第98話 一か八かのハッタリ

(1)


 その判決はハイディの頭頂部より高い位置から降ってきた。

 声と同じく無感情な裁判官の表情など、顔を上げなくとも容易に想像できる。一段下の検察官も同様に。


「最終意見陳述を」


 目を伏せ、けれど背筋はまっすぐに伸ばす。

 平素の怒りや苛立ち、嘲りはひた隠し、いっそ怖いほど落ち着き払って型通りの反省を述べる。判決に消沈し、これまでの毒気を抜かれてしまったんだと見えるように。


 しかし、退廷を申し渡された時だった。

 審問席に背を向けると、誰にも聞き咎められない小さな声──、唇を動かすことなく咥内でひとこと、漏らす。



『絶対後悔させてやる』












(2)


 ノーマンが解散を告げたあと、ミアだけを残し、他全員は執務室を去っていった。


「いやぁ、ひとり居残りさせて悪いねぇ」

「いえっ!それより話っていったい……??」


 また何かやっちゃったのかな。

 仕事で特に失敗してもいないし、咎められるような覚えはない、筈。

 でもなぁ、無自覚なだけで知らず知らずやっちゃってるとか……。


 正面の執務机、ノーマンの笑顔は変わらない。

 ロザーナにしろノーマンにしろ、常に笑顔を絶やさない人ってときどき物凄く怖い。ノーマンの場合、無言でそこそこ長い時間微笑んでるから余計恐怖心が湧きやすい。


「えっとねぇ」


 やっと口を開いてくれた!


「例の、君の血液を使ったカプセルをね、本格実用化に向けて政府と軍に吹っ掛けようかと思っててさぁ」


 ホッとしたのはほんの束の間。

 予想をはるかに超えた重大極まりない話だった。


「そ、れは……また急な」

「いやーごめんごめん。でもね、ハイディマリーちゃんの処刑確定したじゃない??」

「あ、はい」

「あのお嬢ちゃんのこと、吸血鬼城内だけじゃなくて、城外の吸血鬼も前もって一定数下僕化させてそうだなぁと思っててねぇ。ほら、ハービストゥの吸血鬼しかり、ロザリンドの偏執的な元幼なじみくんとかアードラの元親友くんしかり。あぁ、メルセデス邸でも大勢吸血鬼化させたしね」


 ノーマンの懸念はまず間違いないだろう。

 ミアが吸血鬼城で暮らしていた頃から、ハイディはヴェルナーの目を盗んでは何日か城を抜け出していた。人間を大勢狩るために。


「刑執行までの二か月の間に、下僕化させた吸血鬼使って大きな事件起こすかも……ってこと、ですか??」

「そ、そ!ハイディマリーちゃんが何もしなかったとしても、だよ??彼女の意思を汲んで動き出す輩がまた出てくるかもー??」

「ですね……」


 たった一人の肉親、厳しくも愛する祖父ヴェルナーを思い出すと途端に胸が苦しくなった。

 ハイディに強制支配され、忠実な下僕に成り下がり。ハイディ不在であっても彼女の意思だと言って──、やめよう。今考えることじゃない。


「ミア??」

「すみません、続けてくださいっ!」


 わざと声を張り上げ、先を促す。

 ごく一瞬のみ、ノーマンは怪訝に眉を寄せたが、すぐににこやかな表情に戻った。


「少人数で事件起こすならまだいい。対処の仕様はある。けど、人間側の想定以上の人数で、カナリッジ各地で同時多発的に事件発生したら??」

「確実にまずいですね……」


 メルセデス邸で発生した、不特定多数の吸血鬼との戦闘では精鋭総出であっても苦戦を強いられた。

 更に今現在、精鋭のかなめだったスタンは(機能回復中とはいえ)戦闘不能状態、以前より烏合精鋭外メンバーの人数が減少した組織で対処するには少々、否、あまりに荷が重すぎる、かもしれない。


「だよねだよね?!まっ、僕の杞憂かもしれないけどねっ。でもでも、でもさ、備えあれば憂いなしって言うじゃない??だから一日でも早く、被検っていう形でもかまわない。国から正式な認可もらって、一人でも多くの吸血鬼にあのカプセルを飲んでもらうべきじゃないかなーっと」

「了解、です」

「理解が早くて助かるねぇ」

「あの、血を分けること以外で私に協力できることってなんですか??」


『その他の協力』こそノーマンがミアに話したかったことでは。


「……理解が早すぎてちょっと怖いかなぁ」

伯爵グラーフ


 もったいぶらないでください、と喉まで出かかったところで、ノーマンから笑顔が消えていく。

 彼の真顔はロザーナ以上に見慣れない。その見慣れない顔で、鋭さを湛えた蒼眼で、ミアの紅眼を射抜く。わずかでも逸らすことさえ許さない、とばかりに。


「……カナリッジ国軍最高官シュルツ元帥と僕は繋がっている。彼の他、国軍内と政府内で特に強い発言権を持つ有力者たち数十名の前でカプセルの有用性を説明してほしい」


 ノーマンから目を逸らしたいのに逸らせない。

 身体どころか顔ですら一mmたりとも動いてくれない。

 肚の底から震えが湧き上がってきそう。なのに、実際は岩のように固まっていく。


「結果がどう転がっていくか、はっきり言って未知数だ。生半可な覚悟じゃあ絶対に失敗する。確固たる覚悟を決めたとしても成功の保証もない。成功でも失敗でも、君の身の安全が保証できるとも。もちろん僕は出来うる限り君の身を守るため手を尽くす。ただ100パーセントとは断言できない」

「…………」

「怖いかい??無理しなくてもいいんだよ??できないって断っても、僕は決してミアを責めたりしない」


 ノーマンの顔つきが、声が徐々に柔らかくなっていく。

 徐に顔を伏せ、足元に視線を落とし、ぽつり、ぽつぽつつぶやく。


「正直言うと……、怖い。すごく、すごく怖いです」

「うんうん、わかるよわかる」


 迷っている場合なんかじゃない。

 過去にぐずぐずと迷ったせいで、何度似たような間違い犯してきただろう。


「でも……、私しかできない……、ううん、私だからできることだもの」


 自分一人が人間として暮らせればいいと思っていた。

 ルーイと二人、人間の生活に溶け込めればいいと思っていた。

 スタンも含めて三人、葛藤を越えていければいいと思っていた。

 エリカも含めて四人、否、コーリャン人街の父娘も併せて、生き方が自由に選択できたらいいと思った。


伯爵グラーフ。ひとつだけ、お願いがあります」

「なんだい??」


 顔を上げ、もう一度、ノーマンの顔を、目を見据える。


「私のことを、双頭の黒犬シュバルツハウンド構成員であり、吸血鬼一族の長でもあるって、軍部や政府関係者の方々に紹介してください」


 畳みかけるように続ける。


「これは完全にハッタリです」


 堂々と開き直るミアに、今度はノーマンの方が絶句する番だった。

 ノーマンは二の句を継ごうとして、迷い、口を閉ざしかけ──、を何度か繰り返したのち、ふはっ!と吹きだした。


「いやぁ……、ミアも言うようになったねぇ……!」


 苦笑するノーマンに、「いろいろ鍛えられてますからっ」と答えれば、間髪入れずに爆笑されてしまった。そんなにウケなくても、と、釣られてミアも小さく苦笑した。

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