第116話 神様などいないことを知っている➂

(1)


 静まり返っていた深夜の庭園が俄かに騒がしくなる。

 カシャとラシャを始め、大勢集まった入り口の鉄門へ急ぎ、駆ける。


「イェルク」

「向こうで何か問題が??」


 イェルクの問いに二人は重々しい表情で頷いた。


「そうか。念には念を入れ、住民の避難先を二つ用意しておいてよかった!」

「……ああ。ラシャ。皆を中へ」

「うん」


 カシャの指示に従い、すぐにラシャは引き連れてきた人々を中へ連れて行く。

 いつもと違い、やけに神妙な雰囲気のラシャを見送っていると、カシャの後ろで丸っこい人影が小さく身じろぎした。


「彼は??」


 再び問うイェルクに、珍しく心底憎々し気な目つきでイモを横目で睨み、怒りを抑えた声でカシャは答える。


「ミアやスタンの言うところの悪い吸血鬼だ」

「見れば判るよ。虹彩が真っ赤だし。だから、ここへ再び緊急避難したのか。それにしてもどうした、君にしては珍しく感情的だな!」


 大柄なイェルクより更に背が高く逞しい体格、左の目元の大きな傷跡で誤解されがちだが、カシャの目つき自身体普段は穏やかだ。スタンのような鋭さもアードラのような冷淡さも彼の目には宿っていないし、ラシャの方が余程キツイ目つきをしている。

 その、穏やかな筈のカシャの鳶色の双眸が、今は静かな憤怒に満ちていた。


「何があったか知らないが……」

「……なんだ」

「ん??」

「この男は……」


 カシャの声が、肩が激しく震えだし、浅黒い顔が徐々に赤黒く染まり──、逞しい腕がイモに伸びていく。


「やめるんだ!!」


 イモの胸倉を掴み、殴りかかったカシャを寸でで止める。

 似たような体格、腕力を持つイェルクだからできること。他の者なら振り払われていたかもしれない。


「本当にどうした!君らしくないぞ?!これ以上やる気なら俺も容赦しない!」


 濃紺の単眼できつく睨み、声を荒げればカシャは脱力したようにおとなしく腕を下ろす。しかし、腕を下ろしながらも乱暴にイモを地面へ叩き伏せ、尻もちをつかせた。


「カシャ!」

「わかってる。わかっているが、こいつは、こいつは……、こいつがラシャを攫わなければ」

「……なに?!どういう」

「こいつがラシャの足を焼いたんだ。こいつが全部悪い、の、に……、コーリャンを出て例の女吸血鬼ハイディマリーの配下になって、俺達兄妹に報復するつもりだったんだ!俺達がさっきいた教会にこいつは爆弾を仕掛けたんだ!完全な逆恨み、無関係な人たちまで巻き込むつもりで!これが怒らずにいられると思うか?!」


 カシャの怒りの咆哮が暗闇に響き、夜空へ吸い込まれていく。

 庭園の花々がそよぐのは夜風のせいか、彼の叫びが夜気を震わせたからか。

 かつてない程激怒するカシャにも、報復のためにそこまでするこの吸血鬼にもイェルクは大きな衝撃を受けた。しかし、決して表には出さず、平静を装いカシャへ告げる。


「カシャ。任務中だ。私情は今すぐ抑えなさい」

「イェルク……」

「今の君が最も優先すべきことは他にあるだろう??この男を徹底的に痛めつけることがそうなのか??」

「いや……」

「ところでアードラは??アードラの姿が見当たらないが??」


 イェルクがアードラの名を口にするなり、カシャがハッとした顔を見せた。

 実際に気になっていたのもあるが、意図的に話を逸らしたことで我に返りつつある。


「アードラは、爆弾を見つけて解除するために残っている。制限時間内に間に合いそうにないなら逃げろとは伝えたが、後で俺も戻ると言った……」

「じゃあ行ってくるんだ。それが今の君の最優先事項。違うか??」


 カシャは黙って首を横に振った。


「イェルク……、悪かった」


 今度はイェルクが首を横に振る番だった。


「スタンならもっと冷静でいられたに違いない」

「どうかな??君にとってのラシャは彼にとってのロザーナで、あの二人が今の君たちと同じ状況に立ったら似たような行動取るかもしれない。もしかしたら有無を言わさず瞬殺する可能性だってあり得る」


