第123話 姉妹喧嘩

(1)


 ロザーナは生まれて此の方、人を嫌ったことが一度もなかった。


 生まれ育った街の人々から母子共々迫害めいた目に遭おうと、彼らを嫌いも憎みもしなかった。

 母や自分をあの街に力づくで囲い込み、最終的には母が命を絶つ一因を担った(生物学上の)父ですら憎んでいない。


 彼女にとって父親も街の人間もどうでもいい人間であり、そこら辺の道端に転がる路傍の石同然の存在だったから。


 唯一、あの街で母以外の他人で大切だったのは自警団の人々であり、マリウスもその中での大好きな一人だった。彼と自分じゃ『大好き』の意味合いがまったく嚙み合っていなかったけれど。


 彼から受けた辱めの数々は到底許せる気がしないし、一生許しはしない。

 だが、許さないという気持ち以外はやはり彼もまたロザーナにとっては転がる路傍の石。今では何の感慨も持っていない。


 対峙してきた賞金首や凶悪な吸血鬼たちに対しても同様。

 彼らが犯した罪自体は許さないが、彼ら個人に思うことなど一つもなかった。


 絶対に失くしたくない、大事な人たち以外全部どうでもいいから。

 大抵のことはにこにこ笑って流し、人を嫌ったり憎んだりしないのは、どうでもいいことに割く感情など持ち合わせていないから。


 自分は本来人が持つべき感情の中でどこかが欠けている。もしくは麻痺している。

 ずっとそう思ってきた。でも、たった今、その考えを改める気になった。




「あたしは……、あんたが世界で一番キライ。大っ嫌い……!」

「だから??それより、相変わらず速いだけでワンパターン……」


 ハイディマリーの視界から突きを繰り出したロザーナの姿が突如消える。


「どこ見てるのかしらぁ!」


 視線を上向けたハイディマリーがハッとする。

 ロザーナは床につくすれすれまで上半身を低め、ハイディマリーの足元を狙い、滑り込む。


「ぎっ……」


 ハイディマリーの左脛に剣が貫通した。右足にももう少しで剣先が届く。

 突き刺さった剣先を引き抜こうと美しい顔を苦悶に歪め、ハイディマリーは左足をもがかせる。が、無理に引き抜こうとすればするほど、血が流れるばかり。

迫る剣先を避けようとする右足の動きも間に合っていない。いける!


 剣先が届くまであと少し──、直前でハイディの左足が素早く動く。

 え、と思う間に、左足に刺さった剣先は引き抜かれた。


「よくも私に傷をつけたわね!」


 苦痛と怒りに歪んだ顔で、ハイディマリーは左足を大きく振り回した。

 ほんのわずかに動きを止めてしまったロザーナの剣に血まみれの左足が振り下ろされ、やむなく短剣から手を離す。


 短剣が落ちる音が辺りに大きく鳴り響く。

 無理な態勢で突っ込んだロザーナはバランスを崩しかけつつ、ハイディマリーから距離を取った。


 心身共に屈強な男でも片足を深く刺突されたら、立ち続けるのは困難な筈なのに。

 ハイディマリーが倒れる気配はまったくない。


「頭にきた。あんたの綺麗な顔、二目と見られないようにしてやる。脳味噌より中身つまってそうなその胸も抉り取ってやる。あとはミイラになるまで吸血して……」

「できるものならやってみればぁ??立ってるのもやっとでしょお??」

「別に立つ必要なんかないわ」


 息を荒げ、右へ左へ身体を揺らすも、ハイディマリーは大きく蝙蝠羽根を広げた。


「待っ……!」

「つわけないでしょ??馬ぁ鹿」

「った……!」


『馬ぁ鹿』のタイミングで、ハイディマリーはロザーナを傷ついていない右足で足蹴にした。トゥーシューズの爪先が蟀谷に直撃し、血が滲む。


「あは!これなら顔潰せ」

「ると思うー??」


 蟀谷から頬を伝う血を拭うと、ロザーナはスタンが投げたものと同じかんしゃく玉式の小型爆弾をハイディ目掛けて投げつけた。


 その場で目を瞑り、耳を塞いで床に伏せる。

 小規模な爆発音と激しい振動が襲い、高い天井からぱらぱらと零れる粉塵が上から降り注ぐ。

 最上階のこの部屋、今さっきロザーナが作った天井の大穴からは薄闇へ変わりつつある空が覗いていた。


 その薄闇の空へ向かって、態勢はやや不安定ながらハイディマリーは蝙蝠羽根を広げ、天井の穴から飛び立とうとしている。


 外したなんて!

 無意識の舌打ちは己に対してか、高笑いするハイディマリーに対してか。


「あっはは!あんたやっぱり馬鹿すぎ!!逃走の手立てしてくれるなんて!!」


 引きずり降ろしてやる。

 助走をつけ、思いきり天井へ向かって高く跳ぶ。


 今度は後頭部を強く蹴っ飛ばされた。

 続けて二、三度頭を蹴り飛ばされ、正面からも強く蹴りを入れられた。

 しかし、ロザーナは怯むどころか、頭が痛もうが鼻血が出ようが構わずハイディマリーの足を斬りつけようと、剣を振るう。が、するりと躱されてしまった。


 人間のロザーナではどうしても滞空時間に限りがある。

 一度攻撃を外したら、もう一度仕切り直しで跳ぶしかないが、ハイディマリーに追いつけるほど高く跳べるか、少し自信が──、否、やるしかない。


 鼻血の痕を手の甲で雑に拭い、再び飛ぼうとするロザーナの元へ、ミアが必死の形相で駆けてきた。



「ロザーナ!私を踏み台に!跳んで!!」

「わかった!!」


 一瞬で意図を理解すると、ミアの肩に飛び乗り、もう一度高く跳ぶ。


「なっ……!?」


 ロザーナが、もう一度自分と同じ高さまで跳ぶなんて夢にも思っていなかったに違いない。

 空中で絶句し、固まったハイディマリーの喉元狙い、ロザーナは剣を突き入れる。わずかに掠った!


 でも、ダメ。

 また落ちる!


「ロザーナ!跳んで!!」


 落下し始めたロザーナの足元でミアが叫ぶ。

 あとは身体が勝手に動いた。


 さっきと同じく、ミアの肩を踏み台に高く跳び、ハイディマリーへと向かっていく。


「あんたしつこいのよ!!!!」

「あんたの方こそうち双頭の黒犬にしつこく絡んできたんじゃない!!いい加減にしてよ!!自分がからっぽで何にも持ってないからってあたしに八つ当たりしてこないでよっっ!!!!」


 ロザーナの怒りと憎悪に呼応するように、双剣バゼラルドがぎらぎら、不穏に黒光る。

 そして、遂にその切っ先がハイディの首を貫く、かに思われた。


 貫くまさにその直前、ハイディマリーが凄まじい速さを持って剣から逃れ、一足飛びに天井の空洞から外へ飛び出していったのだ。


「待っ……」


 すぐにハイディマリーの後を追うべく、ロザーナは足元で羽根を広げるミアの肩を踏み台に──、しようとして、ミアの位置とロザーナが降りた箇所が本当にわずかにだが、ずれてしまった。

 しかし、そのずれは大きな誤差を生む。


「そのまま落ちろ」


 いつの間にか頭上へ降りてきたハイディマリーがロザーナに伸ばした腕が、凶器のごとく鋭く尖った爪が、左頬を大きく抉り、傷つけた。


 突然の痛みと衝撃に成す術もなく、ミアの悲鳴が徐々に遠のいていった。









(2)


「自分でなんとかする!あとは頼んだからぁ!!」


 落ちていくロザーナが最後に放った言葉で、ミアは彼女を追うよりハイディとの対峙を優先することに決めた。


「見殺しにするわけ??最低」

「違う。ロザーナは必ず戻って来る」

「馬ぁ鹿。あんたと違って羽根もないのに無理でしょうが」

「羽根がなくたってロザーナなら切り抜ける」

「は??なに言ってんの??馬鹿じゃないの??」


 ハイディはくるっとミアに背を向け、再び吹き抜けの天井へ向かう──、向かいかけて、蝙蝠羽根で嵐のごとき旋風を巻き起こす。

 吹き飛ばされそうになりながら、ミアも負けじと強い旋風を巻き起こし、ハイディへとぶつけにかかる。だが、ハイディが起こした風力と勢いに押し流され、ミアは壁際まで吹き飛ばされてしまった。


「あははは!ざまあないわね!!」


 壁にぶつかった反動を利用し、もう一度羽ばたいたもののすでに遅し。

 甲高い笑い声を上げながら、ハイディは空洞から遂に外へ飛び出していた。


 まずい。絶対に外へ逃がす訳には──


「ぎゃあああ!!!!」


 ミアが青褪めた次の瞬間、盛大な悲鳴と共に、飛び出したばかりのハイディが転がるように屋内へ落下してきた。

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