第92話 閑話休題 林檎飴と東の民⑤

 ジュージュー音を立て、鉄板に落とした卵が焼けていく。

 てらてら輝く黄身、ふちはややきつね色に焦がした目玉焼きを、例の楕円形のクラッカー(なのか分からないけど)の上に乗せると、店主はソースらしきものとマヨネーズをたっぷりとかける。そして半分に折り、白い紙に包む。


「どうぞ」


 三人分同時に作り、差し出されたなる軽食に、おそるおそるかじりつく。カウンターに横並びで座るロザーナとエリカもおおむね似たような反応……、かと思ったが、ロザーナは何の躊躇いなくかぶりついていた。しかもテーブルにもう一個ある。さすが。

 ソースや油が垂れないよう、もそもそと慎重にたませんをかじっていく。目玉焼きの黄身は半熟でもなく、かといって固くもなく、白身の焼き加減もちょうどいい柔らかさ。ソースとマヨネーズ、目玉焼きを挟む謎のクラッカーの塩気と歯ごたえが旨みを引き立てる。思ってた以上に美味しいかも。

 他の二人も同じ気持ちなのか。無心かつ無言でたませんを食べている。その間、店主は鉄板周りを片付けていた。


「あぁ、おいしかったぁ!」


 全員が食べ終わると、タイミングを見計らったようにロザーナが満足げに叫んだ。


「特にあのオレンジの大きなクラッカーみたいなの??塩気がいい按配だし、目玉焼きの熱さでちょっとしなってきてもそれはそれで美味しかったかなぁ」

「あれはね、クラッカーじゃなくて煎餅っていうんだよ」

「センベー??」


 片づけを終えた店主がいつの間にかカウンターの前に戻っていた。

 年の頃は四十代くらいだろう。白髪が少し混じった前髪を額の真ん中で分け、少し長めの後ろ髪を一つでくくり、青灰色の長着を着ている。髪は黒髪でも顔立ちはミアと違い、カナリッジ人そうろうで彫りが深い。


「そう。の国の焼き菓子でね。海老と米を使って作るんだよ。最も、僕も実物は見たことも食べたこともないし、伝え聞いた方法でそれっぽく作ってるだけなんだけどね」


 店主はそう言うと、カウンター近くの壁に凭れるイェルクと目配せし合う。


「ちょっと表を締めてくるよ」


 店主はカウンターから出ると玄関へ向かった。さっきまでの和やかな空気は緊張に満ちたものへとがらりと変わる。店主が再びカウンターの前に立つと更に緊張が高まった。


「少し前にラシャが店に来てね」


 親し気にラシャを呼び捨てる店主を、ミアだけでなくロザーナとエリカも凝視した。店主は三人の強い視線を変わらず穏やかな表情で受け止めた。


「あぁ、カシャとラシャなら昔から知ってる。それこそ君たちの仲間になる以前からね。まだ少年だったカシャがわずかな小銭を持って、うちの店に菓子を買いに来てた。捨て猫みたいにボロボロの成りで、自分も腹をすかしてるのに妹の分だけ買いに。だから毎回このたませんをご馳走してあげたもんさ。持ち帰り用でラシャの分も持たせて。お代は大人になってからでいいってね。あぁ、話が逸れたから戻すね。そのラシャから、『何日かしたら、イェルクがうちの吸血娘と相棒をこの店に連れてくるかもしれない。そのときは純血の吸血鬼が市井で人とどう溶け込んで暮らしているか、話してやって』と頼まれたよ」


 いよいよ本題に入るかと、居住まいを正す。


「見て分かるだろうけど……、僕は吸血鬼城生まれで純血者。ヴェルナー様も、お嬢さん、君の両親のこともよく知っている。人を狩った経験も何度かある。もちろん、『狩っていい』と事前に人間側からの情報貰った人間のみを狩っていたよ」


 エリカの椅子が一瞬、大きく軋む。狩っていい人間とみなされた彼女にとって、耳にしたくない話だろう。この話題はもう切り上げてもらうよう、続きを促さないと。

 だが、ミアの懸念は杞憂に終わった。


「でも、そのうち閉鎖的に生きる一族や『狩り』に対して疑問を抱き始めたねぇ。外に出なければ城は広く感じるし、この中で一生過ごすのに何の不満も抱かなかった。でも、夜だけとはいえ、外に出れば出る程、城の中がどんどんちっぽけな世界に思えてくる。こんなちっぽけな世界で、何の疑問も持たず、人間を見下し自分たちは優れていると信じ切って一生を終える。なんてつまらない人生か、と。血なんて成長に必要な分、人に分けてもらう形で手に入れればいい。血なら別に人にこだわる必要だってないってね」

「あの……、ちょっと、いいですか……??」


 店主の言わんとすることは分かる、分かるけれど──


「なんだい??言ってごらん??」

「あの……、そうは言うけど。人が、簡単に快く血を分けてくれるんでしょうか??そんな親切な人ばかりじゃない、と思うんです」


 むしろその逆じゃ、と口にする前に、店主は穏やかに微笑んだ。ミアの心中を察するように。


「同胞のお嬢さん。あなたの言う通りだね。強制でない限り、タダで血をくれる人間はそうそういない。でも、僕はそうやって生きてきた。さっき何も人にこだわる必要ないって言ったよね??」

「は、はい」

「コーリャン人街の中で生きると決めたのはね、料理屋や肉屋が多い分、動物の血が手に入りやすいから。特にコーリャン人の基本的気質が『来る者拒まず、去る者追わず』で比較的吸血鬼への差別が緩いし、一旦郷に入れば情に厚い。もちろん、僕もただ分けてもらうだけじゃない。この駄菓子屋営む傍ら、色んな店の手伝いさせてもらってる。僕だけじゃない、娘もね」


 娘??と問うより先に、玄関の戸口を叩く音と「ねー、お父さん!もう店じまいしたのー??」という呼びかけに、問いは喉の奥へ引っ込んでいく。

 聞き覚えのある声に、思わずロザーナと顔を見合わせてしまった。


「ちょっと待ってて」


 店主は再び表を向かうと、鍵を開ける。


「あれ、さっきのお姉さんたち!いらっしゃい!」

「こ、こんにちは」


 入ってきたのは林檎飴屋台の女性だった。

 まさか彼女が店主の娘だとは。驚きよりも納得が勝った。


「ゆっくりしてってね。どうせお客さんそうそうこないしさ」

「ひどい言いようだなぁ」

「ほんとでしょっ。お父さん、お釣り用のコインちょうだーい、途中で切れちゃって」

「だから余分に持っていけって言ったじゃないか」

「はいはい、それより早く!お客さん待ってるし!」


 しょうがないヤツだなぁ、とぼやきつつ、店主は奥へと消えていく。


「お姉さんさぁ」

「え、あ、わ、私??」


『お姉さん』だけでは、三人の内の誰を差しているのか判りづらい。

 しかし、女性の視線はミアに一直線である。


「そう、こっちの、ものすごくキレイなお姉さんと組んでる吸血鬼ってお姉さんなんでしょ??」


 ぎこちなく頷きつつ、なんだろう、とドキドキしながら身構える。

 だが、ミアの心配は再び杞憂に終わった。女性がにこっと笑いかけてきてからだ。営業スマイルではない、おそらく本心からの笑顔で。


「お姉さんが人のために頑張ってくれてるおかげでさ、うちらみたいなのも随分暮らしやすくなってきたよ。ありがとね」

「お待たせ。ほら、小銭だよ」


 なにか言葉を返さなければ、と思うのに、予想外のお礼に胸が詰まり、うまく言葉が出てこない。

 早く、早くなにか言わなきゃ。焦る間にも女性は店主から小銭が入った袋を受け取り、玄関へ向かっていた。


「ありがと、じゃ、うちは戻るね!お姉さんたちもまたねー」


 結局なにも言えなかった。

 ひらひら手を振り、店を出て行く女性に小さく手を振り、見送るしかできなかった。


「まったく、あの子はおしゃべりな子で」

「なんでぇ??いい娘さんじゃないですかぁ」

「そうですか??普通ですよ。あぁ、話を戻しましょう」


 ロザーナの言葉で照れくさそうに頭を掻くと、店主は話を再開した。


「ちなみに妻はコーリャン人でね、娘は混血だ。見た目は僕の方の血が強く出てしまったけど、血に対する欲求は弱いし、身体能力も人とほぼ変わらない。周りも人として扱ってくれている」

「それはコーリャン人街だから、吸血鬼と人が共生でるんでしょうか??他の場所……、例えば、国全体で同じように人と共生したい吸血鬼を人扱いしてもらうのは……」

「どうだろうねぇ。人と共生したがる吸血鬼自体稀有だしなぁ」

「そ、そうかな……」


 意外なことに、今度はエリカが話に口を挟んできた。


「わ、わたし、みたいな、吸血鬼にされた元人間とか……、人の生活に戻れたら戻りたい、って思ってる人、結構いる……んじゃないかなって、思うの……。じ、純血の人だって、ミアや小父さんみたいにお城飛び出したくなる人、いるにはいるじゃない??なんか、こう、ルールというか、取り決めというか、そういうのがあれば……」

「守るべき規範を可視化し体制整えれば、吸血鬼も人も互いに共生なり住み分けるなり、生活の選択肢が増える、そういうことか??」


 カウンター近くの壁際、沈黙を貫いていたイェルクが口を開いた。


「気持ちは大いに分かる……、が、実現は不可能に近いだろうな」

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