた。たしか、遠縁の……、と記憶を巡らせ、ミアが名を呼びかけるより先に老婦人の方が話の口火を切った。


「ミア様。わたくし、ミア様についてとても気がかりに感じていることがありますの」

「はい」


 昔のミアならこれから何を言われるのか、あからさまに顔色を窺っていただろう。

 だが、今のミアは自分より少し背の高い、貫禄漂わす老婦人に臆することなく冷静に向き合っている。あまりにミアが正面からじっと見据えているからか、老婦人の方が却って気後れしているような。それでも老婦人は二拍ほど間を置いたのち、口を開いた。


「将来の伴侶について真剣にお考えですか」

「はい??」


 間抜けな声かつ疑問形の返事に老婦人の眉がほんの一瞬顰められる。

 否、むしろ顰めたいのはこちらなのだけど。

 カチャカチャと食器やカトラリーを重ねる音、椅子を運び出す音などが響いていても、ミアたちの周りだけが別の空間かのようにやけに静かに思える。


「ご存じかと思いますが、我が一族の当主は代々二十歳で正式な伴侶を持つのがしきたりです」

「……はい。知っています」

「ミア様はもう十八になられました。そろそろ……」

「あ、えっと!そうね!そろそろ考えなきゃいけないかもね!」

「ミア様……」


 老婦人の皺に埋もれた、ミアと同じ柘榴色の瞳に怒りと呆れが滲みだす。

 怖いなんてもう全然思わない。ただただめんどうくさいだけ。


「お話の途中申し訳ないんだけど、私、もう行かなきゃ!」

「ミア様」

「これからお爺様との面会があるの」

「…………」


 前当主ヴェルナーの名を持ち出せば、老婦人はパッと口を噤み、引き下がる。

 引き下がりつつ、『まだ全然言い足りないのに』という不満がありありと伝わってくる。しかし、それ以上はしつこく食い下がることもなく、「わかりました。お気をつけていってらっしゃいませ」とミアを解放してくれた。



 二十歳になったら伴侶を──、つまり結婚をしなければならない。

 長を継いだ以上は避けて通れない問題だとは自覚している。

 一方で、ミアは吸血一族の長だけでなく、賞金稼ぎ組織・双頭の黒犬シュバルツハウンド精鋭という立場もある。正直なところ、その二つの立場の両立に奔走する身としては結婚云々など到底考えられない。せめて最低でも五、六年先に持ち越せればいいのに──



「あ、そっか」


 ちょっとズルいけど、長の権限を行使してみてもいいかもしれない。

 結婚年齢二十歳の縛りなんて失くしてしまえばいいじゃない。


 よし、次の定例集会の議題にしよう。

 この二年の間、『昔からそうしてきた』と言って意味なく従ってきた古い掟を、ミアは少しずつなくし、変えてきた。多かれ少なかれ紛糾するかもしれないけれど、やってみる価値はある、と思う。






(2)


 壁も床も天井も、すべてつるりとした無地の室内にあるのは透明硝子。硝子越しに向かい合うカウンター、そして、ミアが座るパイプ椅子のみ。何もない面会室、未だ見慣れない囚人服姿のヴェルナーがなにげなくミアに問いかける。


「伴侶の当てはあるのか」


 またこの質問か。今日に限ってなぜ。


「えっと、まだ、かな……。正直、一族の長と賞金稼ぎの仕事で忙しくてそれどころじゃないし」


 ヴェルナーの眉がはっきりとひそめられる。

 露骨な反応にめげずに、「それにね……、長の結婚年齢の縛りを失くそうかなって、思ってるの」と打ち明けると、ヴェルナーの表情は益々渋くなっていく。


「今回に限っては口を出させてもらう。私は反対だ。多忙を言い訳に使うつもりなら尚更」

「言い訳って……」


 頬を打つような厳しい叱責に反論が咄嗟に出てこない。

 ミアが言い淀む間にもヴェルナーの叱責は続く。


「成人認定され、法律上結婚も認められるが、十五歳では精神・肉体共にまだ幼い。ある程度成熟しつつあり、伴侶を得て己の地盤を築くのに丁度いい年頃が二十歳だからだ」

「それは……、それくらいはわかっています」

「もう一点、私が反対する理由……、お前はこの二年の間に従来の掟を大幅に変え、人間との新しい関わり方を生み出した。反面、新たな変革についていくだけで精一杯の者もいるだろう」

