第90話 閑話休題 林檎飴と東の民➂

 車に乗るのも外へ出るのもいつぶりだろう。


 車窓の景色が深い樹々、生い茂る緑陰から近代的な街並みへ移り変わっていく。

 ガタガタと大きく揺れていた車体も徐々に揺れが小さくなり、ほとんど感じなくなっていく。


 座席に深くもたれる。隣で運転するイェルクを横目で盗み見し、そのまま視線を後部座席へ巡らせる。

 ミアの後部に座るエリカと運転席後部に座るロザーナも、それぞれ個々に外を眺めていた。そわそわと窓に張りつくエリカに対し、窓枠に肘をつくロザーナはどこか心ここにあらずの体だったが。


『行き先は決まってるんですか??』

『うん決まっている!』

『どこに行くんですか??』

『それは秘密だな!』


 出発直前、車に乗降しつつ訊いてみたものの、イェルクは目的地を教えてくれなかった。


『ミアったら、心配しなくってもだいじょうぶよぉ。イェルクさんのことだしぃ、変な場所や楽しくないとこには絶っ対行かないと思うっ』

『そ、そうですって……!きっとだいじょうぶ、ですっ』


 単に訊いてみただけなんだけどなぁ。私、そんな心配症に見えるかな。

 私が心配するのはむしろ、なんて、ロザーナの横顔を見つめていると急に目が合った。じっと見られたらいい気はしないよね……。

 目線でごめんと訴えれば、ロザーナはいいよ、とばかりにふわり、微笑む。

 柔らかな笑顔が却って気まずさを煽る。ぎこちなく正面に向き直り、再び車窓の景色を眺めることにした。

 流れる景色は細長い三角屋根の木組みの家々から、色鮮やかな東方風屋根瓦と白壁の平屋の建物群へと徐々に変化していく。背後でエリカが小さく感嘆の声を漏らした。


「あのぉ、ちょ、ちょっとだけ窓、開けていい、ですか……??」


 エリカの問いに、三人は口々に了承する。

 エリカがぎこちなく窓の開閉ハンドルを回す。窓が少しずつ開いていくごとに流れてくる通りの喧騒は大きく、匂いも強くなっていく。コーリャン語を始めとする早口で耳慣れない異国語、油と香辛料の強い臭い。


「もしかして、コーリャン人街へ行くつもり??」


 ミアとロザーナの声が同時に重なる。


「正解だ!!」

「でも、」


 またロザーナと声が重なった。

 助手席と後部座席で顔を見合わせ、ふふふ……と互いに照れ隠しで舌を出す。


「着いてからのお楽しみというとこだな!」


 でも、に続く言葉をミアが言う前に、察したイェルクに先回りされてしまった。この言い方ではどう訊いてみようとそれ以上の答えは引き出せない気がする。

 ミアは再びロザーナと顔を見合わせると、イェルクに気づかれないように肩を竦め合う。


 車はコーリャン人街で一番広い通りへ横付けに停車した。

 石畳の歩道を行き交う歩行者の大多数は鳶色の髪と瞳を持ち、(カナリッジ周辺諸国の人々と比べて)小柄な体格に彫りの浅い顔立ちの人々──、コーリャン始め大陸東方部の移民、もしくは血を引く者たちだ。


