第78話 一縷の希望

(1)


 スコープを覗き込む。狙うは古い住宅街の内の一軒。

 細長い三角屋根、小さな格子窓、家ごとに変わる外壁の色、太い木材を使用した正面ファサード。どの家も基本構造は変わらない。しかし、特段建築に詳しいわけではないが、素人ならほとんど気づかない、ほんの些細な修理でさえアードラの目には一目瞭然だ。

 例えば、元々白い筈の外壁は日に焼け、すっかり黄ばんでいるのに、玄関扉は真新しい金属製だったり。まったく同じ屋根瓦に見えて、明らかに古いものと新しいものが混ざっていたり。


 カナリッジの国民は先祖代々、改築と修理を繰り返しては古い家に何百年と住み続ける。だが今回、約360m前方に位置する標的の家は、他と比べて修理や改築の跡が明らかに少ない。

 外壁には目立つ大きさのひび割れが数か所入り、屋根瓦もいくつか欠けている。木製の玄関扉の立てつけも悪そうだ。更に怪しいのは、朝だというのにすべての格子窓のカーテンが(おそらく分厚い遮光の)閉め切られていた。


 アードラもその家と同じ住宅街の中にいた。正確に言えば、その家から程近い、憩いの場とかいう広場にいた。

 広場の周囲は植樹された樹々に囲まれている。その中で一番背の高い樹のてっぺんまで登り、銃を構え続けること数時間。


 通勤通学時間さえ過ぎれば、朝でも人通りが少なくなる。深緑のモッズコート、細身の黒いパンツという服装は、枝葉の影に完全に溶け込んだ。あとは、ラシャがあの家に潜入し、外へ誘導してくれれば──、誘導する前に始末しなきゃいいけれど。


 今回の標的は他国出身者。罪状は連続少女暴行及び拉致監禁。

 本来ならば賞金を懸ける程の存在ではない。懸かっていても精鋭が出向く相手でもない。そいつがただの性犯罪者でなければ。


 そいつは故国でも同じ罪を犯し続けたあげく、カナリッジへ亡命。親が政財界の要人らしく、コネで亡命してきた。おまけに永住権も得ていない。また同じ罪を繰り返した場合、治外法権を持ち出すつもりだろう。どうしようもない屑だ。

 どうしようもない屑だが、そういうのに限って警察は自分たちの手で捜査、逮捕せず、賞金稼ぎを利用する。特に今回の標的に限っては、最終的に高確率で無罪か減刑が目に見えている。アードラも、どうせ多額の保釈金払ってすぐ娑婆に出てくるんじゃない、と踏んでいる。警察が無駄な労力払いたくない気持ちもまぁ、理解できなくは──、ない。理解できなくはないが、賞金首を捕縛すれば大金が手元に入る。


 金さえ確実に手に入るなら、あとのことなんてどうでもいいじゃないか。

 金が手に入り、自分や仲間が再起不能に陥らなければ、何の不満はない。


 件の家の扉が乱暴に開け放された。

 アードラはコートのフードを目深にかぶると、太い枝と枝の狭間に身を隠す。銃を構えた直後、痩せぎすの小男が中から飛び出してきた。


 乾いた銃声が二発、閑静な住宅街に響き渡る。

 ざわざわと葉擦れの音を耳元で感じながら、銃を下ろす。急ぎ、樹の上から標的が倒れた場所へ向かう。現場に到着したときには、何事かと飛び出てきた人たちが騒然とし、標的の周囲を囲い始めている。


「あー、ちょっとどいてくれる??」


 邪魔だなあ、と鬱陶しく思いつつ、笑顔で左手の甲の刺青を見せびらす。すると、波が引くように集まった人たちは道を譲ってくれる。

 両脚の腱を撃たれた標的は、泡を吹き、道端に転がっていた。よく見ると、顔の形が膨れ上がり、原型をとどめていない。思わず、自分と同じく標的を見下ろす(見下す、が正しいかもしれない)ラシャに抗議の眼差しを送る。


