第84話 切なる願い
(1)
ミアとルーイは成分輸血用の採血のため、医務室にいた。
隣り合った寝台にルーイと並びつつ、ミアは一足先に採血を終えていた。が、止血後しばらくは動いてはいけないので、エリカが持ってきてくれた水を、舐めるように少しずつ飲んでいた。
「ミア姉、オレの血液パック、まだ満タンになってない?!」
「う、うん」
「うぇええ、まだ終わんないのぉおお?!」
「たぶん、もうすぐで終わると思うよっ」
自分でも確認しようと、傍らの血液パックを横目で見……かけて、ルーイはさっと顔を背けた。
あんまりにもイヤそうな顔に思わずエリカと顔を見合わせる。
「あ、でもでも!血を見ても気絶せずに注射できるようになったんだもんね、すごいすごいっ」
「ミアさ……、ミア、の言う通りよ。昔はほんのちょっとの血の臭い嗅ぐだけで死にそうな顔してたのに」
「そりゃさー、
相変わらず血液パックから目を逸らしながらも、当然のようにルーイは言う。
「わ、わたしも……、そのうち成分輸血の採血しようかな……」
「あー、別にムリしなくてもいいって。どっちにしても、お前まだ十二だから成分輸血の採血ムリなんじゃ」
「う、うん、今はムリだけど……、十三になったら絶対する、わ!あ、あとね……、わたし、ここに来て、思い出したことがあるの」
「え、なに??」
「人間だった頃、病気が治ったら看護婦さんになりたかったな、って。吸血鬼になっちゃったからもう叶わないけど、このままイェルクさんのお手伝いしてれば看護婦さんに近いことできるかも……って、思ったら、ここに来てよかったかも……、ちょっと思えるようになった、かも」
「そっか……」
安堵で吐いた嘆息のつもりが、エリカはそう受け取らなかったらしい。「す、すみません、すみません」と慌ててミアに謝ってきた。謝ることじゃないよ、と、ミアは苦笑交じりに頭を振ってみせる。
「あ、あの、ミア??お水がもうなくなりそう!つぎ足すねっ!」
気まずさを解消しようと、エリカは引き攣った笑顔でサイドテーブルのピッチャーを手に取った。
差し出したグラスを満たしていく水を静かに眺めていると、もの言いたげな若草色の瞳と視線がかち合う。
「ミア……、その」
「うん、どうしたの??」
「わたし、ちょっと、気になってることが……」
「うん、なあに??」
エリカは周りをきょろきょろ見回したあと、こそり、小さな声で告げる。
「実は……、この間、運ばれてきた男の人、ですけど……」
「スタンさんがどうしたの??」
「その……」
一拍、間を置いてエリカは続けた。
「あのひと、助けてもよかったんでしょうか……」
「はぁ?!おま、なに言ってんだよ!」
ミアが口を開くより先に、ルーイが寝台から身を乗り出し、エリカに食ってかかった。
「あのムッツリ、じゃない、スタンは仲間なんだぜ?!助けるのは当たり前だろ……」
「ルーイくん、怒っちゃダメ!エリカが怖がってる。ルーイくんだって興奮すると気持ち悪くなっちゃうよっ」
「だ、だってさ、ミア姉……」
「ごめんね、エリカ。なんでそう思ったのか、正直に話して、ね??」
「あ、は、はい……」
曰く、スタンが高熱で寝込み、意識が混濁していたときのこと。
その日仕事だったロザーナに、エリカはスタンの世話を頼まれていた。
「氷枕の交換をしに隔離部屋に入ったら……、うわごとで、『殺してやる。双頭の黒犬を崩壊させてやる』って、何度も繰り返してて……」
「それってさぁ、高熱が原因のせん妄とかじゃね??」
「で、でも」
「エリカはさぁ、スタンとまともに面識ないから不安なんだろうけど。あいつに限ってはありえないって!ね、ミア姉??」
「う、うん、私もそう思う!気にしなくていいよ、ね??」
ルーイと代わる代わる諭すも、エリカの表情はなかなか晴れない。
再び降りた気まずい沈黙。それを破ったのはルーイだった。
「あ、そろそろ血液パック満タンなったかも!ごめん、ミア姉!ちょっと確認してもらっていい??」
「もー、しょうがないなぁ。あ、うん、いっぱいになったっぽい」
「じゃ、師匠呼ーぼうっと!ししょうー、オレのパックもいっぱいになったよー!」
