第124話 一矢を報いる
(1)
惨劇が繰り返される刑務所内に置いて、数少ない静かな場所が俄かに騒がしくなってきた。
囚人、看守問わず所内の者たちはほぼ全員、賞金稼ぎたちを
その無人であるはずの見張り塔の一角、はめ込み硝子なしの窓越しに四つの影が映し出されていた。
「まさかこんな短時間で到着するなんてね」
その中で一番背の高い影──、アードラは珍しく感嘆の声を上げ、共に侵入したイヴァンとルーイへにやっと笑いかける。
『……カシャは僕にとって息子のような存在だった。あんな死に方をしていい子なんかじゃなかったのに……』
『あの子の命を奪った同族を絶対に許しはしない。僕に協力できることなら何でもする』
カシャの死に崩れ落ちる程嘆き悲しむ娘の横で、自身も哀しみを堪えながらイヴァンはアードラ達に願い出た。
純血の吸血鬼とはいえ、イヴァンはほぼ一般人として生活を送っている。
とてもじゃないが戦闘に参加はさせられない。でも、戦闘以外の面でなら??
『下手に一般人巻き込むわけにはいかないんだよね。まぁ、すでに巻き込みまくってて申し訳ないけどさ。で、おっさんは吸血鬼としての能力で何ができるの??できること次第で協力仰ぐかも』
対して期待もせず問い質したところ、飛行能力持ちだと判明。
『僕かラシャのどっちかを吸血鬼の刑務所まで飛びながら運べる??』とダメ元で依頼し、現在に至る。
「若い頃は毎夜のごとく夜空を飛んでいたからねぇ」
「でも飛ぶのは久しぶりでしょ」
「そうだね、かれこれ二十数年ぶりかな。でも人を運んで飛ぶのは初めてだよ」
初めてだと言う割に、イヴァンは息一つ切らしていない。羽織を突き破って出現させた蝙蝠羽根、穏やかに微笑む姿はまさに吸血鬼紳士という言葉がよく似合う。
それに比べて……、と、褪めた視線をルーイに向ければ、半身を九の字に折り曲げ、ぜぇぜぇと肩を激しく上下させている。ラシャを運んでここまで来たとはいえ、彼女の体重はそこまで重くないというのに。
「なんでルーイの方がへばってんの。あんたの親より年上っぽいおっさんがさぁ」
「おっさんじゃない!」
すかさずラシャがキレてきたが、無視して続ける。
「自分より背の高い若者運んで涼しい顔してんのに、ルーイはそんなに死にそうになってるわけ??」
「まさかと思うけど、アタシを運んだから、とか言わないわよね??」
未だ赤く腫れたままの目を吊り上げ、ラシャはずずいとルーイに詰め寄るとガミガミ怒り出した。
ルーイに運ばれて見張り塔まで来る間中ずっとラシャの機嫌は悪い。
ラシャにとって(亡きカシャやノーマン、ノーマンに次ぐ父親的存在のイヴァンならともかく)男に触れられること自体拷問であり、耐え難い苦痛だ。
運んでもらうなら絶対イヴァンがいいと随分ゴネていたが、アードラより小柄で跳躍でしか移動できないルーイに彼を運ぶのは難しく、最終的には嫌々納得してくれたのだった。
終始ラシャに当たり散らされるルーイに同情を覚えないでもない。
が、いつもの調子を取り戻しつつある様子にアードラは少なからずホッとしていた。
ラシャを宥めるのはイヴァンに任せ、アードラは窓枠に銃身を固定させ、刑務所本棟入り口付近へ銃口を向ける。
ここに来た目的は脱獄した吸血鬼を外へ出さないため。
スタンやロザーナたちが中で戦っているので容易く脱獄などできないだろうが、念には念を入れた方がいい。
案の定、所内から飛び出し、吸血囚人たちが壁を越えようとしている。
よじのぼるために伸ばされた腕を撃とうとして、トリガーに掛けた指先を止める。
「なんで撃たないのよ」
「ちょっと静かにして」
ラシャはムッとして言い返しかけるも、すぐに口を噤んだ。
アードラの言わんとすることを理解したからだ。
「この声って」
「あんな下手くそな歌声は一人しかいないね」
「小父さん、すぐに耳塞いで!この歌声、吸血鬼が聴くと正気でいられなくなるから!」
戸惑いながらもイヴァンはラシャの言う通り、そっと耳を塞ぐ。
ルーイはすでに必死の形相で耳を塞いでいる。
「あーあ、ミアの歌声のせいでこっちの出番なくなったなぁ。動き損だね」
「あんたねぇ!」
「ジョーダン、冗談」
出番がないと軽口を叩きながらも、アードラは狙撃の態勢を解こうとしない。
それこそ万が一だが、もしも先に潜入していたスタンたちやミアの身に何かが起こり、最悪の事態──、例えば、ハイディが脱獄を試みた場合、トリガーを引くことになる。
動き損とは言ったけれど、刑務所まで足を運んだ(正確には運んでもらったのだが)のはまったくの無駄でもない。
願わくば、出来たら無駄足で終わってくれればいい。
しかし、アードラの願いは裏切られることになる。
刑務所本棟──、アードラたちが待機する見張り塔から一番遠い位置で爆発が起き、屋上から煙が上がり始めた。
スコープの照準をそちらの方向へ定めると、漆黒から薄闇に変わりつつある空にきらきらと何かが輝く。それが人の髪だと分かった途端、吸い込まれるように屋内へと消えた。
「ルーイ、イヴァンのおっさん」
「オッサンって言うな!」
「ちょっとラシャは黙っててくれない」
「はぁああ?!」
「大事なこと訊きたいから黙って」
『大事なこと』を強調すると、ラシャは渋々黙った。
視線はスコープから外さず、アードラは再度ルーイとイヴァンに淡々と尋ねる。
「さっきさ、煙が上がった場所から一瞬何か見えたんだけど。あれさぁ、人だと思う??」
「人っていうか……」
背後でルーイがイヴァンと目配せし合うのを気配で感じ取る。
「あれは間違いなく人だったよ。金髪の若い女性だ」
「金髪の若い女性、ね。てことはさ」
「うん、オレもあれは……」
ルーイはごくり、喉を鳴らし、覚悟を決めるように告げる。
「ハイディ、だと思う」
ハイディ、と聞いた瞬間、ラシャの肩が大きく震え、目が据わった。
いちいち確認しなくても気配だけで分かる。
「ラシャ」
「……なに」
相変わらず視線はスコープに向けたまま、ちょいちょいと手招きする。
おもいっきり不審そうにしながらも、ラシャはアードラの側へ寄っていく。
「ちょっとここに来て」
窓枠に固定させた銃身と自らの身体の間へ入ってくるよう促すと、「はああぁぁあああ?!やめてよ!こんのセクハラ野郎!きっも!ホント、きっも!!非常時にふざけんな!!!!」と、それはそれは予想通りの激しい拒絶を受けた。
「別にふざけてないし」
「充分ふざけとるわっ!!」
「一応、真面目に言ってるんだけど」
「どこがじゃ!!!!」
「あの
「…………」
「まだ僕の言ってる意味わかんない??僕のアシスト付きでトリガー引かせてあげる、って言ってんの。で、どうする??やる??やらない??秒で決め」
「やる」
あっそ、と返し、腕を広げるより早く、ラシャは自ら銃身とアードラの身体の間にずぼっと入ってきた。
ラシャにも銃身を固定させ、グリップを握らせる。わずかにでもぶれないよう、更にその上からアードラの手を重ねる。文句の一つでも飛び出すかと思ったが、ラシャは何も言ってこない。
(ラシャの涙と鼻水で汚れたため)そもそもモッズコートを着ていない分、密着具合は高い筈なのにまるで気に留めていない。男性嫌悪より仇討ちの念が余程勝っているのだろう。
「あ」
背後でルーイが焦ったようにつぶやく。
スコープを覗くアードラにも緊張が走る。
再び煙と共に夜空へ飛び出した──、さっきよりも高く、逃走する気なのがありありと伝わる飛び出し方に、させるものか、と胸中で吐き捨て。蝙蝠羽根を拡げたハイディへ銃口を向ける。
「ラシャ。撃って」
アードラが囁くと同時に狙撃銃から火が噴いた。
(2)
『自分で何とかする』という宣言通り、間一髪、ロザーナは辛うじて床の大穴の端に掴まることができた。あとは這い上がるだけ──、懸垂の要領で穴からよじ登り、あと少しで這い上がれそう、だったのに。
「あぁっ……!」
ロザーナの体重を支え切れず、掴まっていた箇所が崩れ落ちていく。
咄嗟にまだ崩れていない部分へ手を伸ばし──、手を伸ばすも指先が滑ってしまう。
諦めずに更に手を伸ばすが、もう穴の端に手は届きそうにない──、死が頭を過ぎったその時。
「俺より先に死ぬのは許さん!」
悲痛さを交えた怒声が耳に強く響いてきた。
瞬時に手放しかけた生への執着心が蘇る。
まだ死にたくないし、死ぬわけにはいかない。
届きそうにないと感じた穴の端へ、脱臼しかねない勢いで腕を強く大きく伸ばす──、届いた!
また掴まった場所が崩れる前に、みっともないほどの這う這うの体でとにかく早く這い上がる。
すぐに起き上がらず這って数歩進むとついさっき掴まった場所がぼろぼろと崩れ落ちていく。安堵と共にどっと冷や汗が流れ、動悸が激しくなる。
「肝が冷えたぞ」
「……ごめん」
顔を伏せたまま呼吸を整えるロザーナの上に、二人分の影が落ちる。
顔を上げた先には、ヴェルナーに支えられるスタンの姿があった。
「しつこいと思うなよ。老衰以外で俺より先に死ぬのは絶対に許さないからな」
「その言葉……」
さっと立ち上がり、スタンの傷ついた左目を痛ましく思いながら、指先でそっと触れる。
「そっくりそのまま返すわねぇ」
「…………」
面目なさげに顔を反らすスタンにクスッと笑むと、打って変わって厳しい顔で頭上を見上げる。
自分が落ちてしまったせいで、ハイディを止められるのはもうミアだけになってしまった。
「あとは頼むわね、ミア」
ぎり、と奥歯を噛みしめ、ロザーナは食い入るように頭上の二人を見つめ続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます