第120話 激震が走る

(1)


 アードラの方へ、厳密には教会の玄関ポーチへふらり、よろめきながら歩み寄る。


 まだ間に合う。まだ助けられる。

 大柄で鍛え抜かれた兄の身体はそう簡単に焼かれたりしない。煙にだってちゃんと対処している。ましてや命を落とすなんて有り得ない。


 諦めるにはまだ早い。助けに行かなきゃ──


「?!?!」


 もうすぐ玄関に辿り着く。逸る気持ちで伸ばした腕は、ドアノブに届くよりずっと早くアードラが掴み取る。放して、と言おうとしたが、言えなかった。

 アードラはラシャを幼子のように正面から抱きかかえ、そのまま全速力で教会の敷地から脱出を図ったのだ。


「やだぁああ!置いてかないでよぉおお!!」


 燃え盛る教会が遠ざかっていってしまう。


 なんで置いていくの。

 なんで助けてくれないの。


 このままじゃお兄ちゃんが死んじゃう──



「お願いぃぃいい!!止まってよぉぉおお!!おにいちゃんんん!!!!」

「舌噛むから黙ってろよ!!!!」


 片手を目いっぱい伸ばし必死に叫ぶも、聞いたことのない荒々しい声で怒鳴られる。

 いつもなら負けじと怒鳴り返すけれど、今のラシャにそんな気力などない。

 だが、怒鳴られたことでほんの少しだけ混乱が収まりつつあり、すん、と鼻をすすり、ただ黙って嗚咽を漏らし続けた。


 どのくらいアードラは走っていただろう。

 たぶんそんなに長い時間は走っていないし、案外短かったかもしれない。

 アードラの脚が全速力から徐々に速足へと切り替わり、ラシャの身体の振動も徐々に小さくなってきた。振動がゆるやかになるにつれ、アードラ以外の誰かの声、太い声質とバカでかい声量はイェルクのものだ。


 アードラとイェルクがすぐそばで何か話しているが、内容はラシャの耳を素通りし、当然内容など頭に入ってこない。心も石のように固まっている。

 もう自分がどうすればいいのか、それ以前にどうしたいのかがもうわからな……


 身体が宙に浮く。

 さすがに、え、と我に返った数秒後。



「いったあ!」

「アードラ!何をする!!」


 ラシャの叫びとイェルクの怒声が重なった。

 冷たく固い土の感触、咲き誇る季節の花々の香り──、ラシャは花壇へ放り投げられていた。


「お前は何を考えている!!」

「何って、正気戻るかなって」

「いくらなんでも荒っぽすぎるだろう?!」


 イェルクの大声とアードラの褪めた声、何より唐突すぎる荒業によってラシャは少しずつ落ち着きを取り戻していき──、同時にどかん!と怒りの感情が爆発した。


「そうよ!あんたねぇ!女子になんてことすんのよ?!」


 花の中からがさがさ立ち上がるやいなや、仁王立ちでアードラへの文句を繰り出す。

 しかし、見下ろしてくる薄灰の瞳も澄ました顔にも反省の色は一点も見当たらない。


「は??この期に及んで女子扱いされたいの??厚かましくない??」

「アードラ!!お前という奴は!!」

「僕たちは今何を優先すべきか、わかってるよね??」


 鋭く突っ込まれ、ラシャは言葉を詰まらせた。

 悔し紛れに睨んでみてもまるで意味がない。

 言葉を詰まらせたラシャに、アードラはわざとらしく肩を竦めると、突然着ていたモッズコートを脱ぎ始めた。怪訝に思っているとコートはラシャの頭上に降ってきた。


「ちょ、うわ!なんなのよ!あんたさっきから何したいのよ?!」

「五分だけ待ってあげる」

「はああぁぁ?!」

「五分だけ泣いていいよ。五分だけね」


 モッズコートをはぎ取ろうともがく手が止まる。

 姿は全然見えないのに気配で何となくだがアードラがラシャとイェルクに背を向けた、気がした。


 いらないわよ!と突っぱねようかとも思ったが、やめた。


 おそらく彼も本当は泣きたいのかもしれない。否、絶対そうに違いない。


 彼はただ仲間を失っただけじゃない。

 教会という場で、家族同然の仲間を失ったという、かつての経験を再び味わったのだから。


 だったら、五分だけ、自分と彼の二人分、思う存分泣こう。


 モッズコートの下で、ラシャは派手に声を上げて泣き崩れた。

 その泣き声に紛れ、「神様なんて最低最悪のクソ野郎だね」と震えた小声でアードラは吐き捨てた。









(2)


「何してんの、愚図ども。早くしなさいよ」


 嘲笑混りの挑発が頭上から降ってくる。

 ハイディのこと、必ず罠を仕掛けている──、例えば、上階に上がった瞬間銃口に囲まれ蜂の巣にされる、逃げ切れない程の大勢の吸血鬼に襲われるか──、に違いない。


「警戒してるの??無駄よ、無駄!無駄なことする間にあんた達全員蜂の巣よ??言っておくけど、下の階の連中なら止める気ないから」


 長机を蹴り飛ばし、封鎖した入口をスタンはさっと横目で確認。

 まだかすかに流れる白煙、ぱらぱらこぼれる粉塵の向こうでは、すでに障害物長机は撤去されている。ハイディとの会話(になっているかは微妙だが)を邪魔してはならない、とばかりに、敵は律儀にも一時待機状態だ。


