第100話 真夜中の男子会①
四年近く年月が経てば、白鳥のように優美で美しいこの古城は勝手知ったる場所となる。
だとしても、だとしてもだ。
どこまでも長く伸びる廊下を、真夜中にひとりで歩くのはおそろしくも不安を禁じ得ない。
昼間はステンドグラス風の高い窓から差し込む陽光が真白の壁を、壁や柱、天井の人物彫刻を優しく照らし、聖人聖母の慈愛に満ちているように見える。
だが、手元の懐中電灯のみが頼りの今、闇に飲まれたそれらは不気味としか言いようがない。目でも合ったら最後、命が宿り、動き出しそうに見えてしまう。
「くっそぅ……、今何時だと思ってんだよぉ……」
点滴台を引きずり、医療品の箱を小脇に抱え込む。眠い目をしぱしぱさせ、不気味に静まり返った廊下にガラガラと点滴台の車輪の音が響く。音と共にルーイの頭上で輸液バッグがぶらぶら揺れる。
『左腕が酷く痛むから鎮痛剤を点滴して欲しい』
通信器具のイヤーカフス越しにスタンの声が届いたのは十五分ほど前。
普段はイェルクが対応するのだが、彼はこの日は終日体調が戻らなかったので、代わりにルーイが対応することになったのだ。
イェルクの代わりを務めること自体は全然かまわない。むしろ頼られるのは喜ぶべきこと。
そう自らに言い聞かせ、夜の城内の様相に怯えつつ、スタンの部屋の前に到着した。
「入りまーす。もう入ってるけどー」
ノックののち、返事も待たずに声掛けと同時に室内へ踏み入る。が、すぐに後悔した。
扉正面から見て右側の壁際、ベッドに腰かけてスタンはルーイを待っていた。
彼の膝には銀の長い髪が広がり、人の形をした毛布が横たわっている。ルーイは思わず室内から廊下へあとずさっていく。
「失礼しましたー、リア充爆発しやがれー」
「おい待て戻るなクソガキ。あと声落とせ。起きたらどうする」
しらねーよ。内心毒づき、もう一度室内に入る。
仏頂面で出迎えるスタンに気づかれないようロザーナの様子を窺う。
薄明りに晒されているのに、ロザーナはスタンの膝枕で横になり、規則正しい寝息を立てている。
全身を覆う毛布が肩からずり落ちかけると、機械義肢の左手がそっと掛け直す。ごく些細な動きだが、スタンは徐に顔を顰めた。
点滴台をスタンの目の前まで運び、サイドテーブルに必要な器具等を並べる。
輸液バッグと管を連結させ、テーブル上の置時計を見ながら、管の途中にある点滴筒で薬剤の流出速度を調整。
「針刺すんで腕くださーい」
差し出された右の前腕を手に取り、針を刺しやすような血管を探す。
「針いきまーす。チクッとしまーす。師匠と比べたらうまくないしチクッとじゃないかもしれませーん。ブスッと、ブーッスリやっちゃうかもしれま」
「わかった、もう黙れ。くどいしつこい鬱陶しい」
「うっと……?!」
「ごちゃごちゃ言わずにさっさとやれ!」
くそ、怒られた。ムカつく!
すっかり不貞腐れたルーイは無言で
針がずれないよう固定する。立ち上がってもう一度薬剤の落下速度を確認していると、ボソッと謝罪された。
「夜中に呼び出して悪かった」
「機械義肢の負荷も負担になるし、義肢と筋肉、神経との繋ぎ目も慣れるまでかなり痛むし、しょうがないっちゃしょうがないよ。それよか、腕痛いとか、ない??」
「あぁ。特に問題なさそうだ」
「ん、わかった」
「たぶん輸液が空になるのに一時間ほどかかる。それまで自室に戻ってろ。時間見計らってまた来てくれればいいし」
「ありがたく言葉に甘えてそうしたいんだけどさぁ、万が一ってこともあるじゃん。ちょっとした拍子に針がずれたりとか、薬が管から漏れるとか、血が管を逆流したりとか。たぶんならないとは思うけど、念のため残らせて」
と、言ってみたはいいが、ある可能性に思い至る。
横目で気づかれない程度にロザーナをチラ見する。
「あ、それとも、ジャマ……」
「も何も寝てるだけだろうが。そっとしといてくれるなら好きにしてくれていい」
「好きにしろと言われても」
「大丈夫だ。よほど煩く騒ぎ立てなきゃ簡単に起きない、と思う」
たしかに、スタンとルーイの話し声でロザーナが目を覚ます気配は一向に見られない。
でも、ロザーナの頬にかかった髪を、スタンが柔らかい表情でそっと払いのけてる図とか、見てるだけで気まずいし、かなり恥ずかしいのだけども。
しかたなく所在なさげに、室内を意味なく歩き回る。
あちこち見回して機嫌を損ねても面倒なので、視線は下向きがちに。
クローゼットの側はかすかに靴墨の臭いが漂ってきた。靴磨きが趣味だというのはどうやら本当みたいだ。
「ロザーナ、ミア姉となんかあったのかなぁ」
ずっとだんまりなのも不自然なので、適当に話しかけてみる。
するとスタンの顔が明らかに曇った。やばい、まずいこと言ったかな。
