第115話 神様などいないことを知っている②
(1)
どこを見回しても鉄格子に囲われた通路をスタンとロザーナに続き、ヴェルナーはひた走る。
延々と続く白いストライプの景色は視界を酔わせるが、目の前の状況から一瞬たりとも目を離す訳にはいかない。
「向かって右の二人は白。真ん中は白。左三人は一番左は白で残りは黒。」
自分たちに向かって襲い来る囚人と吸血鬼化した看守を指し、ヴェルナーが叫ぶとほぼ同時に銃声が鳴る。顔面をペイント弾の赤に染め上げた『白』と呼ばれた者が悲鳴を上げ、『黒』と呼ばれた者たちは音もなく床へ伏す。ちなみに白=ハイディに強制支配された者、黒=進んで従う者だ。
スティレットで黒たちを始末するスタンの動きは同族のヴェルナーですら目視不可能。ロザーナもスタンには劣るものの動きの速さは常人のそれとは比べ物にならない。発砲は勿論、排莢や装填の動きに一切の無駄と隙がない。
ヴェルナーが
ペイント弾にまみれ、戦意喪失する者は放置。果敢に襲い来る者にロザーナは拳を叩き込み、一撃で意識を落とす。その間にも前方後方より押し寄せる者達を白か黒か見極め、ヴェルナーは叫ぶ。
自分の役割は、秒単位の隙が命取りになる二人よりずっと楽で安全だが、同胞の命の選別は少なからず精神的に堪える。しかし、元を正せば自分がハイディの増長を止められなかった、長としての不甲斐なさの結果がこの現状。これもまた己への罰と受け止めるべきか。
足元に転がる死屍累々、立っているのが三人だけになると荒い呼気混じりにスタンがつぶやく。
「ロザーナ、今の内に血液カプセルを。じいさん、あんたは周りを見張れ」
かつてはこんな混血の若造から慇懃に命令されるなど、到底有り得なかった。
更に有り得ないのは、憤りを一切感じず素直に従う己の変わりよう。今の己は一族に君臨する器ではなかったと悟ったからだ。
同胞たちがこれからの未来を生きやすくするために、己が犯した多くの過ちを償うために。自尊心も罪悪感も全て捨てると決めた。彼らへの協力もその一環に過ぎない。
床で伸びている『白』たちにミアの血液カプセルをロザーナが飲ませ、再び通路をまっすぐ突き進む。途中、独房が一室分存在せず空きスペースになっている場所を横切りかけ、スタンが急に足を止め、振り返った。
「今度は後ろか!否……、ここに隠れていたのか!」
「挟み撃ちする気なのねぇ!」
「上にもいるぞ!」
スタンとロザーナが頭上を見上げると、二階、三階の独房前の通路にも囚人や看守がいた。
皆、通路の柵に凭れかかり、こちらの様子を真っ赤な目で窺っている。薄暗い所内でいくつもの不気味な赤がちらつき、三人の姿を捉えて離さない。
三人が立つ一階通路、空きスペース、上階──、完全に囲まれた。
じりじりと追い詰められていく。スタンとロザーナは背中を合わせ、少し距離を保ちつつヴェルナーも彼らの側に佇んだ。
「俺は上をやる。お前は下を頼む」
「了解っ」
無茶だ!と止める間もなく、スタンは床を蹴り跳躍した。
「ハイディマリーの義妹よ、君は」
「だいじょーぶよお!ミアのおじいちゃんはおとなしく待っててぇ!」
こちらもまた止める間もなく、吸血鬼の群れへ突っ込んでいく。
百歩譲って同族のスタンならともかく、人間である彼女が相手取るには数が多すぎないか。老いぼれながら自分も加勢した方がいいのでは……、という考えは間もなく消失した。
隙と無駄のなさに加え、先程より格段にロザーナの動きは速い。
吸血囚人、もしくは看守が拳を振り上げた時にはもう、ロザーナの拳が顔面か腹部に深くめり込んでいるか、足払いをかけられて床に転倒している。そして起き上がるまでもなく頭を蹴り飛ばされ、意識を失う。時々、動きを読んで襲いかかる者もいたが、ハイキックで薙ぎ倒したりと変化をつけて対応している。
人間がここまで吸血鬼と渡り合える、否、吸血鬼すら凌ぐとは。
上階でも吸血囚人たちの悲鳴ばかり聞こえてくる。
どちらもヴェルナーが呆気に取られている内に勝負がついていく。
「じいさん、ぼさっとするな。行くぞ」
上階から降りてくるなり、スティレットの剣身を振って血糊を落とすと、スタンはヴェルナーを押しのけるように前へ進む。
「あーん、待ってぇ!」
「早くしろ」
常人離れした戦闘力持ちとは思えぬ声で慌てるロザーナに、スタンはヴェルナーにかけた時より幾分柔らかく呼びかけた。
「さすがにちょっと疲れちゃったわぁ」
と言いつつ、スタンと並んで歩くロザーナの呼吸も歩調も特に乱れていない。スタンも同様に。
「ミアたち早く来ないかなぁ」
「まったくだ。あいつが来なきゃ血液カプセル飲ませた意味ないんだが」
後ろ姿なのでスタンの表情は見えないが、かなり不機嫌そうだ。
「なんかおなか空いてきちゃったぁ……」
「「は??」」
スタンと同じタイミング、似たような声が漏れた。
この緊急事下で何を呑気なことを。唖然としていると、スタンが溜息吐きつつ「……わかった」と確かに言った。
何が分かったと言うのだろう。
嫌な予感に身構えていると「いいか??少しだけだからな!」と自棄気味に叫び、スタンはちょうど
通りがかった部屋──、扉上部に『図書室』と掲示された扉を開けた。
目を白黒させるロザーナと共に、どういうつもりかと目で問えば、気まずそうに視線を逸らされた。
「今夜はまだ長い。
「本当にいいのぉ?!ありがとぉ!」
ロザーナの表情が分かりやすいほど、ぱぁああと晴れていく。
なるほど。事前情報は知っていた。スタンがロザーナには甘い部分があると。
「
「そういうことならば……」
古い紙と埃臭さが漂う室内。
扉以外の壁際に並ぶ本棚、年季の入った色褪せた長机と椅子数脚。
「じいさんも座れ。老体には堪えただろう」
「抜かせ、若造めが」
先に椅子に腰かけ、長机に片肘をついたスタンの皮肉を受け流す。
その時に初めて気づく。彼の青白い額に脂汗が滲んでいることを。
(2)
イェルクはカシャたちより一足早く別の教会へ向かい、スラムやコーリャン人街の人々の避難誘導していた。
幸いなことに吸血化した者は一人もなし。怪我人も全員軽傷。手当も全員終わった。
あとはノーマンの空挺が教会近くに着陸するのを待つのみだが──、到着時間が大幅に過ぎている。
計画はあくまで計画。むしろ狂うこと前提で動くべき。
しかし、その中でも狂ってはならない予定があるのも事実。
その、狂ってはならない予定の一つが空挺の到着だ。
白い石造りのポーチを下り、こじんまりとした、けれど控えめで品のある花々が咲く小さな庭園へ出る。着流しの中で腕を組み、険しい顔つきで夜空を睨む。
ノーマンに限って万が一が起こるなんて信じたくない。
どうせいつものように『ごめんごめーん!』とへらへら間の抜けた笑顔で姿を現すに決まっている。
そう信じたいと思えば思う程、不安が擡げてくるのは何故なのか。
不安を打ち消すように唇を強く噛む。口の中で血の味が広がっていく。
しまった、と内心で悔いていると、教会の門から聞き慣れた複数の声が聴こえてきた。
今回も誰一人欠くことがないといい。
前線に出られない己の無力さを呪いつつ、イェルクは全員の無事を祈ることしかできなかった。
神などいないことは知っているというのに。
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