第76話 任命

 遡ること九日前の深夜未明。

 その報せは青天の霹靂だった。


 カシャとラシャの担当は主に国境区域。他国から密入国した賞金首を捕縛、警察や国軍と協力し合い強制送還させるのが仕事だ。他にもやむにやまれぬ事情で入国してきた難民の保護も請け負っている。

 精鋭の中で特に多忙を極める彼らが住処に戻るとしたら理由は三つ。

 休暇のためか、精鋭全員を必要とする任務が入ったか、あるいはノーマンから緊急招集されたか。


 今回は前日にあたる(一〇日前)の午前、滞在中の定宿に『シキュウ、スミカヘ』と一通の電報が入った。取り急ぎラシャを伴い、住処の城へ戻り、揃って執務室へ。そして、今に至るのだが──


「スタンが消息不明に……」


 切断された腕だけ残して、との言葉は続かなかった。ラシャも猫目を目いっぱい見開き、絶句する。

 正面に座すノーマンはふたりに執務机へもっと近づくように、と、表情を崩し手招きした。

 養子(表向きは実父の姓、ホールドウィンを名乗らせているが)であるスタンの安否が知れずとも、平常通りのノーマンに戸惑いを覚える。ラシャも同感らしくカシャの横顔をちらっと確認してきた。


「ほらほら、おいでー」


 猫の仔を呼ぶように呼ばれ、ふたりはそろそろと執務机に歩み寄る。


「スタンレイの左腕には血文字が残されていたよ。読みにくいけど、間違いなくあの子の筆跡だねぇ」


 血文字の内容を聞かされたふたりの絶望は益々深まっていく。

 吸血鬼城内で捕らわれたかもしれないし、脱出していたとしても、失血などで衰弱しているかもしれない。最悪は──、考えたくないが、可能性は高い。しかし、この場でそれを口にするほどカシャもラシャも愚かではなく、また、最悪の可能性を否定したかった。


「だいじょうぶ!あの子は帰ってくるって!」


 ノーマンは破顔し、自信たっぷりに言い放った。そこに不安と憂いは微塵も感じられない。

 あまりに普段通りな態度に少しだけ、ほんの少しだけ、カシャたちの沈鬱さが薄れた、気がした。


「ちょっとはショックと不安は解消されたかなぁ??」

「たぶん」

「ラシャは??」

「……たぶん??」

「ラシャが疑問形なのは気になるけど、まっ、いいや!じゃ、本題入らせてもらうねっ」

「はぁ、どうぞ」


 ノーマンの笑みが深まっていく。重大な話をする前触れだ。

 ふたりは思考を切り替え、気を引き締める。


「カシャ。スタンレイに代わって、精鋭の長役を君に任せたい」


 一瞬、何かの聞き間違いだと思った。


「できません。俺には無理です」

「スタンレイは左腕を失くした。あの子のことだから片腕になっても引退は考えないだろうけどねっ」

「だったら尚更」

「そうだねぇ、スタンレイが戻ってきたら、まずは怪我の完治を最優先してもらわなきゃ。それから、片腕のままにしろ機械義肢装着するにしろ、機能回復訓練が必要になるしー、完全復帰するには時間を要するじゃない??」

「です、ね」

「でも仕事は待ってちゃあくれない。スタンレイがこれまでどおりに動けるのを、悠長に待つわけにいかない。でしょ??」

「……ですね。でも」

「じゃ、僕からしーつもん!君の他に誰が長に適任だと思う??」

「…………」


 気性が激しく、特に男に対して荒ぶりがちなラシャには絶対向かない。ミアではまだまだ経験不足すぎる。アードラは、腕はともかく性格に難がありすぎる……。


「ロザーナ、が適任、な気がします」


 彼女の強さ、臨機応変な判断力、任務遂行力はスタンに次ぐ。精鋭きっての人当たりの良さも手伝い、烏合精鋭外からの信頼も厚い。


「本当にそう思うのかい??消去法で決めたりしてなーい??」

「は……」


 はい、と言おうとして答えに詰まる。

 ノーマンは、ふむ、と頷き、手入れされた口ひげを太い指先でなぞる。眼鏡の奥の蒼眼が、愛嬌を讃えつつカシャを射抜く。


「質問を変えよっか!カシャは何が不安なんだい??もしくは不満」

「不満はない。身不相応と思うだけです」

「ふーん。じゃ、なんでそう思うのさ??怒らないから言ってごらん??」

「俺にはスタンほどの能力がない」

「たとえば??」

「体術や力任せの方法でしか動けない」

「そう??力と機動力両立してるの、うちでは君だけだよ。そこらの馬鹿力だけが取り柄の脳筋とは一線どころか二線も三線も画してる」

「喋るのが苦手だ。戦闘中に的確な指示を下せられるか……」

「精鋭同士ならアイコンタクトでどうにでもなるんじゃない??」

「…………」

「ちなみにねぇ、君たち以外の精鋭のみんなもイェルクもルーイも、『カシャならいいんじゃない』って諸手で賛成だったよ??それでも駄目かね??」

「駄目、というわけでは」

「なになに??まだ他にありそうだぁね??」


 ノーマンは腰を浮かせ、机上に軽く身を乗り出した。楽しそうに見えてしまうのは思い過ごしだろうか。

 彼が言うように、不安要素はあともう一つある。しかし、口に出すべきかがカシャには悩ましかった。気づかれないよう、横目でラシャをさっと見やる。ほんの一、二秒のことなのに、ラシャは目ざとく勘づいた。


「お兄ちゃんさぁ、いい加減覚悟決めたら??」


 ため息と同時に、ラシャは呆れと諦め交じりにカシャに向き直る。覚悟も何もお前が……とは言えず、カシャは無言を貫く。


「どうせアタシのこと気にしてるんでしょ??ねー、伯爵グラーフ!お兄ちゃんが長になったらさ、アタシは単独で任務に当たらなきゃいけなくなるんだよね??」

「うーん……、だねぇ」

「ふーん……、だってさ!お兄ちゃん、それが心配なんでしょ!」

「当然だ。お前にはストッパーが必要だから」

「だいじょうぶだって!お兄ちゃんが思ってるよりは自制心持ってるし!」


 隙あらば男の標的に金的を、金的のみならず潰したがるのに??

