第93話 閑話休題 林檎飴と東の民⑥

(1)


 帰路を辿る車中、ミアは車窓を流れる景色には目もくれず、手に固く握った林檎飴の赤をじっと見つめていた。正確に言うと、見つめるふりで思案に耽っていた。

 時折、件の発言の真意を探ろうとイェルクの横顔を盗み見、また思案に耽り、林檎飴を見つめる。その繰り返しだ。


 たぶんイェルクはミアの視線にも、視線の意味にも気がついている。でも彼は何も言わない。運転中という状態を差し引いても。住処の城に到着し、車を降りても、あとで直接彼に尋ねてみても、おそらく彼は教えてくれない気がする。


 教えを乞おうとするようじゃ駄目だ。

 自分で考えて答えに辿り着かなくちゃ。

 そうしなきゃ、見えてこないものがある。


 自分たち以外で人と共生する吸血鬼の存在を知れた。それ自体は良かった。良かったが……、結局今回の外出は気晴らしどころか、新たに考えるべき問題が増えただけだった。

 ぼふん、と背もたれに勢いよく背中を預ける。頭上に掲げた林檎飴に落陽の影が落ち、林檎が橙に輝く。綺麗、と見惚れていると、静かだった後部座席で物音がした。

 音につられて後部座席を振り返れば、ロザーナと、いつも以上に困り顔のエリカが向かい合っている。


「あ、ご、ごめんなさいっ。うるさかった……??」

「ううん。それは全然いいんだけど、……なにしてるの??」


 ロザーナの手には緑の林檎飴。エリカのだ。


「エリカが袋を取ろうとしてたんだけどぉ、袋留めてる紐が絡まって外せないから手伝ってるのぉ……、あっ、取れた取れたぁ!」

「ありがとうございますぅうっっ」

「よかったわねぇ」


 礼を言うなり林檎飴をぺろっと舐めるエリカに、ロザーナは満足げに破顔した。

 悶々鬱々と考え込んでいただけに、二人のやり取りにミアの口角は自然と緩み、上がっていく。


「ロザーナは食べないの??」

「あたし??あたしは……、住処に着いてからゆっくりといただこっかなぁ」

「そっか」

「ミアは??久々の外出で疲れたんじゃなぁい??飴でも食べて疲れ取ったらぁ??」


 ん!と手を伸ばしてきたロザーナに、「え、なに??」と問う。


「袋。開けづらいからやってあげるっ」

「い、いーよ!自分でやるからっ!」

「いいからいいからぁ」

「ホントにいいってば……。気持ちはすごくありがたいけど!」


 更にずいっと伸ばされる手を(申し訳ないが)無視し、紐を素早く外していく。

 隣でイェルクが小さく吹きだし、肩を小刻みに震わせている。別に笑うとこじゃないんですけどっ!


 血のように真っ赤な皮を模した飴をちいさな舌でひと舐め、ふた舐め。

 林檎の果汁とほんのりシナモンの香りを含む、甘いだけじゃない飴。でもかすかな苦みにもホッとさせられた。今は、今だけは難しいことを考えるのはやめよう。







(2)


 日はすっかり暮れ、拡がる薄闇に白亜の古城が浮かぶ。

 その古城の一室、薄闇が降りると共に点いた灯りによってスタンの眠りは妨げられた。

 意識が浮上していく一方、目を開ける気にはなれず瞑っていると、いきなりぐっちょりと濡れそぼったタオルを顔面に叩きつけられた。

 ほとんど絞った形跡のないそれは前髪や顔だけでなく、枕、シーツまで濡らしていき──、それでもスタンは起き上がる気にも暴挙を働いた人物(誰かは大体想像つく)を咎める気にもなれず、タオルの下で顔を歪めるのみだった。


「っつ……!なんか反応見せなさいよっっ!!」


 苛立ちを全開にさせたキンキン声に、やはりな、と納得する。


「あのさぁ、ラシャ。一応、病人なんだし、もうちょっとマシな対応してやったら??」

「イ・ヤ・!ロザーナ泣かせたこと、アタシはまだ許してないしっ!!伯爵グラーフに頼まれたから仕方なくやってるだけだしっ!!」

「あっそ」

「ていうか、あんた何でついてきたの?!」

「え、スタンの潰さないか心配だから」

「するかバカッ!!」


 ノーマンと入れ替わりで監視、もとい、様子を見てくれるのだろうが──、こいつらうるさい。うるさ過ぎる。あと、別に熱はないから頭を冷やす必要もない。

 突っ込むべきことが多すぎるが、やはり起きて指摘する気になれない。


「……にしても、弱りすぎ。前はソッコーでキレ散らかしたのにさぁ。ねぇ、スタン。起きてるんでしょ??いつまで悲劇の英雄ヘルトぶってんの??ダサすぎ」


 ラシャの濡れタオル攻撃に続いてアードラの煽りときたか。


「あんた昔よく言ってたじゃん。使い物にならない奴は城から叩き出すって。今のあんたはいつ叩き出されてもおかしくないじゃんね??それともなに、伯爵グラーフの養子だから特別待遇??それってズルくない??」

