第112話 地獄へ繋がる再会①

 目の前に立つ人物の、カルトッフェルにそっくりなあばた面。

 ぼさっとした髪、ずんぐりと丸まった背中、全体的にぽっちゃり小太りな体型。

 いまいち垢抜けないダサい姿は七年前とほとんど変わらない。


 震え上がりそうな身体を、自らの腕をもう片方で押さえつけ、ラシャは必死に恐怖を堪える。さりげなく二、三歩後ずさり、彼との間隔を空ける。


「みぃつけた」


 粘着質な口調が当時を思い出させ、背中に怖気が走る。


 なんで??なんでこいつがカナリッジにいるの??

 腐っても跡取り息子の癖に、なに家を放り出して遠く離れた他国へ姿を現したの??


 自分を連れ戻すため??

 それならもっとずっと早く国境を越え、カナリッジに入り込んだだろう。


 ラシャはもう一歩後ずさった。 後ずさった分だけイモも距離を詰めてくる。


「ハイディマリー様の仰った通りだなぁ」

「……は??」


 なんでイモがロザーナの性悪な義姉を知ってるの??

 ただ知ってるというより、まるで実際の知り合いかのような口振りにも違和感が。


 今度はあからさまに逃げるように後ずさる。

 周囲から不審に思われてもいい。むしろ気付かれたい。

 更に数歩分後ずさる。が、最前列の長机に勢いよく尻をぶつけてしまった。もうこれ以上後ろへ下がることはできない。

 動揺するラシャが面白いのか、イモはニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべ、わざと緩慢な足取りで詰め寄ってくる。


 冷や汗がどっと噴き出し、男物のコーリャン服を湿らせていく。

 気持ち悪い。ぐっしょりと湿り気を帯び、肌に張りつく衣服の感触に更に汗が噴き出てくる。

 もっと気持ち悪いのは目の前のイモだ。ラシャと違い、一見すると汗の玉を一粒も掻いていないのに妙に酸っぱい臭いが漂ってくる。ひょっとして己の汗の臭いと混じっているかもしれないが、それはそれでもっと気持ち悪い!


「ねぇ何で逃げるのさ、僕の可愛い子」

「誰があんたの……!」


 当時受けた恐怖と屈辱、そして、今は感じ得ない筈の痛みが一気にぶり返し、込み上げた吐き気で口元を覆う。いっそこいつに向けて吐瀉物を撒き散らしてやろうか。いけない。臭いとか後始末とか周りに迷惑かけてしまう。兄とアードラにも何と言われるやら。特にアードラには、折を見てはしつこくネタにされそうだ。


 口元を両手で押さえながら、きつくきつく睨みつける。しかし、イモはそれすらご褒美だと言わんばかりに身震いし、にやついた笑みの厭らしさが増していく。


「君の居場所をずっと探して探して、ようやく二年前に発見したんだぁ。声掛けようかと思ったんだけどね、ハイディマリー様に止められてねぇ。『今のあんたじゃ大事な部分潰されて半殺しにされるのがオチ』だから」

「……だからなに」

「『アンタが確実にあのコーリャン娘に報復できるよう、協力してあげる』ってさぁ。『こういうのは時間掛けて実行すべきこと』ってさぁ」

「まさか」

「ハイディマリー様はねぇ、僕を吸血鬼に変えてくれたんだぁ。おとなしくしてれば、コーリャン人街で世話になることもできるからって言うし、吸血鬼になれば君に仕返しできるって言うから信じてさぁ。血を吸われてすごくすごぉく痛かったんだよぉ。責任とってよぉ!」

「こっち来んなやぁああ!」


 悲鳴に似た叫びが、喧騒を掻き消す勢いで聖堂中に響いた。


「ラシャ何してる?!」

「相手は吸血鬼とはいえ一般人だぞ?!」


 正面から抱きつかれかけ、反射的に銃口をイモにつきつけたはいいが──、不味い。

 事情を知らない者が見れば、非武装の一般人に手を出しかけているラシャの方が分が悪い。


「えぇー、酷いよぉ酷いよぉ!双頭の黒犬シュバルツハウンドは吸血鬼でも人畜無害なら只人と同じように守ってくれるんじゃなかったのぉ?!話が全然違うよねぇ!」


『だって、あんたは……』と反論したくても許されない。

 なぜなら、ラシャにとってのイモは有害であってもその他の人々にとって無害なのは紛れもない事実。ラシャが銃を向けた理由だって、説明したところで第三者には私怨私憤としか受け取られかねない。最悪、人によってラシャ一人が犠牲になれば丸く収まるくらい考えるかもしれない。