「なんでそう思う」
「え、えーっと……、勘??」
答えるなり、何言ってんだと自分に呆れた。適当さ加減も大概すぎだろ。
しかし、スタンは怒るどころか神妙に考え込んでしまった。
余計なこと言ったのかな、と、そわそわ、そわそわ、気持ちが落ち着かない。
「ルーイ。お前はどこまで知っている」
「何が??」
たっぷり数分は逡巡するとスタンはルーイに問いかける。
「スタンが想像するようなことはなんにもだよ。オレはなんにも知らない。
「お前はそう思うか」
「うん、まあね」
スタンは眉間の皺を益々深くし、眼光の鋭さも増していく。
ロザーナが気を悪くした、というのは失言だっただろうか。
「直接的に揉めたり喧嘩した訳じゃないらしいし、ミアに対しても
「ただ??なに??」
「ミアの変化に少なからず戸惑っていて、かなり心配しているみたいだ」
「そっか……。ロザーナの気持ちは分からなくもない、かなぁ」
「俺もそう思う。……まぁ、ミアの変化のきっかけは俺のせいでもあるけどな」
自嘲と共に、スタンは機械義肢の左手で前髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、側頭部をきつく掴んだ。
鋼鉄製の指で必要以上に力を加えたら傷つけてしまう。
無意識なのか承知の上でかは分からないが──、ルーイはその腕を慌てて引き離した。
「やめろよスタン!それ以上自分を責めるなら
「……わかった」
反発を危惧したが、スタンはあっさり腕を下ろしてくれた。
胸を撫でおろすと、話を戻し気を逸らすことにした。
「要はさ、ミア姉からいろいろ話聴いたはいいけど、ロザーナ的にはあんま納得いかなくて、でもミア姉自身は納得してるから口出しできないし……とかで、悶々としちゃってるってことだろ??」
「そんなところだな……、誰だこんな時間に」
いやいや、あんたもこんな時間に自分を呼びつけたじゃないか!(一応最もな理由はあるけれど)
人のこと言えないよね?!と思う一方、誰が何しにきたのかはどうしたって気になってしまう。
「スタン起きてるよね??扉の隙間から明かり漏れてるし」
「起きてる」
「ロザーナは??」
「……いるにはいる」
「ひょっとしてお楽しみ中??邪魔した??」
あ、こんなこと言うヤツ、ひとりしかいないわ。
「やめろ!下世話なこと言うな!ルーイもいる!!」
「え、うわ……、もしかしてさん」
「お前殺すぞ!!」
「冗談だって。とりあえず入るよ」
「おい、誰が入っていいと……」
「スタンさぁ、諦めたら??アードラには何言ってもムダじゃね??あと、あんまりキレるとロザーナ起きるかもよ??」
盛大に呆れ返り、冷静に突っ込む。
突っ込まれたスタンはハッとなり、膝を見下ろしロザーナの様子を窺った。
その間に、タオルを首に掛け、だぼだぼの長袖ロングTシャツとズボン姿のアードラが入ってきた。
「マジでルーイも言うようになってきたね。でもスタンが僕にキレた意味、絶対わかってないよね??」
「蒸し返すな!」
「あー……、前半はなんとなくわかるけど、後半は」
「教えてあげよっか??」
「アードラ!こいつにはまだ早い!ルーイ!お前もまともに取り合うな!」
スタンの青白い顔は茹でたタコみたいに真っ赤だ。顔だけじゃなく、髪から覗く耳も首筋も。
点滴中の右腕も。衣服から露出した肌すべてが色を変えていた。
「お前、本当に何しに来た??潜入調査に出かけたんじゃなかったのか??」
「あぁ、それならもうとっくに終わったよ。
「点滴もまだ終わりそうにないし、
「ルーイがいても全然いいよ。話の途中でロザーナが起きてもどうってことない。どうせ遅かれ早かれ全員知ることになる話だし」
平素と変わらぬ笑顔をスタンに向けると、アードラはシュバルツビアーの小瓶をスタンに差し出す。
「俺は遠慮しておく」
「あ、そっか。じゃ、ルーイに」
スタンの右腕と点滴台を一瞥すると、アードラはルーイに小瓶を差し出した。
「いやいやいや待って?!オレ、まだ未成年だって!」
「あと一年もしないうちに十五だよね??別にいいでしょ」
「アードラ」
スタンの声音が二トーン程下がり、アードラを斜め下から睨みつける。
怖っ!ガラ悪っ!ロザーナに向けた顔どこいった?!
悪魔も逃げ出すスタンの凶悪顔に戦慄するルーイの横で、アードラはフッと鼻で笑い返し、肩を竦めるのみ。
「二人とも堅いなぁ。つまんないね」
「飲みたきゃ一人で飲め。いい加減話進めろ」
「はいはい、わかったわかった」
自分の小瓶の栓を抜き(栓抜きどこから出した??)、ビアーを一口だけ飲むとアードラはようやく話し始めた。
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