「少し歩くぞ??」


 歩道に連なった屋台から流れる大蒜と香辛料の匂いに気を取られながらも、ミアたちは先導するイェルクのあとをついていく。

 エリカは辺りをきょろきょろ見回し、乗車中のときよりもずっとそわそわしている。自然、他の三人より歩調が遅れていく。

 はじめにロザーナが気づき、立ち止まる。次いでミアもつられて立ち止まる。

 最後にイェルクが立ち止まり、肉饅頭売りの屋台を興味津々でちらちら見ているエリカを振り返った。


「あっ……、ご、ごめんなさい。初めて来たとこだし、ちょっと変わった場所だし、いろいろ気になっちゃって……」


 三人分の視線を一斉に注がれ、エリカはようやく我に返った。


「そっか、エリカもあんまり外に出る機会なかったんだもんね」

「は、はい……」

「ねぇ、イェルクさん。時間はまだあるのよねぇ??」

「ん??あ、あぁ!」

「だったらぁ、目的のお店へ行く前にぃ、ちょっとだけ屋台覗いてもかまわないでしょお??」

「あぁ、短時間ならいいぞ!」


 ミアよりも小さな体を縮こませ、ちょっとだけ目を潤ませていたエリカの表情がみるみるうちに晴れていく。困った表情が多いエリカが珍しく見せた満面の笑みに、ミアもつられて笑みがこぼれる。


「よぉしっ、じゃ早速行くわよぉ!まずはどこのお店行きたぁい??」

「え、えっ……と、あぁっ、待ってくださいっっ」

「ちょ、ロザーナ!エリカ困ってる!困ってるってばっ!」


 有無を言わさずエリカと手を繋ぎ、ぐいぐい引っ張るロザーナにエリカもミアも大慌てだ。そんな女子三人の光景にイェルクも苦笑を禁じ得ない。


「あ、あの、ちょっと道、戻っちゃうんだけど……、あっ、でも、そこまで今いる場所からは離れてないからっ……」

「うん、だいじょうぶだよ??エリカが気になるお店があったなら、行ってみよっか??」


 こくこく何度も頷くエリカの説明に従い、元来た道を戻っていく。


「えっと、この通りと反対側、ちらっと見かけて、気になって……、あ、あそこっ!」


 エリカは車道を挟んで向かい側、幅の狭いテント屋根と荷台で作られた屋台群のひとつに指を差した。その屋台のテントと荷台には真っ赤な林檎の絵に『Äpfelアプフェル Kandierteキャンディアーテ 』の文字。


キャンディアーテアプフェル林檎じゃないんだ??」

「呼び方を逆にしただけじゃなあい??」

「うーん、どうなんだろう」

「とりあえず行ってみるか」


 わざわざ名前を逆にしたのは意味があるんじゃないのか。

 遠目で見る限り、荷台に飾られたはミアが知ってる物と何ら変わりないような気もするけど。

 などと、どうでもいい思考に捉われている内に件の屋台の目の前まで来てしまった。


 赤、青、緑、黄色の飴で表面を固め、長い棒を突き刺した林檎が筒に立てかけられ、荷台いっぱいに並んでいる。通常はトレイの上にそのまま置いてあるが、この店は一つ一つ透明な袋で包装してある。買ってすぐ食べず、持ち帰って食べたい場合便利そうだ。

 艶々と輝く飴林檎ならぬ林檎飴(呼び方なんてどちらでもいい気もするが)に、エリカはきれい、かわいいっ!と嬉しそうに連呼している。


「あのっ、わたしっ、この緑のが欲しいっ!」

「ミアはどうするのぉ??」

「へ??私??どうしよっかなぁ、意外と食べたことないかも」

「じゃーあ、初飴林檎体験しちゃえばぁ??ほら、赤いのなんてミアに似合うわよぉ??」

「似合うって……、服じゃないんだよ??でもせっかくだし……」


 屋台から少し離れ、腕を組んで待つイェルクをちら、と振り返る。

 イェルクはミアの視線に『好きにしなさい』と大きく頷いてみせた。

 そんな高い物じゃないし、いい、よね??


「やっぱり赤いのにしたのねぇ」

「うん。ロザーナは……」


 訊きかけて、愚問だと口を噤む。

 ロザーナが甘い物を欲しがるわけない。


「あたしぃ??あたしは……、青いの二つにしよっかなぁ??」

「えぇ?!」

「すみませーん、これ二つくださぁい!」

「あれ、今日はイェルクさんが……」


『お金持ってくれる』とはっきり言うのが憚られ、口ごもる間にロザーナはさっさっと支払う準備をしていた。


「ロザーナ、あのね……」


 支払いする前に言わなきゃ!ともう一度、声をかけたミアだったが、屋台の奥から顔を出した店主を見た途端、思わず絶句してしまった。

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