第110話 窮鼠を救う➂

(1)


 開け放たれた各部屋の扉から漏れる明かりが、長い廊下をまだらに照らす。

 曖昧な光と薄闇のコントラストに、複数の乾いた笑い声が響く。


「裏切者のミアお嬢様のご登場、ときましたか」


 誰かの皮肉に続き、乾いた笑い声の数は増えていく。

 反論しかけるルーイを横目で制し、ミアは声の方向を黙って注視する。


「貴女は完全に敵側だ。私たちを始末しに来たのでしょう??」

「我々を随分見縊ってくれたものですね。ご自身以外の精鋭は引き連れず、非戦闘員の役立たずの子供たちを連れてくるなんて」

「ルーイもエリカも裏切者。よくも私たちの前に出てこれるな」


 物言いは穏やか且つ丁寧。その分彼らの憎悪と怨嗟は際立ち、ミアの肌をびりびり突き刺す。誤って強い電流に触れてしまったような、全身がある筈のない痺れを訴えてくる。

 無表情を保ちつつ、ノースリーブから剥き出しの左腕を右腕で何度か擦る。それを怖れゆえの行動と解した吸血鬼たちの乾いた笑いは嘲笑に近い失笑へ変わっていく。


「……う、ルーイくんとエリカは違う。二人は裏切った訳じゃない。私が連れて行ったようなものだから」

「ミア姉!ちが」

「ルーイくんは黙って。今は長である私が話しているの」


 少しだけ厳しい口調で咎めると、ルーイはハッとなり、黙って引き下がった。

 しかし、引き下がったルーイとは反対に吸血鬼達のざわつきは大きくなる一方。


「ミア様が長??どういうことだ……??」

「そもそもミア様は今頃ならヴェルナー様とお会いしている筈なのに、なぜここにいる……??」

「ヴェルナー様はどうした……?!ま、まさか」

「裏切っただけじゃなくよもやヴェルナー様をその手に……?!」


 吸血鬼たちの殺気が更に増した。

 大勢の強い感情を当てられて尚、ミアの平静は崩れない。


「私はただ、お爺様がハイディにかけられた洗脳を解いただけ。その洗脳を解いたからこそ、正式に長に任命されたの。今の一族の長はハイディじゃない。私よ」

「……し、信じられるかっ!」

「う、嘘じゃないわっ!証拠ならちゃんとあるもの!」


 エリカがぶるぶる震えながら力一杯叫ぶが、これに対してミアは特に咎めなかった。狙ったわけではないけれど、いい切っ掛けだと感じたのだ。ルーイも同様に思ったらしく、執事服のジャケットから掌大の小型音響装置をさっと取り出してみせた。


 声を張り上げることも反抗も一切してこなかったエリカの抗弁も含め、見慣れない機器の登場に吸血鬼たちは図らずも驚きと戸惑いを隠せない。彼らの些細ながらも確実な動揺に乗じるように、ルーイが装置の再生ボタンを押す。


『いいだろう。ミア、お前はたった今から一族の長となるがいい!!』

『だから君達に出来得る限り協力する』


「……ヴェ、ヴェルナー様だ。確かにヴェルナー様の声、だ……」

「ね??これで嘘じゃないって皆分かってくれたよね??」


 厳密に言えばミアのピアスの受信機、空挺内の盗聴機器の録音したヴェルナーの声を合わせ、最もらしく聞こえるよう編集した。狡い方法な気がするので良心は痛むが、決して嘘はついていない。信憑性を持たせるための演出、ハッタリの使い道──、でも、使いどころひとつ間違えれば、逆効果になり得てしまう。


 先程までのざわつきが嘘のように、吸血鬼たちはしんと静まり返っていた。あまりに静かすぎて不安を覚える程に。

 逆効果だっただろうか。絶対に顔に出さないようにだけは気をつけつつ、内心の不安はどんどん膨らんでいく。


「……ふん、誰が長になろうと私たちには関係ない」


 沈黙の果てにぼそり、誰かがつぶやいた言葉はミアにとって聞き捨てならなかった。


「本当に??本当にそんな風に思ってるの??」

「えぇ、本当ですよ。誰が長になったって自分たちは底辺の吸血鬼なことに変わりない」

「ミア様は人間に肩入れしているのでしょう??どうせ人間側の都合が言いように私たちを」

「そうだね。場合によっては人間側に都合よく見えるかも、ね。でも」

「ほら見たことか!皆聴いたか!認めたぞ!!やっぱりミア様は裏切者!」

「待って、」

「裏切者が長なんて笑わせる!そんな奴は認めない!!」


 話を……と続けたくても、一斉に何十人と飛びかかってこられては冷静に話をする状況じゃない。

 ミアたちと彼らの間は随分距離が離れているが、自棄になった者の動きはめちゃくちゃで却って読み辛い。


「ミア!」

「ミア姉は絶対、絶対手出しちゃダメだからな!」


 ミアが動き始めるより早く、ルーイとエリカが動き出す。

 エリカは肩から下げたポーチからかんしゃく玉を、吸血鬼の群れへと無差別に抜り投げた。殺傷能力はなく、ロザーナやミアが使うより爆発も威力も格段に弱いが、目くらましには充分なる。軽い爆発の間を縫い、ルーイの短剣ダガーが彼らの髪を、皮膚を掠めていく。


