第83話 二つの自我

 地下牢で手榴弾を投げた刹那、スタンは出せる限りの最速の速さでその場からとびずさった。が、爆発の余波は防ぎきれず。瓦礫共々壁だか床だかに全身を叩きつけられた。

 意識が薄れゆく中、ちぎれた自らの左腕に血文字を書き残し、遂に昏倒、と、いうか、命を落とした、気でいた。だから、自らの瞼が上がったときには心底驚嘆した。


 驚きと共に覚醒すると、スタンの警戒心は最大値まで引き上げれられた。

 古く褪せた壁紙、時代遅れの意匠の家具調度品に囲まれた真っ暗な室内、光源は燭台に立てた細く短い蝋燭三本だけだが、視界の見えづらさはスタンに何の支障ももたらさない。それよりも──


「なぜ助けた」


 視線の先を、頭上にある仰々しい天蓋から、自身が寝かされた寝台周辺へ移動させる。

 悪魔崇拝の儀式に捧げられた生贄にでもなった気分だ。寝台を囲む吸血鬼たちをぐるり、順に睨みつける。闇に浮かぶ青白い肌、爛々と輝く紅眼は不気味としか言いようがない。

 止血を施された左腕の付け根をぐっと押さえつけ、誰にともなく再び問う。


「なぜ助けた。俺は貴様らの仲間を殺った」

「ドミニクのことか。たしかに惜しい者を亡くした。非常に残念でならない。だがしかし、君を始末する理由にはならない」

「……何がしたい」

「君ならある程度想像つくのでは??クラウディアの息子よ」


 ヴェルナーが口にした母の名に、スタンの全身に流れる血が一瞬で沸騰した。

 身動きが取れない状態にも拘らず、彼の殺気にあてられた吸血鬼達は怖気づき、ベッドからじりじり後退していく。ヴェルナーただ一人を除いて。


「人間を、特に孤児を吸血鬼化させると大抵二極化する。生に執着し、貪欲に血を求める者。生を放棄し、最終的に我々の餌と化す者。クラウディアは完全なる前者だった。ハイディマリー様には及ばずとも、脱走せず城に住み続けていれば、一族の長の器量だったかも知れぬ」

「御託は、どうでも、いい。……貴様が、あの女を吸血鬼化させたのか」

「私でないのは確かだ。誰が彼女を浚い、吸血鬼化させたかなど忘れた。そんなこと、いちいち覚えてなどいられないだろう??我々に必要なのは純血の血を絶やさぬこと。成長に必要な餌を得ること。餌に適性があるなら一族に迎え入れること。重要なのはそれだけだ」

「だから吸血鬼は嫌いだ。種の存続を言い訳に、どこまでも利己的、人間側の都合など顧みもしないとくる……!」


 掠れた声で、途切れ途切れに吐き捨てる。思い出したくない母のことまで蘇り、最低の気分だ。

 母は貧困家庭の娘や身寄りのない娘を積極的に雇い入れ、その中から仕事のできる一部を残し、定期的に餌にしていた、らしい。幼いスタンが飲まされていた血はそこから賄われていたようだった。

 しかし幸か不幸か、母は強欲な質ゆえに、スタンには搾りかす程度の血しか与えなかった。血液入りのラズベリージュースの量をもっと欲しい、と強請ったときには、『ホールドウィン伯を受け継ぐ者にあるまじき品性の欠如。みっともない!』と、鞭打ちの罰を受けたくらいである。(なので、医務室で以前思い出したとき、イェルクとロザーナの前で母をクソババァ呼ばわりしたのだ)


「人間は正しく、我々は間違っていると言いたいのか??人間とて我々以上に利己的だと思うが??」

「そんなこと、貴様に言われずとも散々見てきたさ。人間と吸血鬼、双方の汚く醜い部分を、な。その上で、俺は、人間の中で人間の振りをして生きて、きた」


 息が続かず、激しく咳き込む。寝台の埃臭さが拍車をかけてくる。

 全身の痛みを堪え、咳き込みながら、緩慢に身を起こす。左腕の欠損でバランスが上手く取れず、上半身が微妙に揺れる。

 抑え込まれるかと思いきや、ヴェルナー以外の吸血鬼達は更に寝台から後退していく。腰抜けどもめ!


「吸血鬼など害悪、滅んで然るべき存在」

「ならばどうする??今、この場で、我々全員を始末するか??君は相当な深手を負っている」

「貴様もな。俺ほどじゃないが、他人ひとのこと、言えないだろ」


 寝台の足元、ちょうど真正面で向かい合うヴェルナーの、包帯を巻いた掌へ皮肉を込めた視線を送りつける。当のヴェルナーは一向に意に介しておらず、眉ひとつ動かない。

 言葉を口にするごとに体力が奪われていく気がする。黙っているべきなのは百も承知。だが、奪われる体力に反して、喋るごとに痛みと失血で回らなかった頭は冴えていく。


 今のスタンに彼らを始末する気などまったくない。吸血鬼城からの脱出及び、住処の城への生還が最優先事項。問題はその脱出、だ。

 体力は余り残っていない。武器スティレットを振るう、体術を駆使するなど、なるべく戦闘は避け、逃走に徹しなければ。


「滅んで然るべき、か。その中には君も含まれる。君だけじゃない、ミアやルーイも……」

「俺はともかく、あいつらは例外。吸血鬼にしちゃ、珍しくまともな思考の持ち主。滅んで然るべき存在だが、あいつらのために滅んでもらっては困る。貴様らを滅ぼすことはあいつらの死にも繋がる」

「随分と要領を得ない矛盾した発言を。我々に滅べと呪いながら、己の仲間のために滅びるな、と」

「自分でも、思う。支離滅裂、だってな。だから、今まで曖昧だった、貴様らと人間との間に明確な線引きを、住み分けを。俺やあいつらのように、人の中で生きたい者は、人として生きる、覚悟と努力を……」

「下らん。何故、我々ばかりが人間に合わせねばならぬ」


 予想通り話にならないが、ただ漫然としている訳でもない。あくまで隙を作るための隠れ蓑。額に脂汗を浮かべ、部屋全体を目線のわずかな動きで見回す。

 右手側にはアーチ窓、左手側には扉、扉近くの壁には燭台……!


 燭台を視認、同時にスタンは跳躍した。

 自身の脚力のみならず寝台のスプリングの反動を利用、吸血鬼の幾人かの頭を蹴り飛ばす。着地の際、態勢を崩しかけるも即座に立て直し、一直線に扉へ。吸血鬼たちの手が彼に伸びようとしたときにはもう壁から燭台を捥ぎ取っていた。


 蝋燭の炎が揺らめく燭台を片腕で振り回す。炎を恐れて吸血鬼達はスタンへの攻撃を躊躇っている。

 吸血鬼といえど所詮は烏合の衆。燭台を吸血鬼達へ一度投げつける振りをしたのち、勢いに乗って窓へ投げ放つ。


「待て!!」


 待てと言われて止まる馬鹿などいない。追ってくる声と腕から逃れ、割れた窓から真夜中の空へ飛び出した、そのとき。割れた窓からヴェルナーが顔を覗かせ、言い放った。


「ハイディマリー様の代わりに命を下す。双頭の黒犬シュバルツハウンドの根城へ戻り、ミア以外の精鋭を殺害しろ」

「なっ──」

「君が気を失っている間、保管していたハイディマリー様の血を飲ませた。これで君も、我々一族の仲間だ」

「き、さ……」


 降下から一転、城の外壁を足場に、スタンはヴェルナーが顔を出した窓へ戻ろうと──、しなかった。戻るどころか、外壁を飛び移りながら地上へ。地上を高く高く蹴り上げ、黒い森を越え──、麓を神速で駆け下りていく。


 今すぐ足を止めたい自分と、住処へ戻り、狂犬たちを嬲り殺したい自分。

 真っ二つに分かれた自我がせめぎ合い、気が狂いそうだ。

 辛うじて前者の自我が勝ち、スラムの下水に身を置いた。誰にも見咎められなかったつもりが、カシャとラシャを拾った折に知り合った例の老婆に見つかってしまった。

『双頭の黒犬にあるまじき失態を誰にも知られたくないし、組織の信用に関わる。俺が出ていくまでどうか黙って一人にしてくれ。大丈夫、必ず生きて帰る算段はついている』と老婆を説き伏せ、小娘ハイディの汚らわしい血を薄めるため、鼠の血を吸い続けた。後者の自我が消えてくれるかもしれないと願って。

 結果は後者の自我は消えず、病に罹っただけだったが、仲間を害すくらいなら静かに死を待つ方が格段にマシな気がしていた。


 なのに、自分は助かり、住処に戻ってきてしまった。





「……いっそ、殺してくれよ……」


 ベッドの上、ロザーナを抑えつけながら、本来の自我が顔を出す。

 しかし、次の瞬間には支配された方の自我に取って代わられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る