第81話 違和感②

(1)


『峠は越した』の言葉通り、スタンは回復の兆候を見せ始めた。

 数日後には意識を取り戻し、数週間を経た現在、ベッドから起き上がる時間も増えてきている。


『そろそろ頃合いかもねぇー』

『でもでも!くれぐれも慎重に、だからねっ!』


 ノーマンの念押しを思い出し、言われなくとも、と、カシャはつぶやく。そういえば、自分が精鋭の長に任じられてからスタンと顔を合わせるのは初めてだ。

 彼はこの件についてどう思ってるだろうか。否、気にするべきはそこじゃない。


 医務室とは別に設けられた南棟の隔離部屋は重傷、重病を負い、長期療養を要する場合に使用される。(以前、ミアがハービストゥの吸血鬼に撃たれた時ここの隔離部屋に運ばれた)

 先代城主が増築と改築を延々繰り返していたこの城はノーマンに引き継がれても尚、未完かつ未知の領域が相当数残っている。この棟も未知の領域の一つだったのをノーマンが改築したのだ。

 城内でも最も日当たりのいい棟の廊下。壁際に並んだアーチ窓から早朝の爽やかな日差しが降り注ぐ。各部屋の、チョコレートに似た扉は日差しを受けた箇所のみ、濃茶から薄茶へ色変わりする。


 カシャは、濃茶と薄茶の半々になった扉をひとつひとつ、通り過ぎざま横目で確認していく。そして『長時間でなければ面会可』の札がぶらさがった部屋を発見した。

 わざわざ病院みたいなことしなくとも。若干呆れつつ──、呆れながらも右手を拳に形作り、扉を叩くまさに直前。握りしめた拳が宙で止まった。


「いや、自分で食べ」

「いいからいいからぁ」

「いや、よくな……」

「はい!あーんしてぇ」


 スタンの困惑しきった声に、若干の甘さを含むおっとりとした声が被った。

 幻聴なんかじゃない。馬に蹴られたくないので出直そう。


「誰かはわからんが入ってくれ」

「…………」

「早朝にわざわざ足を運ぶくらいだ。大事な用件じゃないのか??とっとと済ませた方が賢明だと思う」


 観念して扉を叩く。「入るぞ」と呼びかけ、扉を開ける。

 隔離部屋と称するだけに、室内は天井から壁、床だけでなく、洗面台やベッド、棚等に至るまで白で統一されている。


 その、病室同様の室内、ちょうどカシャが立つ正面扉の左奥にあるベッドで、スタンは身を起こしていた。傍らには簡易的な丸椅子に座るロザーナの姿が。これだけであれば、まあ、気にする程のことでもない。

 蜂蜜みたいな甘ったるい顔で、ロザーナがスタンの口にスプーンを突っ込む。

 大量の砂糖を吐きだしたくなる瞬間を目撃すると同時に、カシャは無言で静かに扉を閉ざした。


「……邪魔をした」

「待て!これは……、んぐ?!げっほ!」

「ほらぁ、ちゃんと噛まずに飲み込んじゃダメよぉ??もうっ!あ、カシャさん、ほんと、大丈夫だから入ってきてぇ??」

「いや、やめてお……」

「あとひと口で終わるからっ!はいっ、最後のひと口、食べちゃって!ねっ??」


 扉越しの会話ですら、聴いてるこっちが恥ずかしくなってくる。

『ひと口』が終わる頃合いを見計らい、カシャは再び扉を開ける。タイミングはばっちり良かったようで、空の深皿を手にロザーナが立ち上がったところだった。


「じゃーあ、あたし、紅茶淹れてくるわねぇ。カシャさんごゆっくりぃ」


 朝のひんやりした空気を吹き飛ばす、可憐な笑顔をカシャに向けると、朝食のトレイを手にロザーナは退室していく。いつ見ても完璧な美人だ。妙に感心していると、じとり、斜め下から黒い視線を感じ取った。


「怒らないでくれ。見惚れた訳じゃない」

「じゃあなんだ」

「スタンは幸せ者だと思っただけだ」


 いまにも噛みつきそうだったスタンの目が丸くなった。

 警戒から一転、なにか言いかけては唇を開閉させる横で、カシャは壁際に固めた椅子を引き寄せる。戻ってくるのを考慮し、ロザーナの椅子はそのままにしておいた。


「思ったよりは元気そうでよかった」


 やつれた感じは否めないが、食事を摂り、あらぬ悋気起こす元気は戻っている。だが、シャツの左袖がだらんと垂れ下がる様に胸が詰まった。悟られないようさりげなく視線を逸らし、椅子に腰かける。


「で、話は??」

「まず、お前に代わって俺が精鋭の長を引き継いだこと、改めて報告する」

「相変わらず律儀だな。伯爵アールにも伝えたが、もちろん俺に異論はない。この腕で異論を述べる資格はないだろ」


 スタンは自嘲気味に唇の端と左肩を持ち上げた。形を失った腕の代わりに袖がぶらぶら揺れ、カシャは二の句を継げられない。心なしか、室内の温度も下がったような。


「そのこと、についてだが」


 短い沈黙ののち、内心の動揺を抑え込み、告げる。


「皆がスタンの復帰を待っている。伯爵グラーフもイェルクも。機能回復のための支援を最大限惜しまない気でいる。隻腕のままにしろ機械義肢装着するにしろ、相応の訓練が必要。だから」

