第113話 地獄へ繋がる再会②

(1)


 受刑者用の運動場出入り口へ続く大階段、監獄が闇に白く聳え立つ。屋根のない、石造りの凸型の建物はひどく無機質で頑強。

 スタンと刑務所の運動場に降り立つと、ロザーナはパラシュートを脱ぎ地面へ投げ捨てた。


 揃って素早く二挺拳銃を構え、用心しながら運動場から監獄の入り口目指して足早に進む。

 消灯時間はとっく過ぎているため独房の窓という窓は真っ暗、囚人たちも就寝中の筈。遠目からでも静かなのは分るし、納得できる。通常であればの話だが──。


「やけに静かすぎないか」


 前を行くスタンが振り向くことなくこちらへ問う。

 ロザーナも引っかかっていたので、「そうねぇ、緊急事態の割に全然騒がしくないしぃ、変な感じがするわねぇ」と答える。


「伯爵からの電話は刑務所に事前に入っていた。だったら少しは対策を講じている筈なのに。独房以外の場所……、廊下の室内灯まで消灯していそうだ」


 そう言いながらもスタンは足を止めようとしない。ロザーナとて足を止める気など一切ない。

 やがて大階段の一段目まで近づき、一段目の段差に足を掛けようとして──、スタンは初めて動きを止める。同じタイミングで入り口から人影が二人に向かって飛び込んできたからだった。


「待て!撃つな!!」


 トリガーを引きかけたロザーナを制すと、スタンは飛び込んできた人物を肩で受け止めた。小柄な体格ゆえ、実際には覆い被さられている状態に近いが。

 軍服に似た黒い帽子、制服の下はシャツとネクタイ。スタンと変わらない年頃の若い看守は血の気を失くし、激しく震えている。


「大丈夫か?!何が起きた!」

「た、助けてくれ!!」

「あぁ!元よりそのつもりできた!!何があったか話せ!」


 スタンに肩を揺さぶられ、怯えきった顔は変わらずとも看守の目にいくばくかの正気が戻った。


「あ、あんた、双頭の……??」

「ああそうだ!」

「あ……、あ、あぁっ!助けてくれ!!頼むっ!!」

「あぁ助ける!だから」

「か、か、かか、看守長が……、看守長が……、実はっ、吸血鬼で……!」


 スタンの両肩を掴み、揺さぶりかけながら話す看守の話を要約すると──、『看守長が実は吸血鬼だった。どうやらあの美しくも怖ろしいハイディの下僕しもべらしい』『看守長とハイディが結託し、刑務所内外から吸血鬼を呼び寄せ、所内を混乱に陥れた』『今所内はハイディに操られた吸血鬼たちが囚人や看守を襲っている』


「……看守長もか。どこまでも用意のいいことだなっ!」

「たたた、頼む!助けてくれ!まだ他の看守が中に残っている!1857番ハイディと関係のない囚人も……」

「あぁ、分かっている。言われるまでもない」


 看守の頬が安堵に緩む。対して、スタンの表情は益々硬くなり、己の肩に掛けられた手をさりげなく外そうとその手に自らのを重ねた。だが、外そうとしても看守の手はびくともしない。


「放してくれ。でないと助けに行くに行けない」


 看守の手を掴むスタンの指に力が籠る。それでも外せない。


「何のつもりだ??今すぐ放せ」


 明らかにおかしい。悲壮感漂わせている割に、看守は自分たちをこの場に押しとどめようとしてくる。

 看守の話に嘘がなければ、一刻も早く所内に潜入しないといけないのに。こんなことで時間を割いている場合ではない。

 放せ、と言いながら、ちらり、スタンはロザーナを一瞬横目で見返してきた。

『状況次第で殴るなり何なり気絶させろ』の意に小さく頷きかけて、ハッとする。


「スタンさん!」


 僅か数秒の間に看守の様子が豹変していた。

 両目は爛々と真っ赤に輝き、大きく開けた口からは下唇まで伸びた二本の牙。


「ハッ!やはりそういうことか!」


 凶悪な吸血鬼と化した看守はスタンの肩をよりきつく掴み、動きを完全に封じようとしてくる。

 ロザーナはざざと運動場の固い砂地に踏み込み、看守の背後に回り込もうとした。が、スタンは制服の襟元を両手で掴み取り、きつく引っ張り上げ──、一瞬緩んだ隙を逃さず、看守を背負い投げた。