医務室の奥、武器開発部屋へ向けてルーイは叫ぶ。すぐにイェルクの大きな返事が医務室を満たした。寝台からイェルクの居場所はそこそこ離れているのに、イェルクの声量で室内が軽く振動する。
「師匠、声、デカい……、ん??」
イェルクの返事は一言で終わったのに、部屋全体がまだ揺れている、気がする。
しかし、その振動はミアやルーイのように五感が敏感な吸血鬼だからこそ感知できる、相当に微々たるもの。厳にエリカは振動に気づいていなさそうだ。
違和感と警戒が胸中でみるみるうちに生まれていく。気のせいならいいけれど。
念のため、ミアはキィッと小さく鳴き、超音波を飛ばしてみる。
長時間の採血で少し頭がくらくらするが、熱感知の精度に問題はなさそう。
東西南北中央各棟へ、何回かに分けて超音波を飛ばす。途中、ルーイの採血針を外しにきたイェルクが怪訝な顔をしたが、かまうことなく続けた。その間も微かな振動は続いている。(気がした)
「南棟……??」
南棟には療養中のスタンと介抱するロザーナの二人だけの筈。超音波で熱感知した人数も二人。
一体どういうこと??気になり始めたら最後、確認しに行かなければ気が済まない。
思い立ったら最後、ミアは寝台を飛び跳ね、降りる。
「ミア!まだ休んでいなさい!」
イェルクの制止の声を振り切り、ミアは南棟へとひとり、急いで向かった。
(2)
自分としたことが、不覚を取ってしまった。
スタンに組み敷かれながらロザーナに後悔が過ぎる。
左腕の血文字。失踪の果ての潜伏。
なるほど。そういうことだったのか。
しかし、納得と同時に疑問も湧いてくる。
彼はなぜ、
自分含め仲間を始末する目的で戻ったなら、わざわざ出て行くと言う必要なんてないのでは??もしくは始末した上で出て行くというほのめかし──、否、それこそ、わざわざ口にする意味があるとは思えない。
あとは……、ちょっとした願望混じりではあるけれど──、と、考えを巡らせたところで、スタンの口から決定的な発言を、確かにこの耳で拾い上げた。
彼は今、強制支配の力に抗っている。
状況を正確に悟れば、もう一切の躊躇も遠慮もいらない。
多少傷つけることになるのは心苦しいが──、心中でめいっぱい謝罪、渾身の力で膝を突き上げる。
だが、ロザーナの膝がスタンの下腹部に当たる直前、逆に彼の膝で蹴り止められた。衝撃と共に膝に痺れに似た痛みが生じる。
「そうくると思った」
「あたしも今おんなじこと思ったわっ」
「は……、がっ!」
膝蹴りに意識がいっている隙に、スタンの怪訝な表情めがけて頭突きをかます。
大幅に緩んだ腕を振り払い、ベッドから滑り落ちる形で拘束から逃れる。
「……つっ、この、クソ女っ」
「ごめんねごめんねぇ、でもぉ、あたしだって本当はこんなことしたくないんだけどぉ?!」
額を撫でさすり、立ち上がる。ベッドの上でスタンは手の甲でぐいと鼻血を拭っていた。
鼻の骨は折れてなさそうでホッとする。愛する人の、特に顔を傷つけるのに抵抗は拭いきれない。
すでに先程の動きでスタンの左肩の傷が開きかけている。ロザーナとしては、これ以上は致命的な外傷を負わせたくない。負わせたくないが──
ベッドの上からスタンの姿が消え失せ……、たかと思えば、一瞬の間に背後に立たれていた。
伸びてきた腕を寸でで躱し、身を低め。絨毯に散らばったティーセットの破片をいくつか素早く拾い上げる。指先を切った気がしたが、些細な掠り傷などどうでもいい。
再び腕を伸ばしてきたスタンへ白磁器の欠片を投げつけていく。一、二秒程度でいい。隙を作り続けねば。狙い通り、破片を投げつける度、スタンに隙が生まれていく。身体が本調子じゃないのが、皮肉にもこちらにとって幸いだった。
最後の隙が生じた瞬間、ロザーナはウエストポーチからかんしゃく玉を取り出した。
「俺に投げつける気か」
「どうかしらぁ??」
背後からスタンの腕がかんしゃく玉を叩き落としにかかった。
正確かつ敏捷な動きを紙一重で避け、ロザーナはかんしゃく玉を扉へと投げ放った。
誰でもいい。この騒ぎを聞きつけて。
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