第91話 閑話休題 林檎飴と東の民④

 ミアに続き、ロザーナも女性店主の姿に言葉を飲み、財布を握る手に力が入った。エリカも同様に。


「あのう、お客さん??」


 無言で硬直する娘たちを、若き女性店主は深い柘榴色の瞳で怪訝に見返した。傾げた首の動きで一本に編み込んだ黒髪がかすかに揺れる。少し離れた場所にいるイェルクにも緊張が走った、のが気配で伝わってきた。


「あ、その刺青……、もしかしてお客さんたち、噂の賞金稼ぎ??」


 異様な緊張感を破ったのは原因を作った店主本人だった。

 吸血鬼特有の、生者の質感が感じられない容姿に反し、温かみ溢れる声音に緊張がわずかばかり解けていく。


 青白い肌色といい、正真正銘紛れもなく純血、もしくは純血に近い吸血鬼が市井に溶け込んでいるなんて。

 混血や後天性の吸血鬼が人に紛れ、人として生活を営むことはままある。本能と折り合いさえつけられれば、正体を隠し通すことも可能だから。

 しかし、純血となるとほとんど市井で存在を確認できなかった。髪は染めればいいが、虹彩は誤魔化しが利かないので悪目立ちしてしまう。ミアだってこの三年半弱の間、純血そうろうの容姿が原因の苦い経験が多少なりともある。双頭の黒犬シュバルツハウンドに属していてさえも。


 だからこそ信じられない気持ちでいっぱいになった。

 両隣の屋台の店主も客も、道行く通行人も彼女を忌避する素振りを全く見せていない。


 この店主ひとと話してみたい。どうやって人と共生できているのか。

 自分やルーイ、エリカみたいに血が苦手だったり、スタンみたいに鉄の自制心を持たない限り、吸血鬼は人の世界で容易に生きていけない。そう思っていた。

 でも、もしも。実は共生がそう難しいことじゃないのなら。すべての吸血鬼が害悪でないと証明できる──??


「あのっ」

「青二本、赤と緑が一本ずつね!16ウーロで!あ、いらっしゃーい!」


 ミアの問いと店主の声が重なった。ミア達の後ろには新しい客が数人順番待ちしている。

 あ、どうしようと、と迷っている内に、イェルクがお金を出しかけたロザーナを制し、代金を支払っていた。


「ミアの分はこれか??」


 いつの間に店の前に来たの?!と驚いていると、真っ赤な林檎飴を手渡された。


「あ、ありがとう……」

「少し混んできたし、用も済んだから行こう!」

「え、あ!はいっ」


 いつまでも店の前に突っ立っていたら他の客の迷惑になる。

 朗らかに接客を続ける店主を今一度振り返りつつイェルクに従い、ロザーナ達と共に先を進む。


「イェルクさん」

「どうした??」

「さっきのお店の人……」

「あぁ、君とだろう。だからといって、人前で突っ込んだ話題や質問は避けた方が賢明だと思うぞ??」

「…………」

「俺も少し驚いたが、ラシャがコーリャン人街を指定した理由がなんとなくわかってきた。これ吸血鬼と人の共存を教えたかったんだな、と」


 コーリャン人街を訪れたのは今日が初めてじゃない。これまでに何度か足を運んだことがあるが、なんとなく街をぶらついたりなどはしなかったし、、屋台をじっくり見回ったこともないので気づかなかった。ただ、コーリャン人街ではミアが不躾な視線に晒されたり嫌な思いをした覚えもなかったような──、その答えが先程の屋台店主の存在であり、共存がうまくいっている証拠でもある。

 ミアが住処へ来た当初、ラシャとカシャの反応は決して悪いものではなかった。それはコーリャン人街での共存を知るからこそだった、のかもしれない。


「着いたぞ!この店だ!」


 ぼーっと考えている間に時間と足は勝手に動いていた。イェルクの声により、ミアは思考の海から一気に引き戻されていく。

 同じ平屋建てでも黒鉄色の屋根瓦に木造建てのその店は、他と比べて外観が随分地味だった。

 しかし、軒先に並ぶ星に似た形のパステル色の飴(だと思う)や、東方風のボールを模した飴、ミア達が買ったのより一回り小さい林檎飴など充分に色彩を添えている。引き戸が全開の店内では、あまり見たことのない変わった菓子類が陳列されていた。が、売り子らしき人物の影は見当たらない。


「これって、勝手に入っていいのかな……」

「声掛けてみればいいんじゃなぁい??ごめんくださーい!」


 軒先の飴に釘付けのエリカはイェルクに任せ、ロザーナとふたり、そろそろと扉を潜ってみる。

 小さな子供でも届きそうな低い木製棚が縦に三列、棚の上には菓子の入った透明の大瓶が整然と並んでいる。


「えぇ、やす安い……」


 瓶の下部に書いてあった(たぶん)菓子の値段にロザーナと驚きの声をあげる。

 目に入った瓶が細長いチューブゼリーだから??かとも思ったが、一口サイズの薄切り串肉の揚げ物も氷砂糖の飴も魚肉ソーセージも多少の違いはあれど、大して値段の差はない。

 物珍しさから至る所を見回していると、隅にカウンターを発見したのだが、その奥に鉄板らしき物が垣間見えた。鉄板の傍らには、楕円形のオレンジ色のクッキー??ビスケット??とも違う、そもそも菓子なのか何なのかわからない食べ物、籠に入った卵、マヨネーズ、何かのソースが置いてある。


「あれなにかしらぁ??」


 ロザーナ、卵大好物だもんね、そりゃあ気になるよね……。

 二本の青い林檎飴を両手で握りしめ、好奇心に輝く菫の瞳に少しホッとする。どこか作り物めいた笑顔じゃなくて素の笑顔なのも。


「あの材料と鉄板で作る、のかな。全然想像つかないよね……」

「ねー、あぁ、なんなのか気になるぅ!卵使うんだったら何でもいいからぁ、食べてみたぁーい!!」

「なんでもっていうのはちょっと……」

「いらっしゃい。お客さん、それはね、っていうんだよ」


 カウンターと鉄板の更に奥の部屋から、ようやく店主らしき壮年男性が顔を見せた。

 奥とカウンターとを仕切るカーテン暖簾から出てきた店主は、黒髪に柘榴色の瞳、青白い肌の持ち主だった。

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