 勢い余って投げた看守共々砂地に転がったスタンに代わり、ロザーナは急ぎ看守の側に走り寄り、苦痛に歪んだ顔面を力いっぱい蹴り飛ばす。一回、二回……、三回目でようやく看守が意識を落とした頃にはスタンは土埃を払い、立ち上がっていた。


「すまない、助かった。あの程度でバランス崩すとは……、自分が情けない」


 ほとんど慣れてきたとはいえ、機械義手と身体とが完全には馴染んでいないのだからしかたない。

 ……なんて口が裂けても言ってはならないので、ロザーナはあえて返事をせず、黙って頭を振る。


「気絶している今の内に血液カプセル飲ませておくわねぇ」

「あぁ、頼む。その前に拘束だな」


 スタンはウエストポーチから拘束用の縄を出すと、看守を軽く蹴とばしてうつ伏せにし、両手を後ろ手にさせて縛り上げ。ロザーナは看守の半開きの唇を更にこじ開け、ミアの血液カプセルを飲み込ませた。


 当初の計画では、強制支配された吸血鬼に関しては『多少の怪我はともかく致命傷や殺害は避け、ミアの血液カプセル飲ませること。ミアと国内要人達との会談で事を有利に運ばせるために』だった。

 しかし、看守も受刑者も関係なく吸血鬼化し、ハイディの下僕化していた場合。最悪全員抹殺の必要性が出てきてしまう。せめて区別できればいいが、区別に費やす時間が惜しいし、隙を作るのは大きな命取り。血液カプセルの数だって限られている。



