第71話 反抗期

 未だ粉塵舞う長い廊下より細長い影が浮かび上がる。

 影がこちらへ近づくごとにエリカの震えは激しくなり、ルーイも一歩ずつ後退していく。ミアは電流警棒を、ロザーナは短剣バゼラルドをそれぞれ構える。

 あの影の正体に気づいているからこそ、ふたりを守るべく前へ数歩進み出ていく。

 影は徐々に人の形を成していき、どのような顔かたち、髪型、服装かが分かるほど近づいたところで立ち止まった。


「お帰り、ミア」


 ヴェルナーは腕を広げ、ミアを迎え入れる態勢を作った。

 飛び込んでくるのが当然と望む両腕。だが、声と仕草と裏腹に、ミアへ向ける眼差しには温かさが感じられない。ミアは警棒をより強く握った。


「追放処分は取り消す。今すぐに戻れ」

「イヤ。絶対に嫌。絶対に戻らない」


 そんな、ミア様っ、とエリカの悲痛なつぶやきが背後で聞こえてくる。ごめん、と心中で謝り、ヴェルナーを睨む。

 ヴェルナーの腕は引き下げられ、代わりに冷たかった視線、表情がふっと緩む。


「お前ももう十五歳。立派な大人だ。反抗期の子供のままでいてもらっては困る」

「本当に私を大人だと思ってるならほっといて。私は人間の世界でちゃんと生きていける!」

「我々が人間にするように多くの人間が吸血鬼を忌避するのに??嫌われ疎まれ、憎まれる方がはるかに多いだろう??今は耐えられるかもしれないが、そのうち」

「私には、私を受け入れてくれる家族同然の仲間がいるし全然平気よ!」

「お前の家族は私だけ。他人、それも人間を家族などと……。何と嘆かわしい……」

「一度見捨てておいてどの口が言うのかしらぁ??」


 おっとりと柔らかく甘い声なのに、誰よりも鋭く聴こえる声が割り入ってきた。


「ハイディマリー様の義妹、か」

「あんまり認めたくないけどねぇ」

「ハイディマリー様も同感だ」

「ふぅん、そんなわかりきった話はどうでもいいのよぉ。それより、ミアは絶対返さない」

「ミアの能力がお前達双頭の黒犬にとって必要不可欠だから??」

「そうよぉ」

「何だ、お前達も我々と何ら変わりないではないか。こちらとてミアの力が必要だから戻ってもらいたい……」

「あたし達は吸血鬼とか人間とかどうでもいいのぉ。能力云々もあたしにはどうでもいい。あたしにとってミアは仲間だし家族同然の子。賞金稼ぎ以外の他の道に進みたいとか、好きな人できて結婚したいとか前向きな理由じゃない限り手放さないからっ」

「黙って聞いていれば勝手なことばかり……!」


 めりめりと音を立て、ヴェルナーの背中から巨大な蝙蝠羽根が衣服を突き破り出現した。

 廊下の横幅いっぱいに拡がった両翼が二、三度羽ばたき、視界からふっ、と消える。


「ロザーナ!!」


 叫んだのち、ルーイの腕を引いて壁際へ逃げる。直後、廊下を激しい突風が突き抜けていく。

 突風が過ぎ去ったあと、再び粉塵が舞う。ロザーナとエリカの姿が消えている。

 最奥にあたる廊下の端、地下へ続く階段の手前でヴェルナーの後ろ姿だけが確認できた。


 ふたりはいったい、どこへ?!


