第72話 光射せば、影生まれる➂
(1)
廊下を駆け抜け、居住棟中央の螺旋大階段へ辿り着く。三人で走る間、追手や刺客が放たれなかったことに安堵する反面、依然警戒は解けない。
階段を駆け下り、途中、壁に掲げられた男女の双子を抱く黒髪女性の肖像──、隠し扉が隠された絵の前でロザーナと立ち止まる。突然立ち止まった二人を、二、三歩先を行きかけていたエリカも訝しげに足を止める。確かめるように右手を男の子、左手を女の子の顔に添えると、ロザーナは力を込めて掌で押さえつけた。
「え、なに」
「まぁ見てろって」
零れそうな瞳を丸くするエリカと並び、扉と化した肖像画が開いていく様子を見守る。ひどく重たい音にエリカは身を強張らせ、何度もロザーナの後ろ姿とルーイの横顔を見比べた。
「なに、あれ……」
「脱出用の隠し扉。あれ、知らなかった??」
「知らないよっ」
「んー、まぁ、ふつうは知る必要ないしねぇ」
「ねーえ、開いたわよぉ。あたしの後にエリカちゃん、最後はルーイって順番で行こ??」
隠し扉を開くと、当然のようにロザーナは一番先に隠し通路の中へ入り、顔を覗かせた。
案の定、エリカが隠し通路に入って来る筈もなく。『なんとかしてよ!』と縋るような、責めるような目で見上げてくる。
「……あのさぁ、ロザーナ」
「んー??」
「オレ、ロザーナがなんでエリカ巻き込んだのか、なんとなく分かってきたけどさぁ。ちゃんとエリカに説明してやって??」
「あっ、そっかぁ!ごめーん、慌ててたから忘れてたわぁ。そうよねぇ、いきなり銃突きつけられて連れ去られそうになってるんだもん、びっくりするわよねぇ」
「びっくり、どころじゃないと思うよ?!ふつうは腰抜かすかチビるかな?!」
「やだぁ、ルーイったら!チビるなんて女子の前で言わないのぉ」
「ツッコむとこ、そこじゃないよね?!……あ」
エリカは小さく吹きだし、でもすぐに我に返って床に視線を落とした。ロザーナは隠し通路から出てくると、あとずさるエリカの前へ立ち、肩をそっと撫でた。
「エリカちゃん、ひどいこといっぱいしちゃって、ごめんねごめんねぇ」
「…………」
「『人質』って言って強引に連れていったのはね、貴女を助けるためだったのぉ」
「たすけ、る……??」
「そ。あの場に貴女を置いていったら、たぶん……、殺されるか拷問されるかもしれないし」
ルーイの予想通り、自分とロザーナの考えは一致していた。
エリカ自身も否定の余地がないのか、自らを抱きしめ、全身を大きく震わせる。
「ルー……」
「ごめん、オレのせい。オレを気にかけたせいで巻き込まれたんだ。エリカだけじゃない、ロザーナもミア姉もスタンも」
「いい情報掴めた??」
「は??」
ごめん、と続けようとして脈絡のない問いに遮られる。
「いい、というか、収穫に繋がりそうな情報!それさえ掴めてれば、みんな納得してくれるわ」
「そ、そうなの……」
「掴めた、掴めなかった??」
「たぶん、つ、つかめ、た、と思う……」
「じゃあよしっ。あ、そうそう、エリカちゃん。もう、ちゃん付けめんどくさいからエリカって呼んでいーい??」
急に話を振られ、上ずった声でエリカは反射的に、は、はいっと答えた。
「エリカはルーイと久しぶりに話したくて、ミアのおじいさんとルーイのあと追ったわけじゃないわよねーぇ??本当はこのお城の惨状をルーイ伝手にミアに知ってほしかったんでしょぉ??」
「…………」
「違う??」
ロザーナの笑顔は変わらない。だが、エリカの肩にかけた両手に少しばかり力が籠る。痛む程には力を加えてない。エリカは口を噤んだままでいる。
「質問変えるねぇ。エリカはどうしてもこのお城の中で暮らしたいって思ってる??」
ロザーナの質問の意図が読めない。横目で助けを求めてくるエリカに「し、正直に言って」としか答えようがない。若草の双眸に失望が過ぎるが、「悪いようにしないから」とか月並みかつ彼女にとって期待はずれな言葉ばかりが口をつく。
「よくわかんない」
「ちょ、エリカ?!」
「とりあえず病気が治るならなんでもいいやって吸血鬼にしてもらったの」
「うん」
「ま、周りに合わせてれば、吸血鬼のしきたりとか常識もなんとなくわかってくるし」
ロザーナは笑顔を浮かべたままで周囲を素早く見渡す。
長話をする余裕はあまりない。話を切り上げるタイミングを見計らっている。
「吸血鬼になってからの暮らしに特に不満はなかったのね??」
「はい」
「今はどーお??」
「今は……、あんまりお城にいたくない……」
「うん」
「ハイディがいなくなってもヴェルナー様やドミニク様、他の取り巻きが押さえつけてくるし、逆らうとひどい目に」
「じゃーあ、うちに来ればいいんじゃなぁい??」
