第103話 交渉・其の一①
(1)
現場に警察と軍の手が入った後とはいえ、倒れたテーブルや椅子、壁の弾丸の跡、そこら中に飛び散った血痕などからアードラが潜入調査で立ち回った痕跡は残されたまま。
荒れ果てた室内、かすかに残った死臭と血臭が混ざり合う。背中を這い上がる怖気を堪え、自らの視力を頼りに奥の、比較的きれいな状態のソファーのテーブル席へ進む。
ソファーに腰を下ろすと、ぴちゃん、カウンター向かいのシンクの蛇口から水滴が垂れる。
悲鳴は喉の奥へ押し込め、ホルターネックから剥き出しの腕を交互に擦る。この程度でびくびくしていてはいけない。
気を取り直し、背筋を正す。
しかし、不規則な水音は無人の室内に流れる不穏を、ミア自身抱える内なる不安を煽りたてる。
振り切れない不穏と不安に飲まれないよう、入り口扉に注意は向けつつ、数日前のイェルクとの会話を振り返っていた──
医務室より更に奥、武器開発の作業部屋へと通される。
日当たりの良い医務室とは違い、北側に換気用の小さな開き戸しかないこの部屋は室内にほとんど光が入らない。
まだ昼間なのに夕方だと錯覚しそう。薄暗い部屋、複数の螺子やワッシャ、ナット、あとは何かの部品の一部などがごちゃごちゃと作業台に広げてある。火薬や薬品類の臭いに混じって埃っぽい臭いまで漂ってきた。さては掃除してないと見た……。
「コーヒーでいいか??」
「はい」
「ミルクと砂糖は??」
「できれば両方。お願いします」
「わかった!用意してくるから座って待っててくれ」
イェルクに促されるまま作業台の席に着く。イェルクは一旦退室し、一〇分程でカップを二つ持って再び戻ってきた。
ミルクと砂糖多めのコーヒーを差し出される。白地に青い小花が散ったカップは比較的新品に近そうだが、向かいに座ったイェルクの黒いカップは塗料がところどころ剥げ落ち、年季が入っている。
ミアが熱いコーヒーに息を吹きかけ、ちびちび啜る間、イェルクは何も喋らなかった。
たしかにコーヒーを飲みながら気軽にお喋りする内容じゃない。が、普段は快活な人が黙ると変に不安を煽られてしまう。
咥内を火傷する覚悟でぐいぐい一気に飲み干し、早く本題に入った方がいい。でも、火傷なんてした日には心配と呆れで叱られるのが目に見える。
自分自身に焦れているとイェルクがカップを机上に置いた。
話が始まるのか。まだカップの中は半分以上コーヒーが残っている。
「そろそろ本題に入ろうか」
声量は控えめだが響きには力が籠っている。
カップを机上に置きかけ、「いや、いい。飲みながら聴いてくれればいい」と制されてしまった。
とはいえ、もうコーヒーを飲む気にはなれない。自然、両手でカップを抱え込む形でイェルクの話に耳を傾けることに。
「他国から見たリントヴルムの共通認識は知ってるな??」
「はい。只人と魔女たちは基本的には良好な関係にある。商売、医療の発展にも助力し、上手く共生し合っている──、ですよね??」
「うん、その通り。……表向きには」
「え、でも、リントヴルムじゃ魔女は国防にも貢献してるって、本や新聞紙では……」
「うん、間違いない。間違いではないが……、異能を持つ魔女を恐れ、あるいは疎む余り、ごく一部だが魔女狩りや私刑など迫害する人間たちが過去に少なからず存在した。中には国を統べる軍部関係者もいた。虐げられた魔女たちは人に憎悪の念を燃やし、復讐に走る。それによって人間たちも魔女への憎悪の念を燃やす。他国からは見えないところで互いに裏切りと怨恨、憎悪の連鎖を断ち切れずにいた国だった。ごく数年前まで」
「あ!知ってます!滅亡の危機に陥ったリントヴルムを、半陰陽の魔女様始めとする大魔女様たちと国軍とで一丸になって救ったんですよね??」