「ちょっと!そこまで言わなくてもいいでしょっ?!」

「でも間違ったことは言ってないよね??」

「だからって言っていいことと悪いことあるでしょーが!!それ以上言ったら……」

「殴る??蹴る??潰す??いいよ。やれるもんならやってみれば??」


 雲行きがだんだん怪しくなってきた。

 遂には、ラシャがブラックジャックを、アードラが拳銃を構える気配がした。

 明らかにやりすぎだ。右手で濡れタオルを摘まむと、勘を頼りにふたりがいるであろう方向へ思いきり投げつける。


「……お前ら、いい加減にしろよ」


 重たい身体をようやく起こすと、前髪の下から怒りを滲ませふたりを睨み上げる。が、すでにふたりの互いへの敵意は消え、各々武器を下げていた。その代わり、ある一点を注視している。

 なんなんだ、こいつら。鼻白みつつ、ふたりの視線の先をスタンも追う。が、その先にある光景を見た途端、青白い顔が益々青みを帯びていく。


「やだもぉっ!冷たいしびっくりしたぁっ!みんな何してるのよぉ?!」


 開いた扉、青い林檎飴を両手に持ち、ちょうど部屋へ入ってきたロザーナの顔面に、スタンが投げた濡れタオルが命中していた。


「……ロ、ロザーナ、これは」

「ちょっとスタン!ロザーナのご尊顔に何しくさってんの?!ロザーナ、ほら、アタシのハンカチ使って!!」

「スタンさぁ、女子に濡れタオルぶつけるとか最低じゃん」

「元はと言えばお前らのせいだろうが?!どの口がほざく!!」

「スタンうるさいっ!黙ってな!!」

「お前が言うなラシャ!」

「気安くお前呼びすんなっ!」

「うわ、低次元の言い合い……って、ロザーナもロザーナでなんで笑ってんの??」

「えっ、だってぇ」


 スタンと怒鳴り合うラシャに顔を拭われながら、ロザーナは込み上げる嬉しさを隠せないようで、頬を、唇を緩めていた。


「やっと、いつものスタンさんに戻ってくれたものぉ」

「「あ」」

「…………」


 今度はスタンが注目を浴びる番だった。

 心底嬉しそうなロザーナはともかく、他のふたりの生温かい視線は……、少し鬱陶しい。

 居たたまれず、全員に思いきり背を向ける。


「……見るな」

「えぇ、あたしも?!」

「ロザーナはいい。残る二人は見るな」

「あーはいはい、わかりましたわかりましたっ!アードラ、あとは全部ロザーナに任せて退散するわよ」

「言われなくても。馬に蹴られちゃたまんないしね」


 白けた様子でラシャとアードラが退室すると、おそるおそるロザーナに身体ごと向き直る。しかし、左の瞼と頬、首筋に薄く残る傷跡を認めると再び顔を背けた。


「もぉっ!また気にしてるっ!!」


 背けた顔を両手で包み込まれた。かと思うと、強引に向き直された。

 首が軽くゴキッと鳴り、地味に痛い。

 首の痛みに黙って耐えていると、ロザーナはずっと持っていた青い林檎飴二本の内一本をスタンに差し出してきた。


「これ、スタンさんの目の色とよく似てたから」

「……そうか??」

「だからね、あたしも食べてみたくなっちゃったのぉ。一緒に食べよ??」


 壁際から引っ張り出した椅子に座り、ロザーナは林檎飴の袋を外した。スタンは自分の分に手をつけることなく、ロザーナが食べる姿を眺めていた。


「うーん、あまぁ……」

「……飴だから」

「うぅ、ひとりで食べきれる自信ないぃぃ……」


 ひぃ、と小さく呻き、差し出された林檎飴を受け取り、ロザーナが舐めたのと反対側を舐める。何度か舐めたあと、ロザーナへ受け渡す。表面の飴が薄くなってきたら、飴と一緒に林檎に齧りつく。

 これを交互に繰り返し、一本の飴を二人で食べていく。最後の方は全部ロザーナに譲ったが、残るひと口はまさかの口移しで食べさせられた。心臓に悪すぎる。


「この林檎飴売ってた女の人がねぇ、スタンさんと同じだったの」

「……なに」

「お父さんが純血で、お母さんは人間なんだってぇ。でもねぇ、親子そろって見た目以外は全然人と変わりなく暮らしてたのぉ。だからね、スタンさんも……、スタンもだいじょうぶ。自分を責める必要なんてないの」

「…………」

「自信が持てないなら、あたしが貴方の尊厳を守る。もう誰にも傷つけさせない。絶対に」

「……ロザー」


 名を呼びかけた瞬間、身体のバランスを崩してしまった。ロザーナに肩で抱き留められたのが情けない。情けないが──


「……お前には心底敵わない」


 ロザーナの体温、肌や髪の匂いを感じながら、スタンはしばらくの間忘れていた心からの安らぎを思い出していた。

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