第102話 糸口
(1)
中天に昇った太陽が白亜の城を、城を囲む樹々の緑を一際美しく輝かせる。
でも、それは遠くで全貌を眺めているからこそ分かること。森の奥深くへ足を踏み入れれば、樹の幹や枝葉、生い茂る草花の影で光の存在は薄くなる。もしくは逆に焼き付くような光の強さに視界を阻まれてしまう。
強い光と影のコントラスト。人の手がほとんど入っていないので何が飛び出してくるか見当はつかない。が、判明している数少ない事柄の一つ、この山では季節に関係なくカメムシが大量発生する──、だった。
首が痛くなる程見上げてみても、巨大針葉樹のてっぺんをミアは見ることができない。できないけれど、代わりに蝙蝠羽根を出現させれば、てっぺんまで飛べる。
数多の樹々から手近な一本を選び、地を強く蹴る。猛スピードで上昇し、てっぺんを目指す。
自らが巻き起こした風に枝葉が揺れ、針のように細く尖った葉がぱらぱら、髪や衣服へ降り注ぐ。
絡まる緑の葉をものともせずてっぺんまで、否、あと少しでてっぺん、というところでミアは飛ぶのを止めた。代わりに太い枝の上へ降り立ち、頭をぶるぶる振って髪についた葉を振り落とす。
「さてと……」
首に巻いていたバンダナを鼻までしっかりと引き上げ、完全に覆い隠す。
幹を軽く撫で、樹に向かってごめんなさいと小さく謝り、渾身の力で幹を蹴っ飛ばすと凄い勢いで樹から離れる。
先程よりも多く振ってくる緑の針と共に、ぼとぼととカメムシたちも落下していく。
「はわぁ!」
中には落下せずミアに向かって飛んでくるものも数匹いて、悲鳴を上げて避ける。
遥か眼下よりルーイとエリカの声がする。内容までは聞き取れないが、この樹は
地上でのルーイとエリカの騒がしい声が空高くまで響いてくる。想定以上にいっぱい落ちたのかも。
今度は別の樹へ移動しようと思ったが、先に二人を手伝った方がいい気がしてきた。上昇したときよりも速く、ミアは地上へ降下した。
例の樹の真下、ミアと同じく鼻までバンダナを引き上げたルーイとエリカは地面に落ちたカメムシを虫取り網で捕っていた。
数匹同時に捕まえるとルーイは汚物を扱うように、網の口を硬く握った手をなるべく顔から遠ざけながらカメムシを虫かごへ移し替える。歯を食い縛るほどの嫌そうな顔にミアは思わず吹き出した。
「ちょっ、ミア姉!笑ってないで手伝って!」
「ごめんごめん!」
「ルーイ、大きな声出しちゃダメだよ。虫が逃げちゃうかも」
幼なじみだからか、エリカはルーイにだけはまったく物怖じしない。また、ルーイとは対照的に、エリカはカメムシの捕獲を楽しんでいた。
地面に落ちたの以外にもそこら辺を飛び回るのを網で追い回し、臭いを気にする素振りが一切ない。
自分の虫取り網と虫かごを手にしつつ、ミアは二人から少しだけ距離を取る。
他の者には未だ顔色窺いがちなエリカに気を遣ったのもあるが、離れた場所へ落ちた、もしくは飛んでいたカメムシを捕獲しようと思ったからだ。
全面暗緑色の世界で、細長い五角形の明るい緑の虫を探すのはなかなか至難の業。
でも、自分の武器の原料(?)なら自分で用意した方がいい。
数日前にアードラが行った潜入調査によると、組織内での造反が判明した、らしい。
足抜けした
ハイディが超音波なり何なりを発して命じたにしろ、彼女の無言の意向を汲んだにしろ、ヴェルナーが主に動いたのは間違いない。
どの程度の量の血を飲まされたか、否、量は関係ないかもしれないが──、どうしてこうなってしまった??何をどこから間違ってしまった??ヴェルナーだけじゃない、彼と自分も含めてこの国の吸血鬼の均衡はもうガタガタに崩れきっている。
ノーマンに大見栄切ったはいいけれど、崩れた均衡も立て直さなければ。見栄だけじゃ、遅かれ早かれごまかせなくなってくる。
下生えの柔らかい草の上、仰向けで転がり、ばたばた藻掻くカメムシへ網を振り下ろす。