 軽く冗談を交えて諭せば、ほんのわずかながらカシャの曇っていた表情が緩む。


「さあ、お喋りの時間は終わり。早く行きなさい。でないとアードラの嫌味が三割増しで返ってくるぞ??」


 途端にカシャの眉間に皺が寄り、「それは嫌だ」とうんざりと呟きながら門の外へ出て行った。


「さて!」


 若者の鬱屈なら晴らした。

 イェルクは腰をかがめ、両手を後ろ手で縛られているせいで未だ尻もちをついているイモを引き起こそうとして……、できなかった。


「……何を笑っている??」

「ぶふふふ、ぶぶ」


 豚みたいな(と表現すると豚に申し訳ないが)声で嗤うイモに、イェルクの警戒心が一気に膨れ上がっていく。失礼ながらどう見ても頭は悪そうなのに、無視できない不気味さが悪い意味で目を離せない。


「えぇー、だってさぁ、計画通りだなぁってー」

「計画」

「時限爆弾なんてー、あるようでないようなものだしー」

「なに……??」

「ちょっと汚い手で触んないでってぇ。そんな作り物の金属臭い機械の手でさぁー」


 思わず肩を掴みかけた(カシャのこと言えないな……)イェルクの右手を、イモは蔑みを込めて一瞥し、避ける。


「ハイディマリー様が知恵を授けてくれてさぁ!他の吸血鬼も手伝ってくれるみたいだしぃ!今頃あのムカつくヒョロ男、本物の爆弾でバラバラに吹っ飛ばされてるんじゃないかなぁー??」

「お前はさっきから何を、言っている??訳がわからない!」

「ぶふふふふん!ばぁかばぁか!それが狙いだもんねぇー!!むしろ合図だもんねぇ!!」

「「まさか……!」」


 背後で自分のものよりもずっと甲高い声と重なった。


「やぁああ、僕の可愛い子ぉおお!」

「ラシャ!!」


 ラシャは夜目にもはっきり分かる程青褪めた顔で、イェルクとイモから後ずさっていく。

 ただでさえ大きな猫目をこれでもかと見開き、何度もイヤイヤと首を振りながら。


「ラシャ!待ちなさい!!」


 慌てて引き止めようと伸ばしたイェルクの右手がくうを掠める。

 イェルクの機械の両脚ではすばしこい彼女の後には続けず、鳶色の毛先の残像が門の外、深い闇へ消えていくのを虚しく見送るしかなかった。










(2)


 教会にはなるべく足を踏み入れたくなければ、長居などもっての他なのに。

 忘れた筈の古い思い出を良かったことも悪かったことも、次々と思い出してしまうから。


 それらの思い出を振り払うようにアードラは教会内を探索した。

 と言っても、時限爆弾の隠し場所は大体見当がついている。だって、あのコーリャン豚イモのこと。絶対単純な場所に隠したに違いない。


 アードラ唯一人残った聖堂。己の足音以外の物音は入り口付近にある古時計の音のみ。

 今時ゼンマイ仕掛けなんて時代錯誤も甚だしいけど、骨董屋に出せば結構な額に変わりそう。持ち運ぶには随分難儀な大きさ重さだが……、とまで考え、思い至る。


 やたら響く秒針、揺れる金の長い振り子。

 なるほど。これほど最適な隠し場所はない。


 古時計の前に立ち、振り子の振動を感じながら時計盤の下、硝子扉を開く。


「へー、本当にあるなんて。マジでベタすぎ」


 秒針が身体に当たらないよう、注意を払いつつ揺れる振り子の奥に隠された底面20㎝程の木箱を慎重に運び出す。そっと、そっと。つまらない粗相で木っ端微塵だけは勘弁。

 木箱を床に置いた瞬間、汗がどっと噴き出した。思った以上に緊張していたらしい自分に思わず苦笑する。


「は??なにこれ??」


 緊張解けぬまま、更に慎重に木箱の蓋を外すと同時に尖った声が漏れる。


 箱の中にはたしかに時限爆弾が入っていた。

 筒状爆薬に巻き付けた置時計に、絶縁された電源コードが電極と通電されている──、と、見せかけて。


「なんで、その電極が繋がってない訳。は??意味わかんないんだけど」


 ムカつく。あの豚、あとで絶対ひーひー泣かせてやる。いや、ちょっとやそっと泣いたくらいじゃ許さない。


 激しくイラッとしながらも爆薬だけは回収しようと腰を上げると、一瞬、ステンドグラスの窓越しに不穏な気配を感じ取った。


 急激に高まる緊張と警戒。素早く狙撃銃を構える。

 直後、数多の聖人や聖母子を表した色鮮やかな窓全てが盛大に砕け散った。

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