第119話 神様などいないことを知っている⑥

 背後で熱気と共に、ぱちん、と何かが爆ぜる。


「……さっきは、げっほ!助かった、よ」


 袖口で口元を覆っても出続ける咳がうっとうしい。目も煙が沁みて痛い。咳と目の痛みで涙目になってしまうのが気に入らない。げほげほと咳き込みつつも辛うじて、ありがとう、と口にする。


「けほ!なに、その、かお……けっほ、げほ!!」

「いや、お前でも礼を言うんだなと思って」


 失礼な。言い返そうとしたが、噎せて言葉にならなかった。

 毒を吐く余裕を失ったアードラに、カシャは「冗談はさておき」と強面を更に引き締める。

 冗談言ってる場合じゃなくない??と言いたかったが、これも言葉にならない。ムカつく。

 調子を狂わせる煙と炎にイライラさせられる!


「早くここから出るんだ。お前がここに残る理由はない」

「言われなくても……」


 そうする、と答える前に、木っ端みじんにされた各窓から複数の黒い影が堂内へ飛び込んできた。


「は??わざわざ焼身自殺図りにでも来たの??」


 口元を覆いながら喋ることに慣れたのか、もしくは煙に慣れてしまったのか。後者だとまずい兆候だが、喋ってもだんだん咳き込まなくなってきた。

 蝙蝠羽根を広げた黒い影たちは炎と黒煙に囲まれても怯えもうろたえもしない。

 ただゆっくりと、じりじりと。アードラとカシャの方へ近づいてくる。炎が燃え移り、衣服や皮膚が焼ける臭いを発しながら近づいてくる者すらいる。


「気を取られるな。ここ聖堂から出ることに専念しろ」

「わかってるって」


 言いながら、飛びかかってきた者へ向けて一発撃ち込むアードラの横を、ひゅんっと刺付鉄球が空を切って掠めていく。

 鉄球は近づいてくる吸血鬼達を薙ぎ倒し、アードラの頭上を越え、カシャの手元へ戻った。


「連中の相手はこの辺で。キリがない」

「だね。弾の無駄遣いは避けたいし」


 しかし、二人が相手をする気がなくとも、その身を炎に包まれても吸血鬼達は諦めない。最早執念といっていい。ハイディの血の支配にしろ、そうでないにしろ、いささか気味が悪すぎる。

 迂闊に背中を向けることもできず、カシャが鉄球で威嚇しながら少しずつ後退していくより他はなし。火の回りは益々速くなり、炎は二人にまで迫ってきている。


 それでも、亀の歩みながら聖堂からは抜け出した。脇の告解室も通り過ぎかけている。

 扉までもう少し、あと少し──、というところで、突然、扉が大きく開かれ──


「カシャ!!」


 半身のみ振り向き様、叫ぶ。

 叫ばざるを得なかった。


 刺付鉄球モーニングスターを振り回していたカシャの逞しい腕に、太い首筋に、巻きつく青白く華奢な体躯と突き立てられた牙。

 苦悶の表情を浮かべ、二匹の吸血鬼を振り払おうとカシャはもがく。


「クソがっっ!!!!」


 浮浪児ストリートチルドレンの時以来、使ってなかった口汚い悪態が飛び出す。

 弾の無駄遣いを気にしていたことなど頭に血が上った瞬間、忘却の彼方へ。同時にカシャに襲いかかった吸血鬼達の蟀谷こめかみ、額に穴が開く。


「テメーら全員死ねよ。死に晒せ。死んで詫びろよ。何でもいいからとにかく死ねよ」


 カシャが撃たれた吸血鬼を振り落とす間に、アードラはひとり、ふたり、さんにん……と、次々と炎の吸血鬼達を撃ち抜いていく。

 どうせ自分たちと無理心中的な死を覚悟で襲撃したんだ。生憎こちらに死ぬ気はないのだし、勝手に死ねばいい。


「やめろ!アードラ!」


 何発目かの発砲をしかけて、カシャが銃身に掴みかかる。

 天井を向いた銃口から飛び出した弾は、立ち上る黒煙の中へ吸い込まれていく、ように見えた。


「落ち着け!」

「あんたこそ何で平気でいられるの??……思いっきり吸われてるじゃん」


 腕と首筋を伝う一筋の朱に絶望感がいや増す。

 目を背けたくとも逸らせない。


組織うちには吸血鬼が何人もいる。困ったときには助けてもらう」

「いや、そうだけど。そうなんだけど……、そうじゃなくて!」

「ラシャの文句も、否、文句と殴られるのも覚悟する」

「だから……!」


 そういうことじゃない!!

 叫び出しそうになる寸前、揃ってハッと真っ黒な煙に包まれた天井を見上げる。


「え、ちょ……」


 カシャの腕がモッズコートのフードへと伸び──、そのまま扉の外へ向かってアードラは力いっぱい投げ飛ばされた。

 他の者相手なら放り出される寸前で阻止できただろう。けれど、体格も力も速さもアードラよりもカシャに分がある。そのことが仇にも救いにもなってしまった。


 玄関ポーチへ投げ出され、顔を上げたときには天井が崩落し、カシャと吸血鬼たちの姿は炎と煙、瓦礫の中へ消えていた。


「……は……??」


 うそだろ、とか、カシャへの呼びかけ、とか、叫び出したい言葉がいくつもいくつも浮かび上がるのに。どれも喉元でつかえ、つかえた言葉たちがあまりに多すぎて飲み込むことすらもできず。


 はくはく、はくはく。はくはく、はくはく。

 息も吸い込むばかりで吐きだすことができない。


 狙撃銃を支えに、辛うじて立ち上がるもすぐに固い石床に膝をついてしまう。

 もう一度狙撃銃を支えに立ち上がる。再びがくん、と膝が落ちる。

 崩れ落ちている暇なんてない、ないんだよ……!


 なけなしの理性を総動員し、周囲への警戒心を呼び起こす。

 駄目だ。座り込んでいる場合じゃない。立て。今すぐ立て、立て、立て!


 三度目の正直。同じように立ち上がり、震える膝に力を入れる。

 深呼吸を繰り返し、浅すぎた呼吸を整える。


 自分が今優先すべきことは何だ??

 答えは一瞬で辿り着く。

 辿り着いたならさっさと実行しろ。


 一際深く息を吐き、燃え盛る教会へ背を向け──、再びアードラの呼吸は止まった。


 肩を激しく上下させ、真っ赤な顔で息を弾ませるラシャが、呆然と佇んでいたのだった。




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