 ミアを含め三人にここに集った吸血鬼たちを傷つける意図はない。彼らは本来気弱な性質揃い。意表を突いた攻撃に弱い筈。現に、爆発と、どこから飛んでくるか分からないが正確に身体に当たる短剣に怯み、思うように動けなくなっていた。


「皆!話はちゃんと最後まで聴きなさい!」


 自分のものとは思えない、腹の底から響くドスの利いた低い声に全員がぴたり、動きを止める。

 吸血鬼たちは元より、やや引き気味にこちらを振り返ったルーイとエリカの視線がひどく気まずかった。


「……あのね、私はね」


 軽い咳払いをひとつ。


「血統や力重視で閉鎖的な吸血鬼の社会を少しでも風通しよくできたら、って思ってる。ほら、私だって……血筋はともかくあの社会にあんまり馴染めなかったし、ね。今ここにいる皆がもう少し生きやすい──、例えば、吸血鬼城以外でも暮らせることができたら、とか。もちろん今のままで不満がないなら今まで通りに生きていてもいい。なんていうかなぁ、吸血鬼だって生き方を選択できるようになれたらいいのにって。そうするためには人間側の要求を飲まなきゃいけないことだってある」

「なんだ結局」

「話は最後まで聴いて。まず私たちにはちゃんとした法と権利が必要。例えば血を定期的に人間に分けてもらう代わりに人間を襲うのはやめる、とか。でも、法を定めるために、権利を得るために私たちは人間を安心させなきゃいけない。安心させるためには……、私たちが人間に近づいても問題ないと証明しなきゃ。今の私たちは人間からかなり危険視されてる。このままじゃ人間側が私たちを殲滅するための法を定めるかもしれない。そうならないためにも私は人間たちと話し合う。一度でダメでも何度でも。だけど私の口だけじゃなくて吸血鬼全体の意識が変わらなきゃ……、意味がない」

「……ミア様」

「お願い。皆を守るために私に協力して欲しい。人間と共存でも住み分けでもどちらでも選べるようにしたい。ここで皆が人間じゃなくても私たち三人を傷つけたら元も子もなくなってしまう……、もう皆を守りたくても守れなくなる」


 言葉に声に、熱がどんどん籠るのを感じながら、ふとロザーナと初めて出会った日のことが脳裏に蘇ってくる。そして、自分でもずっと分からずじまいだった、彼女を逃がした真意がやっと理解できた気がした。


 あの時ロザーナを逃がしたのは彼女のためじゃない。彼女を逃がさなければ、絶対にいつまでも自分自身が後悔する、そう感じたのかもしれない。

 だって、今ならまだしも、あの頃のミアは自身のことなんて省みず、しかも仲間を裏切るような形で誰かのために動けるほど心身供に強くなかった。

 目の前の彼らだって、いや、彼らじゃなくても、誰だって他人のために大きな行動に出るのは容易じゃない。けれど、自分のためだと思えばどうだろうか。


「他の誰かのためじゃない。自分のために、自分のためだけに私を信じてついてきて」










(2)


 ラシャにとって組織双頭の黒犬が第二の家族なら、コーリャン人街は第二の故郷といって過言でない。

 その故郷を荒らし、住人に襲いかかる吸血鬼達を死なない程度に蹴散らし。隙を見ては街からほど近い教会に逃げ惑う住人たちを避難させ、残党を狩りつつ取り残された人たちを探し続けていた。


『妻と娘を助けてほしい』


 つい先程まで、ラシャと共に住人の避難や火事の火消しを手伝っていたイヴァンに頼まれたこと。

 ヴェルナーが特殊な超音波を発生させ(ラシャのような人間にはあまり感じ取れない)たお陰でだいぶ吸血鬼たちの戦力削減できたし、二人を助けに行く余裕もできた。否、余裕がなくとも恩人の頼みを無下にするつもりはない。(ちなみにあのジジイはすでに空挺へさっさっと戻っていった。ちょっとあっさりしすぎじゃない??まぁ大分片付けてくれたからいいけど)

