七章 Like A Prayer

第74話 波紋

(1)


「うちはいつから吸血鬼の託児所になったわけ??」


 いつになく冷ややかなアードラの声が心臓を抉る。

 冷ややかなのは声だけじゃない。さわやかな笑みが消えた顔も視線も。すべてが凍てついている。


「ルーイを取り戻すことに関しちゃ僕も賛成だったよ??貴重な武器開発者の後進だし、まずありえないと思うけど、ルーイを留め置けばミアがうちを裏切らないって保証にもなる。勝手に危険に飛び込んだのはとんだバカとしか言いようないけど、貴重な情報持ち帰ってきたからチャラにできるし文句はないよ??若い女を大勢吸血した吸血鬼の血に強制支配の力が宿ること、あのお嬢ちゃんハイディがその力を持ってること、吸血一族があのお嬢ちゃんに乗っ取られてること、でも全員があのお嬢ちゃんを妄信しているわけじゃないこと、ミアには強制支配が効かないどころかミア自身が強制支配の力を持ってること。文句どころかお釣り返ってくるんじゃない??」


 寒々とした薄灰の双眸がミアを、ルーイを、ロザーナを、エリカを順に見回し──、エリカのところで怜悧さが一段と強まったが、一瞬で逸らされ──、最終的に執務机に座すノーマンと、机上に置かれたスタンの左腕で視線が止まった。


「で、どうするつもり??僕は別に始末してもかまわない気がするね。伯爵グラーフ次第だけど」


 始末、という言葉にエリカの青白い顔が更に白さを増した。固く閉じられた唇越しにかたかたと歯が鳴る音まで聞こえてくる。失神するんじゃないかと心配になり、か細い身体をそっと支える。

 案の定、エリカは視線でミアに縋ってきた。だが、アードラの暴言を咎める者は誰ひとりいない。

 反発したそうに顔を歪めるルーイも、困ったように曖昧に笑むロザーナもミアも、反論を試みたとて容赦なく論破されてしまう。


 ヴェルナーにとどめを刺さず、スタンを失った。

 いくら情報を得たとて大きすぎる失敗を犯し、代償を払ったことには変わりない。彼の怒りは最もである。

 だからだろうか。アードラの行き過ぎた言葉を、いつもなら厳しく叱責するイェルクも冗談交じりに口を挟むノーマンも今回ばかりは黙している。


「君はズルい子だねぇ」

「わかりきってることじゃん」

「なんでもかんでも僕に判断求められてもねぇー、困っちゃうなぁ」

「そのための頭じゃないの??ただ机にぼーっと座ってるだけの能無しなわけ??」

「アードラ、さすがに言葉が過ぎる」


 ノーマンにまで及ぶ毒舌を見兼ね、イェルクが止めにかかった。


「あぁ、いいよいいよー、僕なら気にしちゃいないからー」

「ですが」

「アードラはスタンレイに一目置いてるし慕ってるからねぇー。動揺してるんだってば!」

「は??僕は別に」

「僕の財布スろうとしてスタンレイにボコられたおかげでここにいるんだもんねぇ」

「……過去の暴露はご法度じゃん。あと、その言い方やめて。ボコられるの好きだって誤解される」

「あれ違った??」

「あのねぇ……、って、なに話逸らそうとしてんの。ごまかさないでよ」


 明らかに苛ついてるが、アードラの声と表情に温度が戻りつつある。

 感情は熱くなりすぎても冷たくなりすぎても物事への判断を誤りやすくなる。

 ノーマンはアードラに平静を取り戻させるつもりに違いない。


「いやぁ、脱線してわるかったねぇ」

「まったくだね」

「んじゃ、話戻そっか!アードラはどうして始末した方がいいって思うんだい??」

「ミアやルーイと違ってこのねんねちゃんエリカはとにかく弱々しいから。そりゃ、ミアとルーイだって最初は弱々しかったけど弱いなりに意思とか腹をくくる覚悟は見受けられた。でも、このねんねちゃんはただプルプルするばっかじゃん。それに」

「うん??」

「本当に人間を襲わない保証、なくない??いくらおとなしくても油断はできないよね??血はあんまり好きじゃないって言うけど嘘かもしれないし。ミアとルーイもロザーナが断固保証する!って押し切った感じではあったけどさ。今回はロザーナもそこまで押し切る自信、ないんでしょ??」