彼らはひっくり返ったら最後、起き上がれずに死ぬまで藻掻くことがままある。
今の
カメムシは人間に害意がある訳じゃないが、今の吸血鬼たち、特に城に住まう者たちはわざと攻撃しに来ている。
人間には法がある。吸血鬼には法がない。
吸血鬼は縛られて生きるのを厭う。じゃあなぜ、縛られるのを厭うのに、数百年続く掟には縛られる??掟=法と呼ぶには余りに曖昧模糊とし過ぎている。
大いなる矛盾。自由を愛するようで不自由を好む。
不自由で狭い世界しか知らないから
甘いかな。甘いかも。うん、甘いと思う。はっきり言って甘い。
だけど、『それ
振り下ろした網の中、カメムシは更に激しく藻掻き、強烈な異臭を放った。
この悪臭を濃縮したペイント弾を常用しているとはいえ、やはりこの臭いは耐え難い。
先程のルーイじゃないが、網をなるべく顔から離して虫かごの中へ移し替える。
「ミア姉ー、ちょっと休憩しようよー」
「えー、もうー??」
「うっせ!オレもうこの臭い嗅ぐのキツイもん!」
背後から悲壮感交じえたルーイの呼び声と呆れ返るエリカの声が交互に聴こえてきた。
吸血鬼城の中では居心地悪い思いを抱えて暮らしていた二人がこんなにも生き生きしている。エリカだってほとんど無理やり連れ出したも同然だったのに、今じゃ楽しそうな顔を見せることが増えてきた。
彼らのためにも怖がるな。怯えるな。
ノーマンが設けた国の要人達との一席が刻々と近づいているからって尻込みするな。
ただ、その前に知りたいことがある。
「ねー!ミア姉ー!!聴こえてるー??」
「うん!聴いてるよー!!今そっち行くからー!」
目いっぱい声を張り上げて返事をすると、ミアは二人の元へと戻った。
(2)
廊下が斜陽で赤く染まっていた。
城の窓から見える森は暗緑から黒へと色変わりし始めている。
相変わらず鼻までバンダナを引き上げたまま、三人分の虫かごを手に医務室の扉を叩く。
扉が震えるほど大きな「入っていいぞ!」の声に、扉を開ける。
「ミアか!……っと、
それ、と言って虫かごに目をくれるなり、イェルクは鼻先を顰めた。
「ルーイとエリカはどうした??まさか」
「あ、違うんです違うんです!私がイェルクさんに用事があるから、ついでに三人分持っていくことにしただけで」
「ならいいが」
「決して押しつけられたわけじゃないですっ」
必死になって二人の弁護をすると、あっさりとイェルクは納得してくれた。
「それで俺への用事とは??」
ホッとしたのも束の間、イェルクの問いにミアは固まってしまった。
「あの……」
「うん、どうした??」
なかなか言い出せずにいるミアに苛つきもせず、イェルクはわざわざしゃがんで目線を合わせてきた。すべてのパーツが大きすぎる顔立ちは一見険しく見えるが、濃紺の単眼はひどく優しい。
「あの、もしかしたら、イェルクさんにとってすごく嫌なことを訊くかもしれません」
「そうか。嫌かどうかは俺自身が判断すること。言うだけ言ってみてくれ」
自分は今からこの優しい人を手酷く傷つけるかもしれない。
優しい彼が傷つく顔を見るのが怖い。とてつもなく怖いけど──
「あの……」
「うん」
「イェルクさんは隣のリントヴルム出身ですよね??」
「あぁ。それが何か??」
「その……、リントヴルムは普通の人間と、異能を持つ魔女が共生する国……なんですよね」
「そうだ」
イェルクの表情と声が陰った、気がしたが、ここまで言ったら全部口に出すしかない。
「リントヴルムの歴史も本とかで自分なりに調べてみました。でも、外からじゃなくて実際に暮らしていた人の話が聴きたい。吸血鬼と人間が共生する道のヒントが、少しでも欲しいんです。お願いします!」
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