第129話 悪夢の後始末③

 車を走らせること数時間。

 出発時明るかった空は目的地の別荘に到着する頃にはすっかり闇に沈んでいた。


 別荘周辺は背が高く黒い針葉樹林に囲まれているだけに、本来輝いている筈の月や星々の光も届きにくい。

 暗闇に強い目を持つミアやスタン、ロザーナとイェルクも訓練によって耐性をつけているので問題ないが、常人なら懐中電灯なしでは足元も覚束ないだろう。


 森の手前で車を止める。

 幾度となく人が行き来した痕跡が残り、自然と小径と化した地面を元に四人で奥へ、奥へと突き進む。そのうち前方よりかすかな光が闇と樹々の枝葉から漏れてくる。別荘が近づきつつある。


 光が徐々に強く、範囲が広がっていく。

 やがて小径が途切れ、開けた場所へ出ると視界も一気に開けていく。


「双頭の黒犬シュバルツハウンドだな」


 赤や金の装飾を施した鉄紺色の詰襟に金釦──、カナリッジ国軍所属を示す軍服の衛兵数人に囲まれ、懐中電灯を四方から翳される。


「いかにも」

「お前は??」

「私はスタンレイ・クレイ伯爵。組織を束ねる長だ」

「……そこの黒い髪に赤目の娘は」


 衛兵の目線と声に強い警戒心が宿る。

 久しぶりに突きつけられる敵意に似た視線にミアの心臓が大きく波打つ。


 吸血鬼に向ける人間の態度はこれが普通で当たり前。

 特に今はハイディが撒き散らした悪夢のせいでより風当たりは強くなっている。


 でも、少しでも悪い風向きを変えるためにミアはここへやってきた。


「我が組織になくてはならない大事な構成員であり、吸血一族の新しい長でもある者だ」


 発音は完璧だが粗暴な口調の共通語ではなく、鷹揚且つ上品なカナリッジ語でスタンは衛兵への問いに答える。

 口にこそ出さなかったが衛兵は瞠目し、ミアをまじまじと眺めると、「……案内する。ついてこい」と憮然とミアたちに背を向けた。


 前に三名、左右に各二名、背後に五名。

 計十二名の衛兵に囲まれながら別荘へ。


「ここだ」


 立ち止まった衛兵たちが振り返った先、別荘と呼ぶからにはさぞ立派な豪邸……、かと思いきや。

 目の前に現れた建物は一階建ての丸太小屋。意外性に今度はミアたちが目を瞠った。


「失礼いたします!」

「入れ」


 扉越し、衛兵がミアたちの来訪を告げるよりずっと早く入室の許可が下りる。

 皆まで言わせぬ空気に一瞬怖気づくも、気を取り直しがてら「おい、さっさと入れ」と衛兵はさっきまでより不遜な態度で入室を促した。


「失礼……」

「いちいち何度も同じ挨拶などいらん。黙って入ってくればいい」


 衛兵よりもずっと不遜な物言いに恐縮よりも内心ムッとした辺り、自分も組織に染まってきたかもしれない。などとどうでもいい想いが頭を一瞬過ぎる。もちろん顔には絶対出さずに。


 丸太小屋の中へ入ると長机数脚が凹を逆位置にした形で並んでいる。

 軍服の微細な仕様の違いや肩章、襟章の線や星の数から士官以上の軍人数人が壁際に佇む中、中央の長机に座す人物は──、二人の筈が一人しかいなかった。


「悪いな。ヴィル宰相は諸用が重なり直前で来られなくなった」


 隣に並ぶスタンの歯軋りが聞こえた。

 人間には聞こえない程度の大きさ。でも、同族のミアにははっきりと聞き取れた。


「許せ。あれは誰よりも多忙な男だ。あとは、今回は公安が最も関わり深くなる事案。奴が動くかどうかは我々軍部が出す結論次第となる。言っておくが、断じてお前たちを軽んじている訳じゃない」


 表面上取り繕っていても、スタンの無言の苛立ちはひしひしと肌で感じ取れる。

 その苛立ちが伝わっているのか伝わっていないのか。肘を机上につき、長い指を組むとその人物の唇は余裕げに弧を描く。

 艶やかなグレイヘアは品性を、額で分けた左右非対称アシンメトリーの長い前髪とざっくり刈り上げた襟足は大胆さの二面性を映し出しているような。


「申し遅れた。エアハルト・シュルツだ」


 鉄紺の開襟軍服、肩章と襟章に五つの星。

 代々将校を輩出する軍人一家の生まれ、女性でありながら男性名を名付けられたこそがカナリッジ国軍最高幹部──


「君たちのことは先代クレイ伯ノーマンから聞き及んでいる。よく躾けられた我が子同然の忠犬たちだと」


 シュルツ元帥の口元の笑みが意味ありげに深まる。


「人間、吸血鬼分け隔てなくね。だから、能力覚醒した混血ダンピールの君でも違和感なくヒトに紛れ生きていける。ねぇ、現クレイ伯??」


 壁際でさざ波のようなどよめきが起こり、スタンの顔色がさっと変わる。


「言っておくけれど、素性に関しては先代クレイ伯が漏らした訳ではない。君ら忠犬たちのことなら事前にすべて調査済みだ。混血の新クレイ伯に長直系の先祖返り、ヴァイデンフェラー旧侯爵家私生児、隣国の元負傷一等兵」