「あのさぁ、ラシャ。殴りすぎ」

「なによ、文句ある??」

「ありまくりに決まってるじゃん。指名手配の似顔絵と似ても似つかない顔になってる。本人かどうか疑われるかもしれないんだけど」

「鼻とか顎なんかは折ってないし、何日かして腫れが引けばだいじょうぶじゃない??あ、歯は何本か折ったかも」

「…………」

「片玉も勢いあまって潰した気がする」

「……やめて、こっちまで縮み上がる」

「はぁ?!変なこと言わないでよ!最っっ低!」


 どっちが??と言いかけて、やめる。埒が明かない。


こいつ標的拘束したら、警察に電話してくる」

「ふーん、よろしく。じゃ、アタシ、警察くるまで中の女の子たちの様子みてる」

「ちなみに家の中に電話は??」

「あるにはあるけど……」

「あー、いろんな意味で女の子たち弱ってる、かぁ。下手に僕が家に入ったりしない方がいいね。了解」


 まずは標的の拘束から。

 しゃがみこんだ背中越しに、ありがと……と、ラシャの声が小さく届いた。






(2)


 駆けつけた警察の事情聴取を受け、賞金首を引き渡し、女性たちの保護を求める。すでにその時点で昼が近づいていた。

 今回の現場は住処から車で約一時間。だったら、慣れた場所で食事を摂ろう、と、ふたりは麓の街まで戻ることにした。


「あのさぁ」

「なに」

「解散する前にちょっと付き合ってほしいとこがあるんだけど」


 帰路の道中、アードラが運転する軍用トラックに揺られていると、こう問われた。窓を全開させた助手席で、流れる景色に目を向けながら「別にいいけど」と答える。それから車内は終始無言だった。


 トラックは街を抜け、アウトバーン高速道路を越え、見慣れた景色に変わっていく。

 途中、銀行に立ち寄らせてほしい、と、一〇分程車内で待たされたのち、再びトラックは走り出す。車窓の景色が発展した通りから寂れた廃屋やぼろぼろのテント群に変わり始めたあたりで、行き先を察した。同時に胸の奥がざわつく。かつて、兄と一緒にあのスラムで暮らしていたから。


 目的地のスラムに、アードラと共に降り立つ。

 土埃が舞い、黴と饐えた臭いが漂う。あたりかまわず蠅がたかり、そこら中に動物か人か判別し難い排泄物か転がっている。道らしからぬ道の両端、崩れ落ちそうな建物からぼろ布のテントから、複数の物欲しげな瞳がふたりを凝視する。吐き気をもよおす荒廃ぶりは当時とちっとも変わらない。


 自分と兄だって、ここへ情報を聞き込みにきたノーマンとイェルクとたまたま出会わなければ。

 妹の脚を何とかしてくれ、助けてくれ、と、カシャが拙いカナリッジ語でイェルクに訴えてくれなければ。イェルクがノーマンを説得してくれなければ。

 今も自分たち兄妹はここの住人だったかもしれない。それどころか、自分は良くて歩けない身体、最悪死んでいたかもしれない。


「──でさぁ、って、聴いてる??」

「んあ??」

「なんなの、その生返事」

「はいはいはい、すいませんねっ!聴いてませんでしたっ!!」

「あのねぇ……、あと一回しか言わないよ??」

「はいはい、りょーかーいっ!」

「今回の標的の目撃情報、ここの住人で裏に通じてる奴から訊きだしたからさぁ、まぁ、が必要でさ」


 アードラが親指と人差し指で輪っかを作ると、ラシャは事情を察した。


「ついでにスタンについても何か情報得てないか、訊こうかと」

「で、アタシも一緒に訊いた方がいいってことね」

「そういうこと」

「……なんだろうけど、アタシはあんたが訊き込みする間、このスラムの中見回ってみるよ。いい??」

「まぁ、あんたのやりたいようにやるのもアリ、かな」

「じゃ、いちお、発信機のスイッチ入れておくから。そっちもよろしく」


 わかった、と、イヤーカフスを弄るアードラに背を向ける。

 用心のため、左腕の袖をまくる。双頭の黒犬シュバルツハウンドの刺青は自衛にもなる。

 排泄物や大きな石ころ、ごみを避けつつ、速足で歩き、通りがかる人、テントの中の人に声をかけていく。


 自ら訊き込みに回る、と言っておきながら、正直、ラシャの期待は非常に薄かった。実際に開始したものの、案の定手応えは感じられない。

 だが、そろそろ終わらせようと思ったとき、残念な期待は見事に覆されることとなった。

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