 もう一度、彼らの姿を横目で確認する。

 軍服によく似た帽子と制服、爛々と禍々しく輝く紅眼に舌打ちをしたくなった。


「貴様、ここ刑務所を完全に乗っ取ったな」

「乗っ取るだなんて相変わらず失礼な口の利き方ね。傷ついちゃうわぁー」

「ほざけ下衆。貴様がそんな喋り方しても気色悪いだけだ」

「随分言いたい放題言ってくれるのねぇー。あんたの可愛い可愛いロザリンドと同じ顔だからぁ、同じ喋り方してあげたのにぃ」

「よく鏡見てから喋ろ。造形は瓜二つでも、貴様は異様にキツくて腐りきった性根丸出しの顔だ。一緒にするな」

「はあ??その言葉、そっくりそのまま返してあげる。あんたこそ、指名手配書に載ってそうな凶悪犯罪者面よね」

「そのくらいでなきゃ賞金稼ぎなんてやってけないんでね。いい加減不毛な応酬で時間稼ごうとするのはやめろ」

「それが嫌ならさっさとこっちへ来なさいよ。来ない限り、私は何も教えてあげないから」


 ふふん、と勝ち誇った嘲笑だけで美しくも冷たく憎らしい表情が想像できてしまうが、ハイディの言う通りに動いていいものか。袋路地袋小路の状況は依然変わらず、焦りと苛立ちばかりが募っていく。しかし、悩むスタンに救いの手が差し伸べられた。


「私が超音波で上階の様子を探ってみよう」


 救いの手を差し出したのはヴェルナーだった。

 正直なところ、彼のことを完全に信用している訳じゃない。が、今回ばかりは縋ることにした。


「……頼む」

「承知した」


 キィ、キィ、と、老いた顔と滲み出る威厳に似つかわしくない甲高い声が、ヴェルナーから発せられる。

 真剣な面持ちで虚空を見上げるヴェルナーの横顔を、スタンもロザーナも固唾を飲んで見守る。見守りながら、それぞれの手には銃のグリップが握られている。

 いつ何時なんどき入り口の連中が攻撃を仕掛けてくるか。そちらへの警戒も怠らない。


「……安心するといい。ハイディ一人の気配しか感じられなかった」

「了解。助かった、礼を言う。さっきの指示に従ってくれ」

「承知した」


 ヴェルナーの返事が遠のく。スタンが返事を待たずに跳んだからだった。

 天井の空洞の端、崖のように突き立った箇所に掴まり、素早く飛び上がる。

 衝撃と振動で今さっき掴まった箇所の先端から欠片がぽろぽろ崩れ落ちていく。落ちていく欠片や粉塵を髪や衣服に被りながら、ロザーナを抱えたヴェルナーがスタンの側へと降り立つ。


「やっと役者が揃ったわね」


 ハイディは空洞を挟んでスタンたちと対峙していた。

 波打つ金の長い髪、青緑ターコイズの瞳は頼りない明かりの下でも強すぎるほどの輝きを放つ。対照的に纏うゴシックなドレス、ハイソックス、トゥーシューズはすべて漆黒。この世のすべてを我が身に染めようとする彼女にぴったりの代物である。


「ロザーナ!」

「ロザリンド嬢落ち着きなさい!」


 スタンの耳の横を暗器が数本掠めていった。


「あんたバカなの、死ぬの??あぁ、バカだったっけ」


 両手の指に挟めるだけ暗器を挟み、きつく睨みつけるロザーナを、ハイディは心底蔑んだ目線をくれる。足元に投擲した暗器はすべて床に転がっていた。

 ハイディの背中には大きな蝙蝠の羽根が拡げられ、ヴェルナーよりも、否、彼女の下僕たちよりも禍々しさと毒々しさが上回る真っ赤な双眸。

 羽ばたきで暗器を振り落とし、ハイディの嘲笑はますます大きくなっていく。


「ロザリンドに限らずとも、あんたたち狂った犬ころは救いようのないバカばっか。ほら、見てごらんなさい??国で唯一の吸血鬼の刑務所をこんなにめちゃくちゃにして」

「滅茶苦茶にしたのは貴様だろうが」

「国からの賠償請求物凄く掛かりそう!示談で解決しようにも頼みの伯爵様はこの世の人じゃないし」


 歌うように、楽しげに。

 ハイディの口から到底信じ難い発言が繰り出された。


「待ってハイディマリー、今、貴女……」


 スタンですら言葉を失う最中、ロザーナが喘ぎ、苦しげに問う。


「空挺に張りつかせておいた下僕に、あの伯爵様が一人きりになるのを見計らって襲え、って言ったの。お前の命捨てる覚悟でって。そしたらやってのけてくれたわ!伯爵様は機体諸共、今頃海の藻屑……」

「嘘!嘘に決まってるっっ!!」

「ロザーナ!」


 再び暗器を投擲しかけるロザーナの腕を、寸でで押さえつける。


「挑発に乗って武器を無駄にするな!」

「挑発なんかじゃないわ。本当よ」

「貴様は喋るな!!」

「真実を話して何が悪いの??ほら、証拠」


 ハイディは耳朶を触り、黒真珠に似たピアスを弄り回す。


 ノーマンが操縦しながら吸血鬼たちと争う物音、合間を縫うように唸るエンジンの音、そして──、激しい水音、衝突音の後、すべての音が途切れた。


「烏合だっけ??あいつらに作らせた録音できる受信機。特攻させた連中にも身につけさせたけど、あんた達の技術開発者よりはどうしても数段劣るわね。さすがに海の中じゃ壊れたみたい。溺れ死ぬとこまで聴かせられなくて、残ね……」

「もういい。貴様は二度と喋るな」


 ロザーナを止めておきながら、スタンは穴を飛び越え、喜々と語り続けるハイディを真っ直ぐに狙う。有頂天だったハイディがハッとした時には、スタンが放った弾丸は彼女の眼前に迫っていた。

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