 ともかくも崩れた家屋に火事の残り火が燻る街路を駆け、ラシャはイヴァンの駄菓子屋へ向かった。


 ヴェルナーの超音波が余程利いたのか、新たに遭遇する吸血鬼の姿はほとんどなく。遭遇しても超音波にやられて気絶している者ばかり。

 駄菓子屋の周辺に至っては吸血鬼の影すらなく、古めかしい木造家屋の店は外観を見た限りは無事な様子だった。


 ごめん!と心中で謝り倒しながらラシャは店の鍵を壊し、扉を思いきり蹴破る。

 整然とした店内も荒れた様子はなく、しかし、開放された(否、自分が壊したのだが)入り口からいつ何時吸血鬼が押し入って来るか。油断は禁物。

 事前にイヴァンから教えられた、取り外せる床板の辺りを何度も歩き回って確認。僅かな隙間に指を差し入れ、力を込める──。


「小母さん!レイリン姉ちゃん!」

「ラシャ?!」


 暗闇に包まれた狭い地下室にレイリンの青白い顔がはっきりと浮かび、身を寄せ合う彼女の母の顔も確認できた。二人は心底安堵すると、隅に立て掛けた背の低い脚立でラシャの元へ上がった。


「よかった!二人とも無事で!小父さんは街の人たちを避難先の教会へ誘導してるよ!小母さんと姉ちゃんも早く行こっ!」


 また少し安堵で頬を緩める母娘に、イヴァンの元へ速やかへ向かうよう促す。

 今は偶々吸血鬼がいないだけだ。確実に安全が保証されるまで予断は許されない。


「ね、これ……、ラシャがやった??」


 店から外へ出るなり、見事に破壊された入り口扉と鍵を見てレイリンが唖然とする。

 あちゃ、やっぱり突っ込まれた!


「ごめんね、鍵と扉壊しちゃった……!あとで修理代全額弁償するから許してっ」

「う、うん、緊急事態だから全然いいんだけど……」

「ほんっとごめんね!あ、お兄ちゃんならたぶん擲弾ぶっこんじゃってもっと惨憺たる結果に……、あ、でもでも、レイリン姉ちゃん的にはお兄ちゃんのが来て欲しかった??」

「へ??なんでカシャ??別にどっちがよかったとかないよ??」


 解せない顔で首を傾げるレイリンに、『いや、だって、咄嗟にお兄ちゃんの名前を……』と言いかけて、やめる。


「……ははん、さては一方通行ってこと……」

「え、何が??」

「なーんでもなーい!さっ!早く行こ行こ!!」


 二人への緊張を解くためにふざけながらも辺りへの警戒は解いていない。

 一瞬でも気が抜けた時が一番怖いし、教会に到着した後も……。


 カシャとアードラがスラムで手こずっていなければ、ラシャ達が教会に到着するのとほぼ同時くらいで合流できるだろう。気丈に振舞い続けなきゃ。

 街で上がっていた火の手は烏合の他、危険を承知で動いてくれる住人たちのお陰で消し止められつつある。それでも荒廃してしまった街に母娘は再び表情を固くした。先へ進むことを躊躇しかける二人を励まし、コーリャン人街最寄りの教会へ向かう。

 その間も吸血鬼が三人を襲撃することなく、程なくして赤煉瓦と黄煉瓦を組み合わせた教会堂へ到着した。


 聖堂内はいつにも増して人で溢れ返っていた。

 コーリャン人街の他、スラムから避難してきた人々が集まっているからだ。


「イヴァン小父さん探してくるから、聖堂の入り口でちょっと待ってて」


 人混みでの探索は仕事柄得意である。

 堂内に並ぶ長椅子、ヴァージンロードまで人で埋め尽くされる中、人や物にぶつからないようにイヴァンを探す。


 イヴァンは主祭壇の前で誰かと話し込んでいた。

 イヴァンの姿をよく見れば、煤で顔は汚れ、後ろで一つにくくった白髪混りの毛先や着物の一部が焦げていたが、目立った怪我はなさそうだ。

 無事で良かった、と胸を撫でおろし、「イヴァン小父さん!」と呼びかける。


「小母さんとレイリン姉ちゃんを連れてきたよ!今、聖堂の入り口で待ってる!」


 途端にイヴァンの青白い顔に朱が走り、慌てて家族の元へ急ぐ。


「ラシャ!ありがとう……、本当にありがとう!!」


 途中、イヴァンは一度だけラシャを振り返り大きな声で礼を言う。

 苦笑交じりに手を振り返していると、イヴァンと話していた人物がラシャを穴が開きそうな程まじまじと見つめていることに気づく。

 ちょっとさぁ、失礼なくらい見過ぎじゃない??家族の感動の再会にこっちも束の間浸っていたいのに!


 何か??と問おうとしてその人物の顔を初めてまともに見るなり、ラシャの表情は凍りついた。

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