『アタシはなんにも悪くない!ひとつだって悪くないっっ!!これっぽっちもね!!』


 声を大に、喉が裂けんばかりに人々に、慟哭してでも訴えかけたいのに。

 不信と非難混じりの視線がラシャの全身を深く深く貫いていく。


 掲げた銃口の角度が少しずつ下がっていく。

 イモから徐に逸らした顔も少しずつ下がっていく──



「あんた絶対女の子にモテないよね」


 少し高めで澄んだ声質に反し、脱力したような、突き放した口調。

 いつの間にか、背後で長机を挟んで佇む、ひょろっとした長身の気配。衣服に沁みついた硝煙の臭い。


 物凄く不覚で物凄く悔しいけれど、心底安堵してしまった。

 そんな思いは多分これが最初で最後になるだろう。否、なってくれ。頼むから!


 突如姿を現した爽やかな顔立ちの長身優男に、イモはすっかり呆気に取られ、元々間抜けな面が更に拍車が掛かっていた。

 自分よりだいぶ背の低いイモに一段と爽やかに微笑みかけるアードラに、こいつ一体なに企んでるのかしら、と、不審と期待を半分ずつ込めた眼差しをぎこちなく送る。


 先程の会話を聴かれていたとしてして。

 イモの身の毛もよだつ発言の数々の証拠がなければ、アードラもまた人々の不信を買ってしまう。

 どうすんのよ?!と思いきり首を曲げ、アードラを見上げる。


「ラシャもさ、バカじゃないの」

「はぁああん?!」

「訂正。バカ同然のお人好し」

「その口に銃弾ぶち込むか、潰すわよ?!」

「はいはい。ていうかさ、ここ教会に避難してきた連中全員、本当に信用できると思ってんの??おめでたいね」

「あんた何が言いたいのよ?!」


 一度収めた銃口を、イモではなくアードラに向けたくなってくる。いけない、いけない。我慢我慢。

 当のアードラはラシャの問いに答える代わりに、長机の裏側へ手を入れた。その動作にラシャは彼が言わんとしたことを理解した。


「言葉には気をつけた方がいいよ。カルトッフェルそっくりのおっさん」


 再び爽やかな笑顔を浮かべたアードラの掌には黒い薄箱型の盗聴器。

 さっぱり要領を得ないと言いたげだったイモの青白い顔が、より一層白く変わった。


「あのさぁ、ここに集まった人たちに言いたいんだけど!!!!」

「うわっ?!」


 ステンドグラスの各窓がビリビリ揺れる程のアードラの大声に、思わず耳を塞ぐ。こいつ、こんな大声出せるんだ……。 余りの大声に聖堂内は静まり返り、人々の視線が一挙にラシャ達へ注がれる。


「ラシャは確かに無駄に血の気が多い」

「一言多いわ!」

「本当に潔白な一般人を傷つける真似は絶対しない。ラシャに限らず、うちの連中は全員そうだけど」


 アードラが盗聴器を握ったまま、親指で器用に再生ボタンを押そうとして──、押す直前、イモがラシャとアードラへ飛びかかり──、しかし、イモは二人に指一本触れることなく、主祭壇の方向へ吹っ飛んでいく。


 混乱が広がる中、アードラは盗聴器から先程のイモとの会話を大音量で流している。

 お陰で人々のラシャ達への不信ははっきりと薄れつつある。にしても、こいつアードラの冷静さは羨ましくもあり憎らしくもある……。


「ちゃんと手加減したんだ、おにーさま。さすが」

「その呼び方やめろ」

「お兄ちゃん!」


 イモを殴り飛ばした拳を前方へ突き出したまま、アードラを睨むカシャを見た途端、ラシャは泣きそうになった。けれど、今は堪えることにした。己の感情に囚われていてはいけない。


 事実、すぐに己の感情に構っていられない事態へと陥っていった。

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