第128話 悪夢の後始末②

 吸血鬼には人間よりも強い回復力を持つという特性がある。

 ミアの怪我の状態は人であれば通常、完全回復に至るまで二か月は要するものだった──、にも拘らず、約半分の一か月でミアの怪我も体力も元に戻った。


 持ち前の驚異的な回復力のお陰なのは当然として、例の重要会談がミアの気力を奮い立たせた。

 会談の予定が遅延する程、吸血一族全体が置かれた状況は悪化の一途を辿っていく。ロザーナやスタン始めとする仲間の話、新聞記事などからそのような空気はひしひしと感じ取っていた。

 また精神鑑定で異常を認められたがゆえに保留中のハイディの処遇も会談の結果で正式に決まる。なので、一日でも早く会談に臨めるだけの体力を取り戻したかった。


 そして一か月を経た今、会談が決定した。





(1)



 迷路のように何度も角を曲がり、薄暗く長い廊下を二人の刑務官の間に挟まれ、歩く。

 目的の場所に一歩近づくごとにミアの緊張は高まっていく。

 普段着の着物と袴スカートではなく、細身の黒い開襟ジャケットに白シャツ、黒いプリーツスカート、首元の黒いネクタイの窮屈さも緊張に拍車をかけてくる。


「着いたぞ。ここだ」


『面会室』と記された扉を開くと、壁、天井、床に至るすべてに寒気を覚える程、真っ白な部屋がミアを出迎えた。

 奥にある壁と壁の間を仕切るカウンター、カウンターを境に部屋を二つに仕切る鉄格子の前へ進み出る。


「いよいよだな」


 カウンター前の椅子に座ると、鉄格子越しにヴェルナーが呼びかけてきた。

 古臭いけれど質の良い三つ揃えではなくくたびれた囚人服、品のあるオールバックではなく無造作に下ろした白髪頭。かつて一族をまとめていた者の落ちぶれた姿を直視できず、さりげなく目線を外し「はい」と短く応じる。


 あの夜ののち、ハイディ含む他の吸血囚人同様にヴェルナーも捕縛、臨時で用意された新たな吸血鬼専用刑務所に収監されていた。強制支配によるものとはいえ、彼もまた人間へ多くの罪を働いたせいだ。

 本来ならば死刑も免れないのだが、ミアたちや彼に救われたコーリャン人街の人々の嘆願、刑務所でのスタンたちへの協力を考慮され、最終的な判決は終身刑にとどまったのだった。


「お前にはいらぬ苦労をかけて心の底から申し訳なく思っている。私が犯した過ちの尻拭いをさせるようなもの……」

「謝らないでおじい様。尻ぬぐいなんかじゃない。吸血鬼にとっての生きる道の幅を拡げるための話し合いって私は思ってる」


 逸らしていた目線を、今度は真っ直ぐヴェルナーへ注ぐ。

 正面からちゃんと見た祖父の顔は、想像していたのと違って全然しょぼくれてなんかいなかった。むしろ、憑き物が落ちたかのようですっきりした顔に見えた。


「ミア。……強くなったな」


『そうでもないよ』


 言いかけて、やめる。

 する必要のない謙遜に意味はない。今ミアが言うべき言葉は──


「うん。ありがとう」


 己の内心はどうあれ素直に受け取ろう。

 今は、今だけは否定的な思考はほんのわずかでも持たない方が賢明。


「今のお前ならきっと上手くいく。気負い過ぎることなく冷静に行きなさい」

「はい。じゃあ……、そろそろ時間だし、行ってきます」

「健闘を祈っている」


 返事の代わりに深く頷くとミアは席を立ち、面会室を後にする。

 行きと同じく迷路のような廊下を突き進み、仮刑務所を出れば、V8型エンジン搭載の黒塗りの車が高い塀の前でミアを待っていた。






(2)


 助手席にさっと乗り込む。

 普段の羽織と着流し、雑なハーフアップではなく、黒いスーツに臙脂色のネクタイ、髪をきれいに一つに結ったイェルクが運転席にいた。

 見慣れない姿に先程とは別の緊張が込み上げてくる。こういう時に限ってイェルクは無言でいるため、なんだかそわそわと落ち着かない。


「随分と早かったな」

「ねー。まだ時間あるからもう少しいてもよかったのにぃ」


 無言のイェルクに代わり、後部座席からスタンとロザーナが話しかけてきた。お陰でミアの変な緊張はほどける。

 ちなみに後ろの二人もミアやイェルクと同じく黒いスーツ姿なのだが、見慣れないせいで違和感が拭えず。

 特にスタンはうっとうしい前髪を後ろに流しているので違和感が半端じゃない。が、潰れた左目の痛々しさを差し引けば、顔立ち自体は案外悪くないんだなと認識を改めさせられた。


「なんだ、人の顔じっと見て」

「ちょっとミアー??どういうことぉ??」

「ち、違うよっ!やっぱり二人並ぶとすごくお似合いだなって思ったのっっ!!」


 変な誤解されてはたまらない。

 慌ててくるっと後部座席から顔を逸らすと、隣でイェルクが肩を震わせ、くくっ……と笑いを噛み殺した。


「お前たちは相変わらずだな!緊張も何もないと見える!」

「えぇー、そーお??」

「ああ!おかげで緊張が解れた気がする」

「イェルクさんでも緊張することあるんですか?!」


 思わず口から飛び出た質問に、すかさず後ろから「お前はイェルクを何だと思ってるんだ」とスタンの呆れ声。


「う、ご、ごめんなさい……」

「別にかまわんさ。俺だって緊張の一つや二つはする。特に今日は……、カナリッジ国軍最高幹部エアハルト・シュルツ元帥との会談。国は違えど俺も軍にいた人間だ。緊張しない訳がない」

「シュルツ元帥の他、宰相ヴィルヘルム・プラネルト氏も同席する。俺の力が及ばす会談に応じてくれたのはこの二人だけなのが口惜しいがな」


 国王始めとするカナリッジの王族は国の象徴であるものの、国政、軍事への直接介入は行わない。

 国政全般は宰相率いる内閣が、軍事、公安は軍部が担う。

 実質的に国をまとめ、動かす宰相と元帥。絶対に一筋縄でいかない双璧をどう抱き込むか──、ミアたちにかかっている。


「さて行こうか」


 イェルクの一声と共に車は走り出す。

 目的地は市街地から遠い、人里離れた田舎の湖水地方。

 会談と言っても非公式の密談。ゆえに会談場所はシュルツ元帥が所持する別荘を指定されたのだが──、穿った見方をすれば会談が失敗した場合、その場で全員始末しやすい、との理由も否定できない。


 恐ろしくないと言ったら嘘になる。

 だからと言って、一度乗り出した舟から降りることはできないし、降りるつもりも毛頭なかった。

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