「えー、自信ならあるわよぉ??エリカはだいじょうぶっていう、あたしの勘!」

「バカじゃないの??バカすぎる。付き合ってらんない」


 バカだとは思わないし、むしろロザーナの勘はおそろしく当たる。が、形ある証拠にならないのが最大の難点だ。

 しかし、ミアもエリカとさほど親しくなかったせいで確たる証拠を示せない。ルーイとて吸血鬼化して以降、エリカとの関係が希薄だったので証言しようがない。


「ミアのじいさんにも『どうぞ』とばかりに見捨てられたとか。人質としても大した価値なくない??」

「うーん、それはちょっと違うよねぇ」


 ついに口を挟んだノーマンに、アードラはへぇ、と軽く眉を擡げて興味を示す。


「さっきみんなに話した、スタンレイに課してたもうひとつの指令でねぇ」

「あぁ、吸血鬼が人間に仇なそうとか企んでないかの調査だっけ??それがなに」

「このままじゃあ国軍が吸血鬼の殲滅乗り出す可能性が相当数高くなるんじゃない、ねぇ??」

「そんなことされたら少なくとも僕らは困るね。ミアとルーイを奪われるわけにいかないし、スタンも戻ってくるかもしれないし……って、なに」

「う、ううんっ!」


 思わず凝視したアードラに怪訝な顔され、慌てて顔を背ける。


伯爵グラーフ、続き」

「僕が思うにね、エリカは人質というより良い実験材料になるんじゃないかって思うんだねぇー」


 実験、という言葉によからぬ想像を浮かべたのか、エリカはよろっと身を傾かせた。慌てて支え、「エリカが考えるような悪いことじゃないよ」とささやく。最後に心中のみ『たぶん』と付け加えて。


「さっきアードラはエリカに意思がないって言ったじゃない??僕はそこが大事だと思うんだよねぇ。彼女の立場は限りなく中立、でもひょっとしたら彼女みたいなのがカナリッジに存在する吸血鬼の大多数じゃないかなーと。人間に対して明確な悪意を持たず、ただなんとなく吸血鬼特有の掟を守って生きている。それって大多数の人間とも変わりないよねぇ??法を守ってつつましく生きてる人間と」

「要は、このねんねちゃんのような吸血鬼が大多数なんだから、人間側で血を分け与える方法考えてやれば案外吸血鬼は害悪じゃない、害悪な吸血鬼だけ狩ればいいんじゃないってことを提示したいってことね。だから、うちで保護しろって。」

「そうそう!わかってくれたかい??」

「……そういうことね。了解。ちなみに話がまだるっこしいよ。わかりづらいったら」

「え、じゃあ!」


 ミアを含め、アードラ以外の全員が期待に満ちた目で彼に注目する。


「納得はしたよ、一応ね。ちょっとでも不審な動き見せたら」

「だ、だいじょうぶ、ですぅ……!!」


 震えるばかりだったエリカが突然、喉も裂けんばかりに声を張り上げた。


「だ、だって、ここの人たち、みんなおっきくてこわいもん!血を吸おうものなら張り倒されそう、だしっ!あ、あ、吸わないからっ、今のたとえだからっ……!!」

「……別になんにも言ってないよね??」


 言いたいことを叫ぶだけ叫ぶと、エリカはミアとルーイの影にぴゃっと身を隠した。

 彼女がこれまでに見せたどの動きよりも素早く、盾になったふたりでつい吹きだしてしまった。

 はからずも和んでしまったミアとルーイによって張り詰めた室内の空気が緩む。この場の誰よりも渋面を浮かべていたイェルクの緊張もわずかに解けた。


「さっ、以上で終わりっ!解散解散っ!みんな寝てないんでしょ??身体休めておいでー。あ、イェルク、スタンレイの腕だけど」

「待ってぇ伯爵グラーフ、そのことでお願いがあるのぉ」

「まさか、ちょうだいとか猟奇的なこと言わないよねぇ??」

「ちがうわよぉ!冷凍保存してほしいだけよぉ!」


 ある意味欲しがるよりも猟奇的じゃないか??

 場が凍りつくのに気づいているのかいないのか。ロザーナはノーマンと、引き攣った顔のイェルクに尚も請う。


「ね、ね!お願いっ!スタンさんの大事な一部だから、ねっ、お願いよぉ!」

「……な、なるべく善処するよ。ねぇ、イェルク」

「は?!……ロザーナ、君は疲れてるんだ。今日はもう寝なさい!」

「うん、よく寝るからぁ、冷凍保存の件はよろしくねぇー」


 頭を抱えるノーマンとイェルク、仲間やエリカの奇異の目に構うことなく、ロザーナは満足そうな様子で執務室を後にした。ミアはその後ろ姿をどうしても追いかけられず、複雑な面持ちで見送るしかなかった。







(2)


 主のいない部屋にはまだ靴墨の臭いが染みついていた。

 扉を開けるなりロザーナは軽く顔を顰め、いの一番に窓辺へ寄る。


「あんなに換気してって言ってたのにぃ……」


 わざとシャッと音を立ててカーテンを開ける。立て付けの悪い古い窓をがたがた鳴らし、開け放つ。ゆるやかな風が、染粉の色が抜け始めた白黒まだらの髪を浚う。

 朝の空気ごと息を大きく吸い込む。胸いっぱいまで。そして、身の内にわだかまる不安、焦燥など後ろ向きな感情を乗せ、吐きだす。


 絶対に帰ってくる。他でもない自分が信じなくてどうする。

 ひと晩寝ずに散々暴れてきたのだ。疲れてるからより強く不安や怖れを抱くんだ。

 気を抜くと下がりそうな口角をできるだけ自然に押し上げる。

 苦しければ苦しいときほど笑ったほうがいい。苦しい顔をしたら余計に気持ちが沈んでしまう。


 窓辺から離れ、ひとりで寝るには広く、ふたりで寝るには少々手狭なベッドの端に腰かける。

 当たり前のように並んだ枕のひとつを抱きしめ、かすかな残り香に胸が締めつけられた。


 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。

 枕に顔を埋めれば、声も鼻を啜る音も押し殺せる。

 この部屋には自分ひとりしかいないのだから。

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