第130話 悪夢の後始末④

「閣下。お言葉ですが」


 焦燥を滲ませたイェルクの声がミアの背中を撫でる。


「何だ貴様!勝手な発言は控え……」

「構わん。言いたいことがあるなら言えばいい。そのまま続けろ」

「カナリッジで暮らしている以上、人も吸血鬼も等しくこの国の民ではないのですか??」


 イェルクの問いに「あっ……」と声を上げる者、瞠目する者。口を閉ざしつつ反発を隠しきれない者など、壁際で様々な反応が静かに巻き起こった。かくいうミアも、イェルクの発言には意表を突かれた。


「ご存じの通り、私の母国リントヴルムは人も魔力を持つ魔女も等しく国民と見なされています。もちろん現状に至るまでは決して平坦な道のりではありませんでしたが」

「魔女のほとんどは元人間であろう??生まれながらに異種族の吸血鬼とは訳が違う」


 暖炉や薪ストーブなどの暖房器具のない、冷え切った室内の空気に加え、シュルツ元帥の厳しい言葉は緊迫した状況に拍車をかけてくる。


「閣下は何もわかっていらっしゃらないのねぇ」


 身震いする程の緊張感に満ちた空気の中、場違いにおっとりと間延びしたロザーナの声がよく響いた。


「小娘!何と無礼な口を!!」

「煩い。お前たちは少し黙っていろ。ヴァイデンフェラーの私生児か。お前も何か言いたいことが??」


 依然、感情の読めない顔、声音でシュルツ元帥はミアからロザーナに水を向ける。

 ロザーナはさして緊張した風でもなく、いつもと変わらず穏やかに笑んでいた。


「ええ。閣下は大きな見落としをしています」

「そうか。言ってみろ」

「私の義姉ハイディマリーは元人間。そして、これまで賞金首で狩ってきた吸血鬼の大半も元人間でした」

「それだけ聞くと吸血鬼が如何にヒトにとって害悪か、一目瞭然……と言いたいところだが、他に言わんとすることがあるのだろう??」


 ロザーナはにこっと柔らかく微笑む。

 左頬の大きな傷跡があろうと美しさは健在。壁際の何人かがつい見惚れた程だった。(ほんのわずかな一瞬、スタンが凄まじい殺気を放ったのは気づかない振りでいよう)


「ええ。意外にも罪を犯すのは圧倒的に純血や混血より元人間の吸血鬼。どうしてだか、おわかりですぅ??」

「勿体ぶった物言いは好かん。早く先を言え」

「吸血鬼間の階級で元人間の吸血鬼は一番格下。吸血鬼の社会に馴染めなければ奴隷扱いか、餌として吸血されてしまう。野に下って人との共生を望んだとしてもなかなか上手くいかな」

「まだるっこしい。さっさと結論を」

「吸血鬼としても人間としても生きられないから切羽詰まって、あるいは逆に開き直って罪を犯すんです」


 ここでロザーナはぴた、と口を閉ざした。

 本当か??と問いたげに元帥はじめ、壁際の視線が再びミアへ移動する。


「彼女の話は本当です。元人間の吸血鬼は自ら望んでなるのではなく、同じ人間に『吸血鬼の餌にしていい』と判断され、差し出された者が大半を占めています。ハイディマリー・ヴァイデンフェラーも元々はその一人でした。最も、彼女のようにここまで強大且つ凶悪な力を持ち、のし上がってしまう元人間の吸血鬼は極めて稀な存在ですが……。でも私の知る他の元人間の吸血鬼は、可能なら人の暮らしに戻りたい、と願う者も多くいます。もっと言えば、元人間だけじゃない、純血も混血も」


 己の意思など度外視で吸血鬼にされたルーイとエリカを思い出しながら、ミアは切々と訴えかける。

 すると、屋外から衛兵の怒声と共に聞き慣れたイヤミたらしい挑発と、それをきつく窘めるキンキンと甲高い声が。


 アードラとラシャだ。


「いい。彼らも客人だ。入れてやれ」


 何事だとざわつく壁際の者たちをシュルツ元帥は制し、扉近くに待機する者へ指示を出す。

 開いたドアから例に漏れず黒スーツのアードラとラシャを背に、同じく黒スーツのルーイとエリカが入室した。


「この子供たちは??」


 室内の只ならぬ空気、シュルツ元帥や将校たちへの緊張と恐怖に気の毒なくらいカチコチに硬直する二人に、『だいじょうぶ』と小さく振り返り、答える。


「前述した人の暮らしを望む元人間の吸血鬼たちです。この二人に吸血の欲求はなく、ヒトを襲うことは絶対ありえません」

「随分とはっきり言い切る」

「本当のことですから」

「よろしい。ではお前の望みに従い、吸血鬼全体を庇護したとしよう。お前たち忠犬の吸血鬼はともかく、その他の吸血鬼の血への欲求をどう抑えるつもりだ??聞くところによると、血液摂取は吸血鬼の身体を作り上げるのに必要だと。血を飲まなくとも死にはしないが、常人より脆弱になりやすいらしいではないか」