「……お言葉ですが、私とこちらのミアの素性は今回の会談と関係があるでしょう。しかし、後ろの二人については」

「そうだな。失礼した」

「いえ」

「無駄話はそろそろやめよう。本題に入るぞ」


 シュルツ元帥から笑みが消えていく。


「ハイディマリー・ヴァイデンフェラー始めとする吸血鬼関連の凶悪事件を受け、吸血鬼への取り締まり強化だけでは不安が大きい。国軍総動員で国内全土の吸血鬼殲滅計画を、という声も一部で上がっている」

「存じ上げています」

「私個人としても取り締まり強化は賛成であり実行すべきだと考えている……が。殲滅については賛成し兼ねる」


 意外な言葉に思わず四人全員が元帥を凝視。

 四人分の強い視線をものともせず、元帥は更に続ける。


「君たち忠犬の一部やハイディマリー・ヴァイデンフェラー、彼女に従った吸血鬼たちが抱える力は利用に値する。例えば、吸血鬼のみで人員構成された特殊部隊を創設してみるのも面白いだろう。移民や吸血鬼の犯罪が急増する昨今、我々国軍だけでは正直抑えきれぬ。特に吸血鬼関連の犯罪がな。だがそれも警察と軍部に各自特殊部隊があれば必ずや歯止めが利く。君たちのように賞金稼ぎとなり、裏で連中を狩ってもらっても結構。要は」

「殲滅阻止は国軍への協力と引き換え、ということですか??」


 思わず口を挟んだミアに、シュルツ元帥はにやり、先程と種類の違う笑顔を見せる。


「元帥閣下のお話を遮るとは無礼な……!」

「構わん」


 壁際でいきり立つ者を一言でいなすと、元帥の視線がミアへ集中。

 それに伴い、壁際からの視線も一身に浴びることに。

 ただでさえ多くの視線が矢のように突き刺さる中、元帥はミアに水を向ける。


「吸血一族の新たな長と名乗る娘よ。口振りから察するに何か不満でも??」


 漆黒の軍用ブーツを履く足が一歩、後ろへ下がりそうになるのを踏みとどまる。

 怯むな。怖気づくな。

 真っ直ぐ背筋を伸ばせ。真っ直ぐ正面を見ろ。真っ直ぐ視線を向けろ。


「シュルツ元帥の仰る条件に不満はありません」


 いざ口を開けば、よく通る真っ直ぐな声が腹の底から湧き上がった。


「吸血鬼が人の世で生きるためには人が掲げる規則ルールや条件を守るのは当然です。国軍や警察への協力要請も受け入れましょう。ですが」


 一旦言葉を切り、ごく、と大きく唾を一度飲み込む。


「私からも協力に当たって条件があります」


 シュルツ元帥から笑みがスッと消えていく。

 怒りも呆れも何の感情も読み取れない顔に、背筋が凍る思いだがここで折れる訳にはいかない。

 壁際からは「小娘が何様のつもりだ」「貴様、己の立場を分かっているのか」などと怒りの声が次々と上がってくる。彼らにも元帥にも申し訳ないが、図々しいのは充分承知の上での言葉だ。


「で、条件とは??言うだけ言ってみろ」

「国軍及び警察への協力は強制ではなく任意で。能力覚醒者だけでなく、その他の非覚醒者である吸血鬼たちの法的庇護です。これまで私たちの基本的な生活基盤は吸血鬼城だけでした。でも、中には私や現クレイ伯スタンのように外の──、人間の世界での生活を望む者も少なくありません。私は……、これまで通り静かに城で生きるにしろ、人と共生するにしろ、吸血鬼にも生活の選択肢を与えたい。そう考えています」


 シュルツ元帥は口を挟むことなく、静かにミアの話に耳を傾けていた。

 そしてミアが話し終えると、姿勢を正し──、フッと軽く鼻を鳴らした。


「却下だ。非覚醒者の吸血鬼の庇護などヒトに何の利がある??」


 想定内の答え。覚悟を決めてはいたけれど、こうも残酷なまでに一笑に付されるとは。

 大きく喘ぎそうになるのを堪え、ミアは元帥の次の言葉を待つ。


 まだだ。まだ諦めるには早い。

 説得の好機チャンスはきっと掴める筈。

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