エピローグ
第127話 悪夢の後始末①
(1)
ハイディが自我崩壊して間もなく、ミアもまた限界を迎えた。
薄れゆく意識下、周囲の喧騒など深い水底で地上の音をかすかに感じるようなもの。
ただ、はっきわかっているのは、長い長い悪夢がようやく過ぎ去った──、かに思えた。
次にミアが目を覚ますと、堅固な白い石の天井が──、住処の城の天井が視界に映し出された。
白いカーテンに囲われ、白いパイプベッドの固いマットで仰向けになり、清潔な毛布から腕全体に包帯を巻いた両腕を出している。
「……ちょっと、寒い、かも」
掠れ切った声でつぶやき、毛布を引き上げようとして、できなかった。
少しでも身じろぎすると、鉛を詰め込んだみたいに全身が重く苦しい。特に右肩が激しく痛む。あと左手も妙な違和感がある。なんというか、固いような柔らかいような、生温かい……、人肌の温かさに似ている。そして何かがベッドの端に乗っかっている。が、確認したくても顔をわずかに上げるだけでもしんどい。
うー、と小さく唸り、毛布を引き上げるのをあきらめる。
とりあえず違和感の正体が何なのか確認しようと、左手に視線を向けた瞬間、ミアは危うく叫び出しそうになった。
ミアの左手、指先近くまで巻かれた包帯の白に、麦藁に似た暗い金髪の毛先が散っている。
住処の住人で金髪は二人しかいない。その内の一人の方ならむしろ微笑ましく思えただろう。
だが、今、ミアの左手を握ったままベッドの端に突っ伏すのはもう一人の、微笑ましく思えない方の人物──、イェルクだった。
「えぇぇ……、どういうことなの……」
羞恥と困惑で赤い瞳を白黒させ、悲壮感たっぷりにつぶやく。
さっきよりも若干つぶやく声は大きかったのに、イェルクは微動だにしない。
おそらくミアの様子を窺いに来たはいいが、そのまま寝落ちたのだろう。(どうでもいいが、床に膝をついた姿勢でよく寝落ちれるものだ……)
どうしよう。
意識を取り戻したことで、毛布から出た肩と腕の冷えを強く感じる。できることなら、全身毛布に包まりたいくらいには寒くなってきた。でも、それをするにはイェルクを起こさねばならない。
どうしよう。
さっきまでの自分と同じくらいイェルクは深く眠りこけている、ように見える。
起こすのは何だか忍びない。でも、ミアの身体が冷えているようにイェルクの身体だって冷えている、と思う。
あと、不可抗力とはいえ、手を握られている状況に気づかれるのが恥ずかしい。
「うう……、困ったなぁ」
「ミーア!起きてるぅ??開けるわねぇー」
「あ、あ、ちょっと待っ」
皆まで言う前に、ジャッと音を立てて開かれたカーテンから、ひょこっとロザーナが顔を覗かせた。
「よかったぁ!目を覚ましたのねぇ!もう五日は寝たきりだったから本っ当心配したんだからぁー……、って、あらぁ??」
ロザーナの視線がミアの左手ら辺へ移動していく。
見ちゃダメー!と本気で叫びかけたその時、「入るぞ」とスタンの声。
あ、色んな意味で終わった、かも。
ミアが目を瞑った直後、「お前は何をしている。それはセクハラだ」とスタンの冷ややかな声と、イェルクの脳天に手刀が振り下ろされる気配がした。
「……スタン、普通に起こしてくれないか。よりによって機械義手の方でやっただろう」
「尋常でない寝方をしている上にセクハラ働く奴を優しく起こす義理はない」
「……さっきからセクハラ、セクハラってなんの」
「いいからその手を離してやれ!」
遂に業を煮やしたスタンは、ミアの左手を握ったままのイェルクの手へ徐に指を突きつけた。
ここで事の次第に初めて気づいたイェルクは瞬時に手を離した。
「おぉ?!これは悪いことをした!!決してわざとではないが!オッサンに手を握られるのはさぞかし嫌だったろう?!すまなかった!!」
「い、いえ……、だいじょうぶ、だいじょうぶですっ」
「ミア。嫌なことは嫌だとはっきり言え」
「ううん、ほんと、だいじょうぶだからっ!ほんと、気にしてないからっっ……、いたっ!!」
今度こそ叫び、力んだ弾みで全身に痛みが走る。
「もうっ、イェルクさんもスタンさんも!ミアに大声出させるようなことしないのぉ!」
「「すまん」」
ロザーナの叱責に二人の謝罪がシンクロし、吹き出しそうなのを耐える。
今笑ったりしたらまた身体が痛むし、とまで考え、ふと、あぁ、いつも通り笑ったり呆れたりする日が迎えられた、と感慨深くなった。
しかし、スタンの左目とロザーナの左頬を覆う大きなガーゼ、特にロザーナの長い髪が肩までの長さ、前下がりのボブヘアに変化し、ミアの認識は改めさせられた。
ミアの意識が自分の肩ら辺に集中していると気づくと、ロザーナは短くなった毛先を軽く摘まみ、微苦笑する。
「あぁ、