「「え」」
エリカと共にぽかんと口を開ける。
ふたりしてまぬけ面晒していると、ロザーナは再び隠し通路の中へ入っていく。
「ねーえ、エリカ」
「は、はい」
顔だけぴょこっと出し、戸惑う二人に向けてロザーナはまた尋ねる。
「貴女にとって生きるのに居心地いい場所なら吸血鬼のお城でも人間の世界でも、どちらでもかまわなくなぁい??特にこだわりなさそうだし。あ、血への衝動が我慢できるかどうかによるけどぉ」
「血は……、実は、あんまり」
「じゃ、うちにおいで!ミアもルーイくんもいるし!」
言うやいなや、ロザーナは通路の中へ完全に隠れてしまった。
「ねぇ、わたし、結局どうすれば」
「いいからついていきゃいいよっ。ロザーナ信じられなきゃオレを信じてっっ」
いまいち納得しきれてないエリカを強引に隠し扉の中へ、押し入れる。中に入ったのを確認するとルーイもあとに続く。
隠し扉の内部通路は女性や小柄な男性でもしゃがむか四つん這いでないと通れない程、幅が狭く高さも低い。無機質な石壁に囲まれ、暗闇の閉所を一歩進むごとに壁が、天井が、床が、四方から押し迫ってくる。そんな錯覚まで起きてしまう。
暗闇をぎこちなく這うエリカの、更に前を行くロザーナの姿はルーイには見えない。時折、指示を下す声が聴こえてくるのみ。
通路は一定の距離を進むごとに短い階段が現れてくる。
その度に体の向きを変えては後ろ向きで階段を降り、また真っ直ぐな通路に変わると身体を前向きに変える。それを何度も何度も繰り返す。
匍匐前進に似た無理な態勢に加え追っ手への警戒で神経をすり減らす。ルーイやエリカだけでなく、ロザーナも少なからず心身の疲弊を感じてるだろうに彼女は一切感じさせない。スタンの安否だって絶対気になって仕方ない筈なのに。
「着いたわよぉ」
ほんの少し掠れてきた声でロザーナは二人に声をかけた。
通路の入り口の時と同じ重たい音が通路内に響く。徐々に開けていく視界、目を眇めた先には淡い月光に照らされた夜の世界が拡がっていた。
(2)
一階から地下に続く階段の崩れようから悪い予感はしていた。
崩落に注意しながら階段の途中から地下へ、そっと飛び降りる。
わずかな振動で壁が、天井からパラパラと石の欠片や塵が崩れ、あちこちに積み上がり瓦礫の上に降り注ぐ。その下には瓦礫に埋もれた人々と流血の跡が。
想像以上の惨事に胃の腑から吐き気が込み上げてくる。頭も血臭と眼前の地獄絵図でくらくらする。
立ち止まっていても仕方ない。絶望的な状況下、口元に手を宛がい先を進む。しかし、すぐに耐えられなくなった。かつて牢だった場所のひとつへ、隅の壁際へよろよろと近づき嘔吐する
スタンの指示通り、歌声で一族たちの動きを封じていれば、被害は最小限に抑えられた。
自分はいつもそう。肝心なときに甘さで失敗する。
吐瀉物と一緒に吐きだされる、言葉にならない後悔は止まらない。
これは吐いてる間だけ。すべて吐ききったら、後悔は一旦横へ置いておく。
吐いて吐いて、吐く。
吐いて吐いて、吐く。
出すもの出しきって、吐くものが完全になくなるまで、ミアは吐き続けた。
「……いかなきゃ」
涙と鼻水まみれの顔面、吐瀉物で汚れた口元を雑に拭う。
強めに鼻を啜り、壊れた鉄格子の中から出ようとして、ぱきり、足元で固い物を踏む。
なに、と、おそるおそる拾い上げる。跡形もなく粉々に砕けたレンズ、ぐにゃりと変形した金属の枠──
「眼鏡……、もしかして、ドミニク様の……」
眼鏡の残骸を持つ手が激しく震えだす。でも、今はスタンの安否確認を最優先すべきだ。
壊れた眼鏡を強く握りしめ、ひびが入りそうなほど奥歯を噛みしめる。できれば目を逸らしたい光景の中にスタンが紛れていないか、目を凝らす。瓦礫をどかしては下敷きになった者の面相を確認していく。生きていれば、たとえ虫の息でも僥倖。息を引き取っていたら──、できれば外れてほしい予想だが、遺体だけでも連れ帰る。
一度固く決めたら、どんな凄惨な遺体でも冷静に確認することができた。
そして、ミアはスタンを発見した。正確に言うとスタンだった一部を発見した。
最初、
それはスタンの左腕だった。
なぜわかったかというと、破損していたが彼が着用する黒いモッズコートに包まれていたから。
どうにか失神せず、それを拾い上げるとあることに気づく。
「血文字……??」
手の甲から手首にかけて血で書かれた言葉を見た途端、憔悴していたミアの顔つきががらりと変わる。
「……了解っ!」
自らが汚れるのもかまわず、ミアはスタンの腕をぎゅっと抱え直すと。
崩落も気にせず全速力で地下を駆けだした。
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