「にしても、まずいことになったぞ……」

「うん……」


 だが、ぼやぼやと躊躇する時間など二人にはない。


「なるべく、しばらく目を覚まさない程度に気絶させる方向でいく」

「了解っ」

「やむを得ないときは……、手に掛ける」


 聴こえるか聴こえないかの小声で返事をする。

 叱責が飛ぶかと思われたが、ちらと視線を送られたのみ。


「また同じような輩が飛び出してくる前に行こう」

「待ちなさい」


 スタンと並んで階段を上がりかけた足を止め、声がした方向を見上げる。

 バッサ、バッサと大きく、優雅でさえある動きでヴェルナーが二人の近くへ舞い降りようとしていた。


「君たちの援護をして欲しいと、クレイ伯爵に頼まれて来た」

「余計なお世話だ。あんたの手など借りたくもな」

「スタンさん!」

「いや彼の心情は最もだろう。だが、ハイディマリーに元より従う者と強制支配で操られている者の区別が君達にできるか??」


 途端にスタンは言葉を詰まらせ、せめてもの抵抗とばかりにヴェルナーを鋭く睨んだ。


「スタンさん。ミアのおじいちゃんの言う通りよぉ??ここは素直に協力してもらいましょ??」

「…………」

「コーリャン人街でも吸血鬼退治に一役買ってくれたしぃ、少しは信じてもいいとあたしは思うけどなぁ??」

「…………」

「スタンさん!」


 正直なところ、ロザーナだって完全にヴェルナーを信用した訳じゃない。ミアには非常に悪いと思うけれど、利用できるものは最大限利用すべきだと判断しただけである。


 目の前の堅牢な刑務所が静寂から一転、にわかにざわつきが漏れてきた。

 それに伴ってぼんやり、ぽつぽつと明かりが灯り始めた。


「おい、じいさん」


 再び階段を上がり出したスタンが、二人に背中を向けたまま呼びかける。


「俺はあんたを信用した訳じゃない。伯爵アールの判断に信頼を置くと決めた。ついてこい」


 ヴェルナーにわざと聞かせるかのように大きく鼻を鳴らすと、スタンは一人で階段をすたすた上がっていく。


「ごめんなさいねぇ。あんな言い方しちゃってるけどぉ、気を悪くしないでぇ??」

「大丈夫だ。むしろ追い払われるものかと思っていた」

「口ではああ言ってるけどぉ、本気で私情に飲まれるようなおバカさんじゃないわよぉ??」

「だと思うよ。……仮にも……」

「え、なあに??」


『だと思うよ』に続く言葉が聞き取れず尋ねるも、「何でもない。忘れてくれ」とはぐらかされてしまった。気にならないと言えば嘘になるけれど、状況を顧みて言われた通り、ロザーナは忘れることにした。


 スタンの後を追い、階段を上がっていくごとに監獄の入口──、地獄への入口へと近づきつつあった。








(2)


 先行くスタンの小柄な背中を眺めながら、つくづく両親のどちらにも似ていない──、顔だけは母親クラウディアそっくりだが──、とヴェルナーは感じていた。




『スタンレイはさぁ、他の子たちと違ってすぐ自己犠牲に走りたがるというか、死にたがりな嫌いがあってねぇ。ちょっと心配なんだよねぇー。誰に似たんだかったら!』

『少なくとも母親でないのは確かだ。あれは生への執着が相当だった。実父のホールドウィン伯にでも似たのではないのか??』

『いいやー??彼は身体こそ弱かったけど決して死にたがりじゃあなかったねぇー。最期まで死にたくないってあがいてたしー??』


 空挺を襲撃した吸血鬼たちを殲滅し終えたあと、ヴェルナーは操縦席の更に後部の座席に座らされ、とりとめのないおしゃべりに興じ始めたノーマンに困惑しながら付き合っていたのだが。

 こんな能天気に話していてもいいのか、と指摘しようとした次の瞬間、耳を疑う発言がノーマンの口から飛び出した。


『っていうか、彼、実は僕のホントの息子なんだよねー』

『……は??』


 自分のものとは思えぬ間抜けな声が思わず口をつく。


『あ、言っとくけど、不義密通した訳じゃないからっ!休暇でカナリッジ長期滞在した時に一時的にクラウディアのパトロンになって……、まぁ、その、若気の至り??でも、まぁ、彼女、なかなか苛烈で強烈な女性だから怖くなって……、逃げちゃったんだよねぇ、僕。で、その尻拭いを全部ホールドウィンがしてくれたんだよねぇ……。僕の代わりに彼女を妻に迎えて、彼を自分の子ということにしてさぁ。だから僕、ホールドウィン家の墓には絶対足向けて寝れないんだよねぇー』


 何故、この非常事態下でとてつもない爆弾発言を聴かされているのだろうか。

 これもまた己が犯してきた行いの罰なのか??そうかもしれない。きっとそう、きっと……??


『……クレイ伯爵。その話は今どうしてもすべき話なのか??』

『別にしなくてもいい、必要のない話だねー。ただ』


 ノーマンの纏う空気がふっと、軽いものからずっしりと重たいものへと変化した。


『本人に伝える気は毛頭ない。知らなくていいことさ。だけど、少し……、黙っていることに疲れてるんだ。王様の耳はロバの耳って穴に叫ぶようなものだ』

『さしずめ私は叫びを受け止める穴、ということか。たしかに私ならわざわざ彼に伝えるだろう心配は少ないに違いない』


 呆れ半分、納得半分で座席に背を預けつつ、不審と違和感が拭えない。

 彼は一体何を考えて重大な秘密を打ち明けた??本当に秘密を抱えることに疲れただけなのか??


『……と、言う訳でさぁ、ヴェーさんにさぁ、スタンレイとロザリンドの援護してきてほしいんだなぁ』



 やられた。

 打ち明け話すらも利用するとは──、本当に食えない男だ。



 かくして、非常に複雑な想いを抱えてヴェルナーは二人の後を追い、刑務所へ降り立ったのだった。

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