まったく気にも留めてなさそうなロザーナの横で、ミア同様、スタンも痛ましそうに肩上で揺れる銀髪に視線を寄こす。
「そんな顔しないで、ねっ、ねっ!髪なんてすぐ伸びるしっ!実を言うとあたしはね、この髪型のほうが楽ちんで気に入ってるのよねぇ、頭も軽いしっ」
「じゃあ、いいんだけど……」
ロザーナ自身が満足しているなら問題ない。
そして、以前と変わったことが二人の怪我とロザーナの髪型だけで済んでいて欲しい。
だが、ミアの願いはあっさりと裏切られた。
「ところで、スタン、ロザーナ。ミアの元に来たのは俺を探してのことだろう??何か進捗が」
「その件だが……」
スタンは右目でちら、とミアを見下ろすと、「廊下へ出て話そう」とイェルクに告げた。
「あの、進捗って何の」
「お前にはいずれ報せる。今はまだ身体を休めることに専念しろ」
「だけど」
「ねぇ、スタンさん。やっぱりミアにもちゃんと話すべきだと思う」
「だが身体に障っては……」
「だいじょうぶ。ミアは二人が思う程やわな子じゃない。ちゃんと受け止められる」
話の流れから察するにあまり良い内容では……、むしろ悪い内容か。
三人の内、誰がその話を伝えるのか。固唾を飲んで待っていると、「あたしがミアに話す。すごーく悪いんだけどぉ、少し二人きりにしてもらえないかしらぁ??」とロザーナがイェルクとスタンに申し出た。
何か言おうと口を開きかけたスタンを制すと、イェルクはミアとロザーナに背を向け、カーテンを開ける。
「了解した。俺たちは部屋を出て廊下で待つ。少しでもミアに異変が起きたらすぐ呼んでくれ」
「うん、了解」
不服と心配が混ざった目でミアとロザーナを見やると、スタンも黙ってイェルクに続き、医務室から出て行く。
二人が退室したのを確認すると、ロザーナはベッド脇の丸椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「ロザーナ……」
「ミア、気を確かにねぇ」
気を確かに、と告げたロザーナから笑顔が消え、代わりに苦しげに眉を寄せた。
(2)
「そんな、カシャさんと……、
嘘、うそ、ウソ……、と、何度となくつぶやきかけ、つぶやきそうになる度に言葉を飲み込む。
これまで見たことない程沈痛な面持ちのロザーナを前に、安易に嘘だと言えるわけがない。
「……カシャさんの遺体は最後にいた教会の焼け跡から回収、すぐにコーリャン人街の人達の手を借りて葬儀を済ませた。コーリャンでも土葬が主流らしいけど……、遺体の損傷が激しかったから火葬で。遺骨はコーリャン人街の墓地とこの城の山と半分に分けたわ。『状況が完全に落ち着いたら、遺骨の一部と遺灰は皆で海に撒こう。その時はミアも一緒ね』ってラシャさんが」
涙で滲んだ視界が二重にも三重にも歪む。鼻の奥がツンと痛む。
泣いちゃダメ。今は泣く時じゃない。二、三度、鼻を大きく啜り、長い息を吐く。
「……でね、さっきスタンさんが言いかけた進捗についてだけど」
「うん」
「海での捜索開始してから五日。
ロザーナは毛布の端を皺が寄るほど強く、固く握りしめる。が、すぐにしんみりした空気を払拭するように微笑む。
「以上、報告終わりっ!ほら、遺されたあたしたちにできるのはぁ、二人の分まで前見て生きることでしょぉ??あ、そうそう!組織全体の長はスタンさんに変わったからねぇ。なんかよくわかんないだけどぉ、爵位も引き継いだみたいよぉ」
「じゃあ今度からスタンさんを
「そこは今まで通りでいいんだって。ほら、貴族らしい振舞い嫌う人だしぃ??」
「んー……、だったら別にわざわざ爵位継がなくてもよかったんじゃ」
「爵位に付随する金と権力が組織の維持費、活動のための各方面への根回しに必要不可欠だからだ!」
カーテンが勢いよく開かれ、不機嫌全開のスタンが再び目の前に現れた。
「もぉー、勝手に入ってきちゃダメよぉ」
「心配で様子見に来てみれば……、雑談する余裕があるなら杞憂に終わったな」
ふー、とわざと深く長く息を吐きだし、スタンはいつもの調子で告げてきた。
「いいか。俺が爵位を継いだように、お前もまた吸血鬼の長を継いだ。互いにこれまでにない重責が両肩にのしかかってくる。その覚悟はできてるだろうな??」
返事の代わりに小さく頷く。
「ならいい。カナリッジ最高官シュルツ元帥らとの会談予定もあるしな。前
「もちろん、覚えてる」
「お前の体調が整い次第、会談を行う手筈になっている。だから、さっさと怪我治して一日でも早く体調を戻せ。これは組織の長としての命令だ。いいな??」
スタンの厳しい視線に負けじとミアもきつく睨み返し、応えた。
「……了解っ!」
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