「お爺様、何が仰りたいんですか」

「大きな変革を立て続けに起こしている時に、変える必要のない掟まで変えるべきではない。皆をいたずらに混乱させるだけだ」


 今度こそ、ミアの反論の余地はどこを探してみても見当たらなかった。

 つくづく自分は甘い。情けないったら。


 しょんぼりと背中が丸まらないよう、腹筋に力を込める。

 自分、そして硝子越しの祖父の背後には刑務官が控えている。せめて姿勢だけは真っ直ぐ保たなければ。吸血一族の長らしい、最低限の態度を見せねば。


「私の考えが足りませんでした。申し訳ありません」


 真摯に、でも卑屈になりすぎないよう、淡々と反省の言葉を述べれば、ヴェルナーの表情が幾分和らいだ。


「分かってくれたのならいい」

「はい」

「たしかに長の結婚自体は絶対義務だ。……が、伴侶に関しては一族内の純血の吸血鬼でなくとも、混血の吸血鬼でもいっそ人間相手でも可、としても問題ないだろう……、お前の場合はきっと」


 予想だにしなかったヴェルナーの発言にミアは驚きを隠せなかった。

 もろにわかりやすく顔に出たらしく、ヴェルナーは微苦笑した。


「意外か??なに、お前は歴代の長の中では異端も異端。そんなお前が純血同士の血族婚ではなく、純血以外の伴侶を選んだとして最早誰も不思議に思わないだろう。多少は反発されるやもしれぬが、まあ……、いい加減皆慣れてきているのでは??」


 肩こそ竦めなかったが、ヴェルナーの声にも表情にも『やれやれ』といった感情が滲み出いてる。それでも、ミアを安心させるには充分な温かさが含まれていた。


 しかし、ホッとしたのも束の間。

 次にヴェルナーが放った言葉に、ミアは椅子から転げ落ちそうになった。


「そう言えば、双頭の者達の中でこれと言う者はいないのか」

「ふへぇええ?!」


 ミアの変な叫びにヴェルナーの表情が一気に渋くなった。背後で笑いを押し殺す声もかすかに聴こえる。

 あわわ、また叱られる、と身構えたが、ヴェルナーの口から出てきたのは叱責ではなく大きなため息。


「そ、そそそ、そんなの、考えたことっ!ない!!ぜんっぜんない!!だ、だだ、だって、双頭のみんなは仲間っていうか、家族っていうか……」


 唯一の血縁者の前で家族と口走ったのはまずかったか。

 ヴェルナーの顔色を確かめたが特に変わりはなく、ひそかに胸を撫でおろす。


現クレイ伯スタンだけは間違いなく有り得ないのは深く理解できるが」

「ロザーナに殺されちゃいかねないので変な邪推やめてください……。あとルーイくんは弟だし、アードラさんは性格悪すぎるので絶対ナイです!」


 戦闘中でもないのにぜえぜえと息が上がってしまう。なんだこれ。

 なんで厳格な祖父と所謂恋バナなんて繰り広げているのか……。


 背後からわざとらしい咳払いが聴こえてきた。

 そろそろ面会時間も終了だ。


「じゃ、じゃあ、今日は帰りますね!」

「ああ、気をつけて帰るんだ」

「お爺様もお体に気をつけて」

「ありがとう」



 席を立ち、刑務官の先導に従って面会室を出る。


 この時のヴェルナーとの会話で、ミアは仲間の中で一人だけ名前を挙げなかった人物がいる。


 単純に忘れていたのか、あるいは──

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