第88話 閑話休題 林檎飴と東の民①

 ──スタンの一件からしばらくのち。医務室にて──





「ほら、最近いろいろあり過ぎてさぁ、ふたりとも落ち込んでるじゃない??身体の調子も戻ってきたし、あとは心の調子を取り戻すべきだってアタシは思うわけ!」


 いつになく鼻息荒く詰め寄る……もとい、珍しく自分に頼み込んでくるラシャに、イェルクは思案顔でうなる。が、かまわずラシャは更にずいっと詰め寄ってくる。近い近い近い!


「でしょ?!」

「うん、まぁ、たしかに君の言う通りだ」


 一応の同意は示したものの、さりげなくのけぞったのが気に障ったらしい。


「なに、尻込みしてんの?!」

「いや、そういうわけじゃあない!」

「だったらなに?!」


 ラシャは机を軽く叩くと椅子のひじ掛けに手をついた。下手したら膝の上にのしかかってきそうな勢いだ。イェルクは椅子ごと後ずさる。


「いや、俺が同伴するより君たち若い娘同士で出かけた方が楽しいような気がするんだが」

「まぁね。そりゃ当然よ。女子限定で出かけた方が断然楽しいに決まってるし??」


 しれっと肯定するラシャに怒りよりも呆れが勝ってしまう。若い娘面ど……、怖い怖い。


「楽しいに決まってるけどさぁ……、女子同士だと互いに自腹で買い物しなきゃでしょ??」

「俺の財布を当てにしてのことか?!」

「さっすが!察しよくってたっすかるっ!!曲がりなりにも大人の男はやっぱ違うわねぇー」


 ひとりでうんうんと感心しきりなラシャには最早閉口するしかない。なにが『大人の男』だ!こういうときだけ都合良くおだてようとするんじゃない!


「まさかと思うけど『イヤ』とか言わないわよね??」

「……言うと思うか??」

「だよねー!ほんとさすがだわー、見直したわイェルクー!あ、ちなみに車も出してやってよね」

「わかったわかった!!……が!」

「『が』ぁ?!」

「財布係も運転手も荷物持ちもいくらでもやってもいい!だが、どこへ連れて行けばいいかまでは当てにはしないでほしい。申し訳ないが、若い娘の好みなんて把握しちゃあいない。事前に自分たちで行きたい場所や店をある程度調べておいてほしい」


 ラシャの吊り上がった目尻が数ミリ跳ね上がった。機嫌を損ねたか。

 でも、折角連れ出すからにはがっかりさせたくない。


「あー……、それなら問題ないかな??どこへ連れてってほしいかはもう決めてある」


 ラシャの表情が緩んだかと思うと、すぐに表情を引き締め、行き先を指定してくれた。


「あそこはさぁー、ただ女の子が楽しめるだけじゃなくて、今のあのふたりに知ってもらう事情があるから」

「……たしかに」

「じゃ、そういうこと!そうだ!あの二人の他にエリカちゃんも連れてってあげなよ!」

「エリカを??」

「あんま外出たことないみたいだし、年相応の楽しみ方知ってほしいじゃない??車の座席も余裕で座れるでしょ??」

「もちろんだとも。君が乗ってちょうどいいくらいだな!」

「……アタシも連れてってくれるわけ??」

「??……当然そのつもりでいるが??」


 鳶色の双眸が妙にきらきらと輝きを帯び始め、キツイ眼差しから一転、ラシャはにやーっとわざとらしい笑顔でイェルクに笑いかけてくる。


「ねぇねぇ、イェルクさぁあん」


 極めつけはロザーナみたいな甘ったるい口調に切り替えられ、失礼ながらぞわぁああっと鳥肌が立った。しかも、『さん』付けときた。彼女の柄に似つかわしくない態度がいっそ不気味である。


「な、なんだ……??」

「お願いっ!アタシも連れてって!」

「別にかまわないが……??君も一緒に来る予定……」


『来る予定じゃないのか??』

 皆まで言い切る前に医務室の扉がいきなり開いた。大きな音で、ノックもなく。


「げ」


 狙撃銃を肩にかけ、モッズコートのポケットに手を突っ込みながらアードラは中へ入ってきた。


「あんたいい加減にしなよ。悪いねイェルク。僕とラシャ、これから仕事だから」

「やだっ!今回だけは、今回だけはあんた一人で行ってきてよっっ!!」


 駄々をこねるラシャに向かってアードラは、無言で爽やかな笑顔を一発決めてみせる。

 げーっ!とラシャがドン引きした瞬間、アードラはポケットから手を出し、ラシャの首根っこを掴んだ。


「ちょっ!放せバカっ!性悪!ハゲ!!」

「ハゲじゃないし」

「あんたね!潰すわよっっ!」

「あー、それは勘弁して」

「イーヤーー!!アタシもみんなと遊びたいぃぃーー!!!!」


 イェルクが止める間もなく、廊下を引きずられていくラシャの悲痛な叫びが響き渡っていく。同情は覚えるが、仕事ならば仕方ない。涙を飲んで諦めてもらおう。


 ラシャ(とアードラ)という嵐が過ぎ去ると、特に何をしたわけでもないのにどっと疲れが押し寄せてきた。しかし、その嵐は始まりに過ぎない──、というのは大袈裟すぎるけれど、あのふたりは本当の意味で立ち直るきっかけを与えなければ。組織のために、というより、彼女たち自身のためにも。


「問題は……」


 当のふたり──、ミアとロザーナが外に出る気になってくれるか、だ。

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