「たしかに閣下の仰る通り、欲求の有無に拘わらず血液摂取は必要です……、が──、吸血以外の方法で、欲求を呼び起さず血液摂取する方法はあります」

「方法とは??」


 ジャケットの内ポケットに手を突っ込み、銀製の丸型のピルケースを取り出す。

 怪訝な表情を浮かべたシュルツ元帥の眼前へ進み出て、「こちらを開けてみてもらえますか」とピルケースを差し出す。


 元帥が無言でピルケースの蓋を開けると、血のように濃い深紅のカプセル数粒が収まっている。


「このカプセルには私の血が混ぜ込んであります。すでにご存じかもしれませんが、先祖返りの私の血には吸血鬼を強制支配する力があります。このカプセルを飲ませ、私が人への危害を禁止する旨を伝えれば、二度と人を襲うことはなくなります」

「最低限の血液の摂取及び強制支配、二重の効果を持つカプセル、ということか」

「はい。ここ一年近くの間、吸血鬼の賞金首相手に試してみましたが、先達ての刑務所の事件では、私がこのカプセルを飲ませた収監者のみハイディマリー・ヴァイデンフェラーの強制支配が無効でした」

「なるほど。だがしかし」


 元帥はミアにピルケースを返しがてら、更なる追及を行う。


「その方法ではお前が存命中の数十年間しか通用しない。現在の吸血鬼の寿命は人と変わらないしな。お前の次世代以降に先祖返りがまた出てこれば話は別だが、そう都合よくぽんぽん出てくる存在、と言う訳でもないだろう??」

「はい。ですので、私の血を元に強制支配無効化の力を解明する研究を、こちらのイェルク・ノイエンドルフと共同で始めました」


 ちらり、とイェルクを振り返ると、彼は背中を押すように小さく頷いた。


「私の命尽きる時までに、必ずや私の血以外でも──、強制支配無効化の力の元……、例えば薬などを作り、代替えの血液と混ぜたカプセルを必ず飲ませることをカナリッジ全土の吸血鬼に義務化させます。守らない者は人間の法で罰し、必要とあらば私たち双頭の黒犬シュバルツハウンドが狩ります」


 掌に収めたままのピルケースを痛いくらい、固く強く握りしめる。

 掌の熱で金属の冷たさは一向に感じられない。


 熱いのは掌だけじゃない。

 身体中の熱が視線に、表情に、言葉に集まってくる。


 ミアの静かな熱意に壁際の将校たちは沈黙し、無感情さが目立っていたシュルツ元帥も真剣な顔で聴き入っていた。


 まだ若干十六の、世間知らずの小娘のげんなど寝言に聴こえるだろう。

 国の一部の一族を背負うのと、国全体を背負うのとでも重みが違いすぎる。


 そんなことは分かりきっている。

 分かきっているけれど。


 言ってみなければ何も始まらない。

 俯いて、ビクビクおどおどしてたって変わらない。


 声に出して初めて何かが変わるのだから。



「……いいだろう。そこまで言い切るなら君らに賭けてやってもいい。ヴィル宰相にも掛け合っておく。ただし期間は定めさせてもらう。五年だ。五年以内に血液カプセルとやらの効果を君の血以外でも発揮させ、正式認可されるように。研究費用なら多少は手配してやる。というより、ヴィルに出させよう」


 シュルツ元帥は音もなく椅子を引き、スッ……と真っ直ぐに立ち上がった。


「帰っていい。私からの話は以上だ」

「あの……!」


 シュルツ元帥へ湧き上がる衝動のままに呼びかける。


「ありがとう、ございます……!」

「礼はいい。私が欲しいのは確たる結果唯一つ」


 感極まり、上ずった声で謝意を伝えながら。

 まだ理想実現への第一歩を踏み出したばかりなのだ、と、返された言葉に改めて身を引き締めたのだった。

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