第68話 白か黒か②
(1)
吸血鬼たちの瞳が爛々と妖しく輝き、剝きだされた牙はミアにも向けられる。
銃を構えてはみた──、が、昔からよく知る一族たちの姿に照準がぶれてしまう。ミアが感じるような葛藤も躊躇も彼らは持ち合わせていないのに。
吸血鬼たちの手に落ちる寸前、ロザーナが間に滑り込む。ミアの眼前に迫った一人の肩を剣で貫けば、間髪入れずもう一人飛びかかってくる。
だが、スタンから低い位置での回し蹴りを食らい、顔から通路の石床へ突っ込み、意識を落とす。立ち上がったスタンの足元では
覚悟をしていなかった訳じゃない。
でも、ぼんやりとした憶測と実際目にするのとでは全然違う。
数にものを言わせられる相手じゃないと見なしたのか。
ふたりに恐れをなし、吸血鬼たちは攻撃を一旦止め、こちらの出方を窺いだす。
かつての身内が仲間を傷つけようとし。
仲間がかつての身内を傷つける。
ノーマンが自分にもこの任務に課したのは、人間側の世界で生きる覚悟がどういうことか、思い知らせるためだったかもしれない。
「ミア!今のうちに!」
「おい何してる?!」
イヤだ。怖い。
仲間も。
ふたりが必死で呼びかけて(スタンは怒鳴っている)くるが、心ごと停止した身体はまったく動いてくれず。手を伸ばすロザーナを避け、じりじり、あとずさっていく。
「こっの……、役立たずっ!」
「やだっ……!はなし……」
「ロザーナ!こいつ連れて走れるか?!」
抵抗する間もなくスタンに片腕で抱え上げられ、乱暴にロザーナの胸へと押しつけられる。
「うーん、たぶんできる、と思うけどぉ!」
「なら頼む!無理だと思ったら遠慮なく置いていけ……、ちっ、そんな動きで勝てるでも思ってるのか?!」
スタンは背後から襲いかかってきた吸血鬼二人を素早く振り返り、蹴り二発のみで落とし込む。
「スタンさん」
「いいから今のうちに早く行け!」
強引に腕を引っ張られ、ミアの足は意思とは関係なく勝手に動き始めた。
行く手を阻む敵にロザーナは片手で剣を突きつけ、怯ませ、鳩尾へ拳を叩きつける。吐き出される吐瀉物を避け、後ろに続く者たちを巻き込んでドミノ倒しになった上を、再びミアの腕を掴んで踏み越えていく。
続けざまに現れる新手が長い髪を掴もうとするのを避け、握りしめたままだったミアの拳銃をロザーナは奪い取る。彼らの顔面へカメムシペイント弾を撃ち放せば、空気が籠りきった地下室で強烈な悪臭は瞬く間に充満。未だ呆然自失のミアの鼻も刺激を受け、働かない意識下でも不快を感じた。
地下牢の出口であり、居住塔へ続く階段が奥に見えてきた。
ロザーナは
ちょうど、はじめて彼女と出会った三年前と立場が逆転している。爆破音、白光、悲鳴を背に、二人並んでぎりぎり通り抜けられる幅の階段を駆け上がる。
居住塔の階段は玄関ホール正面の螺旋大階段、地下室へ続くこの階段と、二つ存在する。
居住塔で使用されるのは螺旋大階段の方で、地下室の階段などほとんど使われていない。普段ならこの階段付近の廊下に人気は見当たらないのに──、やはりというべきか、廊下で吸血鬼数人がうろついている。彼らに見つからないよう、即座に階段へ引き返す。
カメムシ臭とかんしゃく玉の影響のせいか、地下から二人を追ってくる者はまだいない、が、油断は禁物だ。
ミアは相変わらずロザーナに手を引っ張られるがまま、あとに続くだけだった。動くだけの人形と化したミアにロザーナも何も言わない。
その調子で二階、三階と駆け上がった頃には、不思議と二人以外の気配をいっさい感じなくなっていた。
「ねぇ、ミア。ちょっとだけいーい??」
「……え??」
三階の階段、申し訳程度の踊り場に着くなり、ロザーナは突然立ち止まった。
壁際へ押しつけられ、なんだろう、と見上げたその時。
ベチッ!
「いたぁっ?!」
「こーら、大声出しちゃダメよぉ??」
だって、痛かったんだもん……、と言い返そうにも、両手で頬を強く挟み込まれているのでうまく喋れない。唇が突き出た間抜け面を前に、間近に迫るロザーナの顔は真剣だった。
「三年前、あたしを助けて城での生活捨てたのはミア自身。自分で捨てた
「…………」
「果たすべき目的に集中して」
ロザーナの掌が頬を離れていく。
まだ掌の熱が残る頬を両手でさすっていると、ロザーナは次の階段へ進みかけていた。
「わ、ま、待って……」
「もぉー、はやくはやくっ!」
振り返って大きく手招きするロザーナは、もう笑顔に戻っている。
「ロザーナごめん」
「んー、謝ることはないわよぉ??ほら、あたしはね、ママ以外の血族なんてどうでもよかったから簡単に割り切れたけどぉ、ミアはそうでもないじゃない??動揺しちゃうのはしょうがないかなぁって」
「私、甘いよね」
「うん、甘いわねぇ」
おっとりと柔らかな口調で言われると余計に突き刺さる。
「でもそれがミアなんだもん。ちょっと手がかかるくらいでちょうどいいのよぉ」
「う……」
「だいじょうぶっ!あたしだって判断遅れたり迷うことあるし、ねっ??うまく補い合えば問題ないでしょぉ??」
ロザーナの言葉は最もながら、今回動けずにいたのは──、結構、うん、かなり……、自分にへこむ。いや、へこんでいる場合ではない。
即座に気を取り直し、ミアは階段を二段飛ばしで駆け上がろうとして、足を止める。
一歩先行くロザーナも、次の段に足をかけたまま止まり、虚空を見上げている。
耳をよくよく澄ます。
聞き覚えのある悲鳴が上階から階段まで響き渡った。
(2)
監禁されていた部屋の鍵はあっさりとこじ開けられた。
鍵穴のわずかな隙間から廊下の様子を覗く。扉のすぐ目の前には誰もいなさそうだが、安心はできない。音を立てず、そーっと、数ミリ単位といっていい程の慎重さでルーイは扉を少しずつ、少しずつ開けていく。
三分の一近くまで扉を開けたところで、跳ね返りそうな勢いで全開させ、廊下へ。
扉付近にも廊下にも人気は全く見当たらないどころか、気配も感じない。
やっぱり見縊られてたんだ、と腹立たしく思う一方、その油断のおかげでこうして部屋を出られたとも思うと複雑な気分に陥る。まだ脱出は始まったばかり。自分こそ気を引き締めなきゃ。
中央の螺旋階段は人目につきすぎるからやめよう。と、なると、地下室に続く細長い階段、か。
地下室から螺旋階段の塔へ向かえば。あそこ、空気が淀んでるし不快な臭いも充満してるし、できれば踏み入れたくはないけど行くしかない。
身体の横につけた腕にぎゅっと力が入る。
廊下に敷かれた血色の絨毯へ一歩踏みだした瞬間、今まで『ない』と思っていた気配がたしかに感じられた。
この気配はどこからきてる??廊下をざっと見回しても人の影は見当たらない。
何気なく天井を仰いでみると、ルーイは首を傾けたまま固まる。
廊下の天井に吸血鬼の男性がひとり。逆さ向きで張りつき、ルーイをじっと眺めていた。
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