最終章 Welcome To My Blackdog's House

第95話 余裕とは

 ノーマンが吸血鬼城での調査結果等をどう軍部に報告したかは謎だが、現時点で軍が吸血鬼殲滅に動く様子は見られなかった。

 しかし、そのせいかどうかは定かではないがハイディの死刑執行も遅れていた。

 何度棄却されても控訴を一向に取り下げないのも理由の一つだろう。とはいえ、吸血鬼を人の法律に照らし合わせて裁くのは、それも死刑となると意外と難しい。


 結局、良くも悪くも状況に目立った変化はなく、数か月が経過した。







(1)


 人通りの滅多にない狭い路地裏には何が潜むのかわかったものじゃない。普通はわざわざ入り込むことなどありえない。いるとすれば、堅気じゃないか、日陰の身でしか生きられない者か。


 そんな、ある街の、曰くありげな路地裏。昼日中だというのに数人分の駆け音が響いている。


 大人一人通れる程度の狭い建物同士の狭間を男が三人、こけつまろびつ駆け抜けていく。

 薄汚れた壁に身体をぶつけ、腐臭を漂わせたごみが溢れ返ったごみ箱につまづき、ひっくり返し、必死の形相でひたすら駆ける。男たちを追うのは、掃き溜めに不釣り合いな銀の髪靡かせる美女、ロザーナだ。


 汗だくで息も絶え絶えな男たちと違い、ロザーナは息ひとつ切らしていない。壁にぶつかることもなく、転がったゴミ箱を軽々と避け、走る速度を更に上げていく。


 彼らは小児連続誘拐事件で首に賞金を懸けられた。

 最初は身寄りのない浮浪児、そのうち一般家庭の子供たち、遂には上流の家の子供まで浚うようになったため、B級凶悪犯にまで押し上げられた。そしてもう一点、彼らが凶悪認定されたのには理由がある。


 追い詰められた標的たちが振り返り、ロザーナへ銃口を向ける。

 連続で発射される弾を狭い中、紙一重で避けていく。

 当たるどころか掠りもしないせい。驚き、焦る標的たちの弾道は徐々にぶれ、明後日の方向へ跳んでいく。


「うちの狙撃手アードラくらい正確な弾道に見慣れてるとぉ、貴方たちの腕なら見切れちゃうのよねぇ」


 最後の一発を無事避け切ると、にっこりといい笑顔で銃を引き抜く。

 しかし、銃口は標的ではなく上空へ向け、発砲。

 標的たちが呆気に取られた次の瞬間、上空より物凄い速さで降下する小さな影が。


 標的たちが影に反応したときはもうすでに遅かった。

 三人の一人は地に伏し、二人目は頭からカメムシペイントで真っ赤に染まり、呆然と立ち尽くしていた。


 残る最後の一人は蹴り足を避け、ミアの足首を掴んだ。が、叩き伏せられるより早くミアは全身で標的の首に巻きつき、締め付け、顔面に銃口を向け。標的が一瞬怯んだ隙にカメムシペイント弾を浴びせる。 悲鳴と共に標的が倒れる前にミアは肩を蹴って着地。

 追いついたロザーナは、立ち尽くしたまま意識が残っている標的の顔面にハイキックをお見舞いし、意識を落とした。


 折り重なって転がる標的たちが昏倒している間に拘束を。

 ウエストポーチから手錠を出し、ミアにひとつ渡し、自分はふたり素早く後ろ手で手錠をかける。同じようにミアも手錠をかけていたが、動きが少しぎこちないし、苦痛に歪んだ顔をしていた。


「ねぇ、ミア。さっきもしかして、どこか痛めたりしたの??」

「うん……、標的の首を曲げたときに変な風に捻ったかも。でも、たぶん平気」

「え、それ、平気じゃなくなぁい?!」

「そんな、大げさだよ」

「だめだめ、捻挫はちゃんとしないと結構あと引くんだからねぇ??拘束は終わったし、ミアは……、ううん、やっぱりもあたしがやるわっ」

「ん??別にいいよ??今更なんにも気になんてしてないし。それより、吸血鬼はこの中の誰??」


 一瞬、答えに詰まるも、ミアがついさっき拘束した男、手首を痛める原因になった男へ指を差す。

 ミアは無言で腰のポーチから親指サイズの小瓶を取り出した。

 瓶の中から血の色を彷彿させる小さなカプセルをひとつ出し、吸血鬼だという標的の口に放り込み、カプセルを飲み込ませる。


 躊躇など一切ない、流れ作業のような動きは何度見ても複雑な気分に陥ってしまう。

 だがロザーナの気など知ってか知らずか、ミアはどこまでも落ち着き払っていた。







(2)


