第73話 見えない暗雲の影
(1)
地下を駆け抜け、はじめに侵入した尖塔へ逆戻りしていく。
階段を最上階まで一気に駆け上がり、石造りの無機質な部屋を通り抜け、自ら割った窓をもう一度潜って夜空へと飛び立つ。この間追っ手はひとりも差し向けられなかったことに違和感を覚えたが、なければないに越す。
眼下に広がる針葉樹の森を一望し、ロザーナたちの脱出成功を祈る。腕の中のスタンの腕が重みを増した、気がした。
ロザーナたちが山を下りきるのを待つべきか否か。彼女ひとりならまだしも、ルーイとエリカを引き連れている。時間は倍以上かかるだろう。待っている間に今度こそ追手が迫るしれない。スタンの血文字をもう一度確かめる。
『俺に構うな。先をいけ』
彼らしいというか。自分とロザーナの行動を見越した上での言葉。
こんな言葉を切断された腕に残すなんてどうかしている。どうかしているけれど、なぜだか従う気にさせられてしまう。きっとロザーナもこれを見たら、内心はどうあれ自分と同じように動く筈。
決してスタンの身を案じていないわけじゃない。悪い想像を払拭できたわけでもない。膨らむ一方なのを無理やり抑え込んでるくらいだ。
『とにかく今は動け』と乱暴に突き放されたからには動くしかないわけで。
真夜中の闇に染まった吸血鬼城を振り返る。その影の黒々しさは、一族全体が邪悪に取りつかれたせいだと思えてならない。
今度は対面遠くに望む、闇に茫洋と浮かぶ白亜の城を振り返る。途端に一刻も早く戻りたくなった。
チューブトップから剥き出しの肩が、腕が、背中が夜気にじんじん痛む。冷気を跳ね返すように、大袈裟な動きで蝙蝠の羽根を二、三度羽ばたかせる。
帰ろう。
今の私が帰る場所へ。
頭の片隅で湧き上がる『これでいいのか』という自問はあえて無視しておく。
この自問については住処に到着した後で考えよう。まずは無事に帰るのが何よりの優先事項。
ミアはすべての迷いを振りきると、住処へ向かって飛び立った──
結局、追っ手らしい追っ手をかけられることなく、拍子抜けするほどあっさりとミアは住処の城に到着した。到着後、城門の手前で三人を待ち詫びること、約三時間。
白み始めた空を背に、ロザーナとルーイがサイドカーに各武器とエリカを乗せて大型自動二輪車で無事帰途に着く。ロザーナは速度を減速させ、ミアが立つ近くに大型二輪を停めた。
無造作にヘルメットを外し、ミアに話しかけようとしたロザーナから表情が消える。
ミアが抱えるスタンの左腕を見たルーイとエリカの激しい悲鳴が空へ、森へ盛大に響き渡った。
一番気がかりだったのはロザーナの反応だった。どんな反応が返ってきても受け止める気でいるが、改めて直面するとかなりつらいものがある。もちろん一番つらいのはロザーナだが。
ロザーナは血の気が失せた顔でしばらく放心していた。
スタンの腕に手を伸ばし─、伸ばしかけてはぎこちなくひっこめ、また手を伸ばしては触れる直前でひっこめ──、を、一〇回以上繰り返したのち、ぱたり、力なく手を下ろした。
「ロザーナ。見るのもつらいかもしれないけど……、これを見て」
ミアが促すと、ロザーナは呆然としつつも視線のみ動かし、血文字を注視する。
「本当に死が目前の状態だったら、たぶん、血文字を残す余裕なんてない、と、思う」
「…………」
「きっと日が昇りきる頃には戻ってくる。満身創痍でボロボロかもしれないけど……、なんて、私の希望的観測だし、ロザーナがどう受け取るかはまた違ってくるかもしれないけど」
「……うん……」
ロザーナの様子を窺いつつスタンの腕をそっと差し出す。ロザーナは弱々しい動きで受けとると、大切な宝物を抱えるように、埃や血が付着するのもかまわず抱きかかえた。
「オレの、せい……」
「違……」
「違う。ルーイは悪くない」
くしゃり、顔を歪め、声を震わせたルーイにロザーナは間髪入れず否定した。これまでに聞いたことのない、鋭い物言いに誰もが言葉を失う。
「ミアに関する情報得るために、勇気振り絞ってお城に乗り込んだ。その情報は他のことにもきっと役立つ。違う??」
「……違わない、たぶん」
「たぶん、なの??」
「たぶんじゃない。
「でしょお??有益な情報、危険度の高い仕事に犠牲や代償0でいられるはずないしぃ。ってことで、片づけはまた後にするとして。
ロザーナはルーイの頭を撫で、次にミア、エリカの順にぽん、ぽんと頭や肩を軽く撫でていく。
少しずつ普段の口調に戻ってきたし、うっすらと表情さえ緩めている。その柔らかい笑顔は取り繕ったものだと、ミアには一目瞭然だった。
平静を装うロザーナに違和感があるにせよ、いちいち言及するのは詮なきこと。
まっすぐ門へ進むロザーナの背中を、ミアは黙って追った。
(2)
黄ばんだ壁に囲まれた独房最奥、窓と呼ぶにも申し訳ないほどの小窓から月明かりが差し込む。
だが、ただでさえ幅の狭い小窓は鉄格子の枠がはめ込まれ、美しい月光に細長い影が映りこんでいた。
「ほら、入れ!」
懲罰房から独房に戻された直後じゃ、さすがに反抗する気力は失せている。
自慢の金の緩やかな巻き毛の艶はないし、
思った端にふらふらとベッドに近づき、うつ伏せに倒れ込む。自然と深くなった呼吸で黴の臭い、何日も風呂に入れないがための自身の体臭を吸い込む。吸血鬼化で鋭くなった嗅覚を刺激され、ハイディはげぼげぼとえづく。
だんだんと、無性に腹が立ってきた。
この私が、惨めったらしい気分に陥るなんて。
込み上げた怒りは痛みも疲弊も凌駕し、ついにはベッドから跳ね起きる。
次の瞬間、かすかに流れてきた超音波を察知した。
吸血鬼城から届いた報告が進むにつれ、ハイディの顔が赤黒く染まっていく。
「は??馬鹿なの死ぬの??もういっそのこと死ねば??死んでくれてもいいんだけど??」
看守に聞き咎められない小声で、憎々しげにつぶやく。
あの
ミアを吸血鬼側へ奪い返そうとするのは別にかまわないが、いつ、誰が、私の右腕にしたいなどと言った??
しかも、ミアに強制支配が効かないなんて今更教えてくるとは。今まで、事あるごとに彼女へ送りつけていた超音波での命令が無駄だったなんて。
体力が有り余っていたら黴臭いシーツを引き裂き、細切れにしただろう。
老いぼれたちに強制支配が効いていようと。こうも勝手に望まぬ行動に出られては何の意味もない。
城に入り込んだ狂犬たちも
人間も賞金稼ぎの狂犬たちもミアも、吸血鬼城に残る無能たちも何もかもが癪に障る。
人間や狂犬たちにひと泡吹かせてやれたら愉快だと思っていたが──、これでは死ぬに死にきれない。
床に映し出された、月光と鉄格子の影とのコントラストを殺気を込めて睨みつける。
今に見ていろ。どうせ死ぬんだ。ならば、己が心から嗤える結末にしてやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます