第69話 光射せば、影生まれる①

(1)


 ルーイが自ら置かれた状況を理解するのにたっぷり二〇秒以上はかかった。


 なに、これ。

 なんなの??


 手足に吸盤でもついてるの??とか。

 頭に血が上らない??だいじょうぶなの??とか。

 どうでもいい疑問や懸念ばかり次から次へと浮かんでくる。


 ぽかんと口を開け、立ち尽くす頭上で大きな蝙蝠羽根が、ばさり、ばさり。これ見よがしにゆったりと動く。


「え―……、と……」


 状況自体を理解したからといって、すぐに対処方法が見つかるわけじゃなし。

 本能的に危険を感じているのか身体は無意識にあとずさり、距離を取ろうと試みてはいる。

 混乱するルーイを見下ろす吸血鬼はにたり、にたりと嗤う。その、気色悪い笑顔を見て初めて、背筋が凍りつく。


 すばやく吸血鬼に背中を向け、廊下を駆けだす。

 吸血鬼の手足が天井から離れ、逆さ向きのままルーイの後を追ってくる。


「いやいやいや、なんで普通に飛ばないんだよ!おかしくない?!」


 持ち前の俊足のおかげで距離は縮まらないが、とにかく怖いし気持ち悪い!

 半泣きで上着の裏をまさぐり、隠し持っていた短剣ダガーの内三本を右手の指の間に挟む。焦るせいで一本落としてしまったのが悔やまれるが、拾う暇なんてない。意を決して後ろを振り返ってみる。


「げっ!」


 短剣を用意する間に距離が縮まり、あと少しで追いつかれそうだ。

 相変わらず逆さ向きだが、ちょっと見慣れてきた。きっとこの飛行方法に強いこだわりがあるのだろう。もしくはルーイのビビりな性格見越して恐怖を煽ろうとしてるか。どちらにしても変人に違いないし、少なからずルーイを見縊っている。ふざけんな、大概にしろよ。


 肚の奥底からふつふつと怒りが湧いてくる。

 反面、冷静に目測している自分もいる。


 指に挟んだ短剣二本、放物線を描きながら飛んでいく。

 吸血鬼は向かってくる短剣を羽ばたきの風圧で叩き落とそうとした。


「ぎゃああっ!」


 吸血鬼が蝙蝠羽根に力を込める寸前片翼ずつ貫かれ、天井へ縫い留められた。

 だが、小柄かつ華奢な体躯とはいえ仮にも成人男性。投擲用の細身の短剣では短時間しか動きを封じれないだろう。その間にどれだけ逃げられる、か。

 何度も天井を振り返る。昆虫標本の蝶のような姿に心が痛むが、下手な同情心は持つべきじゃない。ルーイは再び廊下を駆けだした。


「う、わ……」


 耳障りな超音波が流れてくる。あいつ、変人なだけじゃなくてしぶといな!

 両手で耳を塞ぎ、速度を上げる。仲間が集まってくる前に最低でもこの階から離れなきゃ。

 長い廊下の突き当りはまだまだ、気が遠くなるくらいずっと先にある。でも突き当りまで行けば、地下室への階段が見えてくる。超音波のせいで居住塔からの逃げ道は絶たれてしまったし、地下室通って逃げることに決めた。

 更に走る速度を上げ──、ようとして、思わず止まりそうになった。


 廊下を挟んで等間隔に並ぶ、部屋という部屋の扉が一斉に開く。


 まさか。

 嫌な汗が体中から噴きあがる。

 一瞬にして湿った服が肌に張りつき不快でたまらない。

 額から伝う汗が目に染み、痛くて、つい指でこする。


 その、ほんの二、三秒の些細な動作がまずかった。


 目を開けると、部屋から飛び出した吸血鬼たちがルーイを取り囲んでいた。


「う、わああぁぁああああ!!!!!」


 複数押し寄せる真っ赤な目は殺気交じり。

 伸ばされる腕を潜り抜け、死に物狂いで廊下を突っ走る。

 残された短剣を全部使ったとしてたいした時間稼ぎにはならない。


「いっ、てぇ!」


 追っ手を振り切ったと思いきや頭上で羽音が聴こえ、こめかみを鋭い爪が掠った。

 足で追いつけない分、飛行による攻撃に転じたか。


「ちょ、さわんなよっ!」


 二人がかりで両脇を抱えられ、足が浮き上がる。焦って右手の短剣を振り回せば悲鳴が上がり、右脇から腕が外れる。左脇を抱える腕もつられて緩んだのを見逃さず、短剣を思いきり突き刺した。

 否応なく放り出された廊下へ、激しくよろめきながらも転倒せずに無事着地。同時に威嚇で短剣を頭上、背後へ向けてそれぞれ一本ずつ投げ放つ。


 残る短剣の数は五本。

 これ以上はここで使いたくない、けども。


「たぶん使わざるを得ないんだろなぁ……」


 だって少しずつ身体が重くなり始めてる。走る速度も落ち始めてる。

 さっき持ち上げられたときに余計な体力使ったせいも絶対ある。(あいつら許すまじ)


 疲れた。でも帰りたい。

 情報持ち帰らなきゃ。めちゃくちゃ怒られるに決まってるけど。

 でも住処に帰りたい。ミア姉に会いたい。


「ミア姉……」

「ルーイくん!」

「……は??」


 ミアに会いたいがゆえの幻聴、かと思った。


「ルーイくん!!壁際に飛んで!!」

「え、どゆことなの……」

「いいから!早く!!」

「え、え??ねぇ、どゆことどゆこと?!って、ちょ──!?!?」


 ルーイに向かって小さな影が物凄い速さで接近、横に突き出された片腕を胸元へ叩き込まれた。

 強烈な痛みに呼吸が止まる。視界がちかちかと白く点滅。胸だけじゃなく背中も痛むのはどうやら壁に押しつけられているから、らしい。


 え、なんなの、なんなの??

 なにが起こったの??


 自分でも大袈裟なくらい咳き込んでいると、吸血鬼達の悲鳴、こぞって廊下を後退していく足音が聞こえてくる。え、本当になんなんだよ?!と叫びそうになった次の瞬間。


 擲弾を発射させる音ののち、盛大な爆発音が廊下全体を満たしていった。







(2)


 冷たく湿った石床に、死屍累々と吸血鬼たちが横たわる。

 地下室の通路中に転がったそれらは皆、意識を失いつつも辛うじて生きていた。気絶しているか、虫の息で起き上がれないかの瀕死状態ではあったが。

 スタンはその中のひとりの頭を軽く蹴とばすと、歯の根が合わないほど震えるカルラの牢の前にスタンは立ちはだかった。


「いい加減出てきたらどうだ。貴様の牢も鍵はかかってないんだろう??」

「あ、あ……」


 奥の壁際に張りつくカルラから、周囲の牢へと視線を巡らせる。

 どの牢内にも人の姿は見当たらない。助けを求めていた者たちの姿も。


 ミアに釘を刺しておいてよかった。

 地下牢の鍵は最初から開いていて、囚われていた連中はすべて吸血鬼だった。

 ロザーナがかんしゃく玉を投げ込んでくれたので、通路に大挙した吸血鬼たちの内半数以上は倒すことができた。もう半数も凶暴なだけで大した戦闘力もなく余裕で倒せた。

 だが、通路の吸血鬼たちをほぼ殲滅したあたりで牢内の吸血鬼が襲いかかってきたときには一瞬、ひやりとした。結局数にもの言わせようとする有象無象だったけれど。


「出てこないつもりなら引きずりだすまでだ」

「ひっ……、ひっ、いや……」

「嫌なら答えろ。ルーイはどこにいる」

「し、知らないわ……、きゃっ!」


 鉄格子の扉部をわざと力一杯蹴とばす。

 金属が擦れ合う嫌な音を立て、扉は開く。


「本当に??」

「ほ、本当よっ!」

「そうか、じゃあ質問を変える。貴様らは誰の命令でこんな、つまらない茶番を??あの小娘か??それとも……、ミアの、祖父……、か??」

「…………」

「言っとくが黙秘を貫いたって貴様らには何の利にもならん。一族郎党滅亡の危機に陥るだけだ」



 こいつらと一緒にされたくないが、その中に俺も入ってるけどな。


 出立前にノーマンに知らされ、ルーイ救出とは別に自分だけに課せられたもう一つの任務吸血一族の内情を探る。この調子では人間を敵に回す気でいる、としか報告できそうにない。


 以前の自分なら処分されても致し方ないと諦めただろう。

 吸血鬼など害獣と同等の存在。今だってその思いは根底に残っている。


 でも。それでも。


 血塗れの害獣でも受け入れてくれる奴らがいる。愛してくれるひともいる。

 自分と同じく人間と共生する同志もいる。


 彼ら彼女らとの日々を奪われたくないと願うのは贅沢なのか。




「……さ、よ」

「なんだって??」

「……ヴェ、ヴェルナー、様が」


 最悪だ。

 できれば、違ってほしかった。


「ミアの祖父、か。で、奴は何を企んでる??」

「そ、れは……」

「君は知らなくていいことだよ」



 わずかな時間でも感傷に耽ったのが間違いだった。

 新手がひとり、足音もなく駆け込む気配を察知したものの、ほんの一瞬遅れを取ってしまった。


 振り返った時にはもう、バスタードソードがスタン目掛けて振り下ろされていた。


 鉄格子が、石床が、転がる吸血鬼たちの青白い肌が血飛沫に染まる。



「即死を避けるとは……、流石は忌々しき狂犬」

「……はっ!貴様こそ……。引き籠りのお坊ちゃんの癖にそんな重量物扱えるとはな……!」



 カルラの牢とは反対側の鉄格子にもたれかかり、スタンは剣を構えたままのドミニクを睨み上げる。

 狂犬よろしく、薄青の瞳は獰猛に光っていたが、血に染まった左腕は上腕から千切れかかっていた。

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