「また無茶したのか!」


 イェルクの呆れ混じりの大きな声が医務室全体に響き渡った。


「無茶と言うか……」


 言い返しかけて、梟によく似た群青の目に、ぎろり、睨まれる。

 スタンの睨みも怖いが、イェルクもなかなかどうして迫力がある。

 首を竦めてすみません……と小さく謝る他ない。


「あの、イェルクさん。湿布と包帯ですっ」

「ありがとう」


 エリカはぺこっと頭を下げ、退室していった。イェルクはミアの手首に湿布を貼り、包帯を綺麗に巻いていく。


「最近の君は無茶が過ぎる!仕事の度に医務室行きが必要な怪我して帰ってくるじゃないか。今に大きな怪我に繋がるぞ??」

「ご、ごめんなさい」

「俺は謝ってほしいわけじゃない。少しは自重してほしいだけだ」

「…………」


 ミアの謹慎はあの日──、スタンが暴走した日に解除された。

 以降、以前みたいにロザーナと任務をこなすようになったのだが。


伯爵グラーフにも伝えておくが、捻挫が完治するまで仕事は控えてもらおうか」

「え、そこまで大した……」

「たしかに他の者なら止めたりしない」

「……私だからですか??」


 さすがにカチンとなり、声のトーンが低くなる。

 叱責を覚悟してのことだが、イェルクは「違う、そうじゃない」と頭を振っただけだった。


「見縊られたと感じたなら謝る。すまん!」

「じゃあ、なんで……」

「君は普段から全力で動きすぎる。力の配分がまだ上手く制御できていないように見受けられる。そうだな……、平たく言えば余裕が少し足りないんだ」


 自分でも気になっている弱点を指摘され、今度こそミアはぐうの音が出なくなった。


「気分を害したならあやま……」

「い、いえ……、まごうことなき正論だから……」


 座ったまま膝の上に両肘をつき、大きく項垂れる。


「……余裕ってどうすれば身につくのかなぁぁ??」

「年数と経験だろう」

「……ですよね」

「と、言いたいが、それだけでもなかったり。本人の気質も大いに関係するし、一概には言えないなぁ」

「気質、かぁ」


 元来ミアはよく言えば謙虚、悪く言えば卑屈だった。

 昔と比べたら己への自信ははるかに身に着いたが──


「すぐにいっぱいいっぱいになるからなぁ……」


 はぁああ、と溜息をつき、顔を上げる。


「あ、イェルクさん。話は変わるんだけど、今日も作りたいんですけど……」


 そう言いながら、イェルクに腕を突き出せば露骨に渋い顔をされてしまった。


「えっと……、いつもより血を抜く量は少なくていいからっ」

「ミア」

「お願いしますっ!今日抜いてくれたら、捻挫治るまでおとなしくするからっ!ねっ、ねっ、お願いしますっっ」


 ロザーナのおねだりとラシャの押しの強さを合わせて真似してみれば、イェルクの表情は益々渋くなっていく。

 でも、とにかく怯んじゃダメっぽいし、椅子から立ってさらにずずいと詰め寄っていく。


「今日も標的の中に吸血鬼がいてあのカプセル飲ませたから、一個減っちゃったし!使った分だけ在庫増やすべきじゃないですか??」

「ミア近い近い!」

「あ」


 いつの間にかイェルクの羽織を掴み、間近で顔を突き合わせる形になっていた。

 イェルクはミアと自分の顔の間に両手をねじ込み、どうどう、といなしてくる。


「ご、ごめんなさい、つい」

「ほら、これこそが余裕ない態度だぞ!!」


 イェルクの叱責にすとんと力なく椅子に座り直す。


「わかりやすく落ち込まないでくれないか。苛めてるような気になってくる……」

「え、あ、決してそんな風には思ってませんよ?!」

「反応が素直なだけなのは理解してるが……、俺の気持ちの問題だ。……まぁ、いつもの三分の一の量でならいいことにしようか」

「やったっ、ありがとうございますっ!」


 再び勢いよく立ち上がるミアに、イェルクはまったく、とほとほと呆れ返っていた。

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