 合同任務時は控えてるみたいだが、ふたりでの通常任務時『ぶっつぶしてやる!』と暴走するのを何回止めたことか。特に過去を想起させる女性が被害者事件の賞金首だと殺害前提で行動始めるので気が気じゃない。


「たった一人の身内だもんねぇ、カシャが心配するのはわかるわかる!うんうん!だからね、別の子と組んでもらうつもりだよ??」

「別の子??」

「お兄ちゃん以外だと、アタシはロザーナかミアがいいんだけど!何なら、ふたりと一緒に組んで三人でもいいしっ」

「うんうん、絶対そう言うと思ってた!」

「え、じゃあ」


 ラシャの顔色がみるみるうちに晴れていく。

 まぁ、あの二人となら問題ないか。カシャも内心ホッとしたところで、ノーマンは悪戯っぽく笑う。


「えっとねぇ、ラシャにはアードラと組んでもらうよぉ」

「は……」

「はあ?!」


 なぜ。どうして。

 いちばん妹を任せたくない相手なんだが。


伯爵グラーフ、スタンの後任は引き受けます。アードラとラシャを組ませるのだけは絶対やめてくれ。いや、やめてください。お願いします。アードラだけはやめてください」

「なんだ、カシャも饒舌に喋れるじゃないの」

「茶化さないでくれ、いや、茶化さないでください」

伯爵グラーフ!あいつだけはホンッッ、ト!ムリ!ムリムリ!」

「そうかなぁ、メルセデス邸のときの君とアードラ、なかなか息合ってたと思ってねぇー」

「あ・れ・は、たまたま!たまたまだしっっ!!っていうか、なんで知ってるのよ?!」

「受信機から全部ダダ洩れ。イェルクも『あのふたり、意外に馬が合うのでは??』って言ってたけどなぁ」

「やだやだ!やだやだ!!ちょっとお兄ちゃん、なんとか言ってよ!!」

「お、おう……」


 などと、ラシャにせっつかれたものの、思いつく反論はことごとく説得力に欠ける。中には、ラシャがキレ散らかしかねないものあり、カシャは天を仰ぐ。今ばかりはスタンやアードラの口達者ぶりが心底羨ましい。


「アードラもねぇ、滅多にないけど一旦頭に血が上ると厄介なんだよお。あの子に平静を取り戻させたラシャは凄いよねぇ。うんうん」

「すごくなーい!全然すごくなーい!!」

「ラシャはさぁ、うちで一番正義感強いじゃない??あ、これはイヤミでもなんでもなく純粋に褒めてるよ??たまに正義感がいきすぎて暴走しちゃうけど。でもアードラなら暴走を止めてくれるんじゃないかなぁ、と確信してるんだよ。君はメルセデス邸で彼の窮地を救ったでしょ??あの子、借りは徹底して返す主義だし、実際、助けてもらったよねぇ??なのに、君たちはあの子を信じられない??」


 ノーマンは、口を噤んだラシャではなく、カシャへ意味深な微笑みを送った。

 見透かされている。彼との相性、というより、妹の暴走を案じるがゆえの反対だと。


「信じてないわけじゃ……」


 ラシャと言葉が重なり、口ごもるタイミングも重なったときだった。

 誰かがやる気なさそうに扉を叩いた。


「入るよ伯爵グラーフ。なに、まだ兄妹揃ってうじうじぐだぐだ言ってるの??」


 誰のせいだ。

 狙ったかのように入室してきたアードラへ、心中で悪態をつく。ラシャに至っては今にも噛みつきそうな顔で睨みつけている。


「で、カシャはスタンの後任やるの??やらないの??」

「……やる」

「ふーん。で、ラシャは??」

「はぁんっ?!」

「僕と組むの??組まないの??ま、僕はどっちでもいいけど」

「……く、組む。組むわよっ!組みゃいいんでしょっ!!わかったわよ!!あー!組むわよ、組む組む、組むっ!!伯爵グラーフが言うなら信じるからっ!!」

「ラシャ?!」


 しまいにはぜぇぜぇ息を切らし、ラシャは自棄になって叫び散らす。


「ふーん、じゃ、決定でいい??おにーさまも異論なし??」

「その言い方はやめてくれ。普通に名前を呼んでほしい」

「……気にするとこ、そこ??」

「異論は……、ラシャが納得したなら俺は、ない」

「じゃ、決定」

「ひとつだけ忠告がある」


 え、なに、と眉を寄せたアードラを、いつになく真剣な目で見据える。

 鳶色の双眸に気迫を込めれば、アードラはやや気圧されたようにごくわずかに後ずさった。


「手を出したら頭蓋骨粉砕……」

「天地がひっくり返ってもありえないんだけど」

「ちょ、お兄ちゃん!」


 手を叩いて大笑いするノーマンの声が室内に大きく響く。

 スタンの不在、新たな立て直し。精鋭たちの間の不安をごまかすように。

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