「そう。さすがに知っているか。俺はすでにカナリッジに移住していたが、当時はこの国でも大きな話題を呼んだものだったさ」
「じゃあ……。リントヴルム共和国の魔女と人間のように、カナリッジの人間と吸血鬼だって何かの折に手を組むきっかけさえあれば……!」
「そう言うと思ったよ。だがな、ミア。リントヴルムの魔女たちと君たち吸血鬼とじゃ決定的な違いがある」
ミアが一瞬抱いた小さな希望はイェルクの一言によって打ち消された。
以前図書室で調べた情報の断片を記憶から呼び覚まそうと、唇にカップの縁を押しつけ、真顔で考え込む。間近で香るコーヒーの香りが思考を開けていく。
「魔女のほとんどは元人間。私たちは元人間もいるけど純血や混血も多く存在する」
「他には??」
「魔女の異能は魔術の修行で得たもの、私たちの異能は生まれ持ったもの、もしくは吸血されて自動的に付与されるもの」
「あとは??」
「魔女は本能で人を襲ったりしない、私たちには……、血を求めて人を襲う習性、というか、本能に組み込まれてる」
イェルクが難しい顔で腕を組む。次の言葉を詰まらせるミアにイェルクは言った。
「リントヴルムの魔女たち……、特に大魔女クラスともなると人間性もかなりの癖者揃い。不仲同士もいれば、かつて軍への不満分子となった者もいた。そんな大魔女たちが国の危機に助力したのはなぜだと思う??それぞれ個別に理由や思惑もあるだろうが……、大魔女の筆頭、半陰陽の魔女に彼女たちを動かす力があったからさ」
「力……」
「魔力はもちろん、人を動かす力。大魔女の中にはかの魔女様と同等の力を持つ者もいたが、彼女には圧倒的にその力が強かった。だから国中の魔女たちは皆彼女に従った」
「人を動かす、力」
「比べて、カナリッジの吸血鬼は良くも悪くも多様で千差万別。君がハッタリのままに長だと名乗り、国の各要人と共に人と共生、もしくは住み分けるための規則を制定したとしよう。果たして、君を素直に信じ、従う者はどれだけいると思う??」
「……わかりません……」
「ハッタリは時には必要だが……、自分の手に負える範疇に留めておいた方がいい……、と俺は思う」
「イェルクさんは私に半陰陽の魔女様のような、人を動かす力がないと思ってます、か??」
二人の間に再び沈黙が降りた。一秒進むごとに胸が苦しみが増し、痛みを伴う沈黙が。
痛みをごまかすため、すっかりぬるくなったコーヒーを啜る。
ミルクも砂糖も多めに入れてもらった筈なのに、苦いばかりでちっとも甘くない。
「信じていない訳じゃない。ただ」
「……はい」
「最初から何もかも事を上手く運ばせようと焦り、躍起になるな」
(2)
ハイディの処刑日、国家要人との会談の日が刻々と近づくにつれ、イェルクの言葉は頭に胸にのしかかってくる。そして、今から始めようとすることも、彼曰く『躍起になり過ぎている』ことに当たるだろう。
隙間風に混じって流れてきた夜気が室内の闇を一層濃くしていく。
無人のバーで真っ赤な双眸を爛々と光らせ、立てつけが悪くなった(きっと潜入時にアードラが壊した)扉を注視し続ける。
緊張と警戒を最大限払い、扉が開かれるのを待つこと──、何分かだなんて意識する気持ちの余裕などミアは持ち合わせていなかった。扉を潜ってきた人物が誰で、一人かどうかを確認しただけでもう、すでに頭が真っ白になりかけている。
威厳に満ち溢れた声、目線一つで大勢を従わせてきた柘榴色の瞳。
ルーイを追って吸血鬼城へ潜入した時より痩せてしまったが、
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