「俺はこのまま一線から退く」

「な……」


『機械義肢装着の有無を決めてほしい』

 ただ、それだけを訊きたかったのに。

 スタンの口から出たのは、まったく予想に反する答えだった。


「言っておくが、冗談でもなんでもない。本気だ」

「何故」

「…………」

「腕、が問題という訳でもない、だろ」

「だな。それだけは間違いない」


 では、いったい、何が。

 尋問めいた真似はカシャの一番の苦手事項。しかし、他の者に任せたとして訊き出せるとも到底思えない。逆に怒らせてしまう可能性も有り得る。

 完全に詰んだ。かと言って今更引き下がれない。


「ロザーナは知ってるのか」


 我ながら狡い訊き方をしたと思う。案の定、薄青キトゥンブルーの双眸に微々たる動揺が浮かぶ。


「知らないのか」

「あぁ」

「一線退く意向もか」

「……あぁ」

「そうか」

「…………」

「吸血鬼城で何かあったのか」

「何か、とは??この通りだが」


 スタンは右手でわざと左の袖を摘まみ上げた。

 暗に『訊いてくれるな』と示されたが、構わず続ける。


「地下で潜伏するくらいなら住処に戻ってこれた、筈。なのにお前は死ぬ寸前まで戻ってこなかった。あと一日発見が遅かったら死んでいた、とイェルクも言っていた」

「脱出に精いっぱいで住処に戻る余力が残ってなかったんだ」

「本当に??」

「あぁ」


 スタンは露骨に眉を顰めてみせた。度重なる質問に辟易し始めたのもあるが、少し疲れているようにも見える。今日は諦めて切り上げた方がいい。

 一方で、カシャの質問にはっきり『JaYES/NeinNo』と答えないのが如何にも不自然だ。


「入るわねぇー、って、あらぁ、ふたりともなんで暗ぁい顔してるのぉ??」


 ティーセットのトレイを手にロザーナが戻ってきたときには正直ホッとした。しんみりした空気がパッと明るくなり、スタンの表情からも険しさが消える。


「今朝はスタンさんのお気に入りの銘柄にしたのよぉ。あ、カシャさんもせっかくだしぃ、いただいてって!ねっ??」

「いや、俺は」

「いいからいいからぁ」


 そっとスタンに目を向ければ、『ロザーナが淹れた紅茶を飲めないのか』と言いたげに睨み返された。仕事はあれど急ぎではない。一杯の紅茶を飲む時間は充分ある。


 カップを手に取ると、花と柑橘類の甘く爽やかな香りが漂ってきた。

 故国コーリャンにも似たような茶があったな、とふと懐かしく思いながら飲むうち、先程抱いた違和感は薄れていく。


 今は無理でも少し時間を置いてからもう一度、理由を訊いてみよう。意外とはっきり答えてくれるかもしれない。などと、そんな淡い期待をカシャは抱き始めていた。






(2)


「ねーえ、ほんとに賞金稼ぎ辞めちゃうのぉ??」


 カシャが去ったあと、二人分のカップを片付けがてら尋ねる。

 スタンは徐に肩を揺らし、おそるおそるロザーナを見上げた。


「聞いてたのか」

「たまたま聞こえちゃった。ねぇ、辞めるっていっても住処を出ていかないんでしょ??イェルクさんみたいに裏方に回るつもりでしょお??」


 スタンは黙って顔を伏せる。沈黙が答えを示していた。

 なんで、どうして。問いつめたくても、答えを知るのが──、怖い。

 これまで経験のない恐怖、焦燥がつま先から頭にかけて這い上がってくる。

 得体のしれない、未知の感情が瞬く間に全身を蹂躙していく。気を抜くと身体が激しく震えだしそうだ。


 何でもいい。どんな言葉でもいい。

 お願いだから、何か喋って!


 どん!と、手にしたカップを乱暴にトレイへ置く。

 思いの外大きな音が出てしまった。割れなかったか心配になり、一度置いたカップをまた持ち上げて確認する。だいじょうぶ、ヒビひとつ入ってない。胸を撫でおろし、静かにカップを置き直す。


「ロザーナ」


 びくっと肩が跳ね、ぎこちなく振り返る。スタンはまっすぐにロザーナを見つめていた。


「結婚しよう」

「イヤ。絶対イヤよぉ」


 間髪入れずに断ると、スタンは絶句し、首から頭が落ちそうなくらい深々とうなだれた。


「スタンさんのことは誰よりも深く愛してるわ。今までもこれからも。でもね、あたし、愛情を目に見える形で縛られるの、大キライなの。スタンさんだってよく知ってるでしょお??」

「…………」


 スタンは一mmだって顔を上げようとしない。

 もーお、と小さく唸り、ベッドの脇に腰かけてスタンの背中を撫でさする。以前より筋肉が落ちた気がするのが痛々しい。


「住処を出ていくつもりだから、『結婚してハイラーテ ミッヒ』って言いだしたのかもだけどぉ、ちょっと落ち着いて、考えて、ねっ??まだ全然本調子じゃないしぃ、色んなことの結論は急いで出さなくてもいいんじゃないかなぁ??ねっ??」

「…………」

「ねっ??」


 あえて強めに念を押せば、スタンは諦めたように小さく頷く。

 彼はこんなに弱々しい人だったかな。呆れも幻滅も一切しないし、逆に庇護欲が駆り立てられてしまうけれど──、それはきっと死にかけたせいだ。


 今回ばかりは自分の勘はハズレに違いない。だから、小さく芽生えた違和感は早々に摘みあげ、なかったことにした。

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