「動かないでっ!」

「ロザーナ!なにを……?!」


 ロザーナはいつの間にかヴェルナーとは反対側──、最初に彼が現れた場所に佇んでいた。左腕でエリカを拘束、右手の銃を彼女のこめかみに突きつけながら。


「撃ちたければ撃てばいい。ハイディマリー様とミア以外はいくらでも代わりがきく」


 エリカの瞳から涙が溢れ出し、ロザーナのモッズコートの袖を濡らしていく。エリカのすすり泣く声にロザーナは動じもしなければ拘束を緩めたりもしない。

 そんなふたりを心底どうでもよさそうに様子を窺うヴェルナーを、ミアは絶望に満ちた目で見比べる。


 ロザーナはエリカを本気で害すつもりなど、きっと、ない。

 三年前、自分と彼女が初めて会った瞬間と同じ。きっと、あとで『ごめんね、ごめんねぇ』とバツが悪そうにエリカに謝るだろう。エリカが許すかどうかはさておき。

 ミアが絶望したのはヴェルナーに対してだ。


 過去にも一族の長として非情な発言をし、決断、実行する時もたしかにあった。

 だが、昔の彼なら目の前で危険に晒される仲間を見捨てたりしなかったし、でき得る限り救出を試みただろう。純血、混血、元人間の区別なく。


 ところが、今はどうだ。

 自分には関係ないとばかりに知らぬ顔を決め込んでいる。


 厳しくも愛すべき祖父はもういない。

 この場に立ちはだかるのはハイディに完全支配され、凶悪化した初老の吸血鬼。


 いつも通り、攻撃して、捕縛して、警察へ連行する。

 いつもならそれでよかった。でも違う。そうじゃない。それだけじゃもうダメなんだ。

 それだけじゃ永久にいたちごっこ続けるだけ。それだけじゃ事態は何も変わらない。


 たとえハイディが処刑されても、彼女の遺志を継ぐといって第二、第三のヴェルナー達が現れる。


 吸血鬼全員が人間を敵視、あるいは積極的に狩りたがっている訳じゃない。

 自分やルーイ、スタンのように人間と共生を望む者もいる。エリカのように仲間内だけでひっそりと暮らしていたい者だっている。

 人間だって色々いるように吸血鬼だって千差万別なのに、一部の攻撃的な者のせいですべて害悪と決めつけられてしまう。


 吸血鬼同士だってそう。掟だの何だのと互いを縛り合い、閉鎖的に生きるから刺激を求めて狩りに走る。大昔ならともかく、現代なら人間を傷つけず血を手に入れる方法はいくらでもあるのに。少しの間だったが実践できていたのに!



 態勢を整えたヴェルナーがミア達へ再び向かってきた。

 真っ直ぐ突進してきた先程とは違い、壁を、天井を、廊下を縦横無尽に飛び交い、高速で突き進んでくる。老体とは思えぬ動きで牙と共に伸び、鍵爪と化した爪を振りかざされ、避けるので精いっぱいだ。


 カキィン!と金属と固い何かがぶつかり合う音、ついで悲鳴が頭上で響く。

 おそるおそる音の方向を見上げれば、ヴェルナーの手の甲に短剣ダガーが突き刺さり、壁に縫い留められていた。もう片方も同様に短剣で縫い留められている。


「ごめん……、ミア姉……」


 ルーイはぜぇぜぇと肩で息をついている。なにに対する『ごめん』なのか。理由はいくつか思い当たるがあえて言及せず、だいじょうぶ、と頭を振ってみせる。

 もっと抵抗するかと思われたが、ヴェルナーは暴れもせず黙ってミア達を見下ろしていた。

 抵抗を諦めたのか、まだ企みが残っているのか。感情の見えない紅眼に抱いた恐怖を振り払うように、ロザーナを振り返る。


「ロザーナ!もういいでしょ?!エリカを解放してあげて!!」

「ごめんミア!それは無理なお願い!」

「え……」


 なんで、と問うより先に建物が一瞬、大きく揺れ動く。


 ひょっとして、地震とかいう事象が発生した??

 否、まさか。火山のないカナリッジではありえない。


「なんで、笑ってるの……??」

「さっきの揺れは地下からだろう。お前たちの長は苦戦を強いられてるかもしれないぞ」


 スタンは手榴弾を使用することがある。

 ひとり、くつくつと笑うヴェルナーを二度見、三度見し、もう一度ロザーナを振り返る。ひどく強張った顔に同じ考えに至ったことが窺い知れる。


「私が超音波で一族に助けを求めたとしても、今ならお前達だけで逃げ切れるだろう。簡単な話だ。彼を置き去りにすればいい。お前たちが求める情報ならすでにルーイに話した。これで任務完了。任務さえ果たせば多少の犠牲は致し方ない。違うか??」

「ちっ……」

「違わないわねぇ」

「ロザーナ?!」


 先程とは打って変わり、信じられないことにロザーナは花が綻ぶように微笑んだ。

 その笑顔は間近で目撃したエリカが恐怖を忘れ、見惚れるほどの美しさだった。


「ねぇ、ミア。今なら地下へ戻らなくたって大階段から逃げられるわよねぇ??他の吸血鬼も見当たらないし」

「ロザーナ……」

「ねーえ??聞いてるー??」


 ロザーナの豹変ぶりが正直、怖い。

 顔は笑っているし口調も普段と変わらないだけに、何を考えてるのかさっぱりわからない。


「ロザーナ!むっつり……、じゃない、スタンはどうすんだよ?!ホントに置いてくのかよ?!」

「んー??スタンさんなら自分でなんとかするんじゃなぁい??それより、この子は人質として連れてくからぁ」

「え、ちょっと……、まっ」

「はぁああ?!」

「ねーえ、ふたりとも早くついてきてよぉ??」


 ロザーナはそっけなくミアたちに背を向け、エリカを連れて大階段のある方へと消えていく。

 スタンも心配だが仮にもエリカは吸血鬼。非力な少女であっても、万が一襲われたら……。


「ルーイくん!ルーイくんはロザーナとエリカのあとをすぐに追って!スタンさんは私が様子見に行くから!」


 え、でも……、と迷うルーイにかまわず、ミアは元きた地下室へ続く階段へ向かって駆ける。壁に磔にされたヴェルナーを見ない振りをして。

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