第64話 救出作戦①
(1)
若者たちが退室し、廊下の足音が聞こえなくなった頃。イェルクは渋面を浮かべ、ノーマンに問う。
「ミアを行かせて本当に大丈夫なんですか。ミアを守るための謹慎処分だった筈じゃないですか。スタンと行動共にするとはいえ、わざわざ危険の渦中へ放り込むなど……」
「だからだよ」
手入れした拳銃に安全装置をかけた上でノーマンはイェルクに銃口を向け、ドォン!とふざけてみせる。場違いな悪ふざけに顔色が変わるのが自分でも分かった。しかし、叱責の言葉が飛び出すより先に、ノーマンは被せるように続けた。
「実はさぁ、ちょっと前にカナリッジの軍本部から吸血鬼城への潜入調査を依頼されててねぇ……、あれ、僕言ってなかったっけ??」
「言うも何も初耳ですが……?!」
「そうだったっけ??まっ、いいや!」
「ちっとも良くありません!貴方という人はどうしていつもいつも……!」
イェルクは今度こそノーマンに詰め寄り、執務机に両手を乱暴に叩きつけた。
無礼は元より承知。無礼を働かれている筈のノーマンはというと、きょとんと不思議そうにイェルクをみつめている。呑気な態度が益々イェルクの怒りに油を注ぐ。
「いやあ、そろそろミアの謹慎を解除して任務課そうとは思ってたんだよ。君は怒るだろうけども、ルーイの件がいいきっかけになったって訳さあ。任務はもちろん、ミアに本気で腹を決めてもらうための、ね」
「腹を決める……??」
イェルクの怒りを見越したのか、たまたまか。胸ぐらを掴もうと腕が伸びかけたところでノーマンが再び話し出す。
へらへらしているようで底の見えない笑顔に怒りは霧散していく一方、きゅっと気が引き締まった。この笑顔に逆らってはならない気がする。
「ここ一年近くの吸血鬼関連の事件発生数は過去最多と言っていい程激増したよねぇ??きわめつけは
「つまり、今回の調査で吸血一族の実情をミアに見せ、人間側か吸血鬼側、どちらに着くか見極めたい、と仰りたいのですか?!」
仮にもミアは信頼に置く精鋭の一人。試すかのような物言いに鎮まった怒りが再燃する。
そんな、簡単に白か黒かを選べみたいな話じゃないだろうに。ノーマンの笑みは不気味なほどに崩れない。
この方はどうして、どんな状況に置かれても笑っていられるのか。たとえ作り笑いだとしても。
柔和な表情の裏は至極冷静且つ冷徹。本心が推し量れない怖さ、苛立ちは未だにつきまとう。
メルセデス邸潜入時、吐露した過去への態度も今にして思えばすべて本音じゃないのでは、と疑いたくなってくる。最もあの時の彼は半分酔っていたけれど。
「軍部は調査結果次第では国中の吸血鬼を虐殺、殲滅する気でいる。本能の赴くままに好き放題吸血する者も、本能を必死で押し殺して人と共生する者も関係なく。当然ミアもスタンレイもルーイも該当する」
「そんな……」
「仕方ないね。人間にとっちゃ吸血鬼は害こそあれど何の利も生み出さないんだから」
にこやかに微笑みながら言うには余りに辛辣で残酷な台詞。だが、決して否定できない事実。
反論をねじ込みたくなるのは大事な仲間だからであって、吸血鬼と深い関わりが一切無ければ何の感慨も持たなかったかもしれない。それでも――
「貴方の、口から……、そんな言葉は聞きたくありませんでした……」
「怒ったかい??でも一般論だよね」
「
ノーマンに食ってかかっても仕方ない。彼は自身が言うように一般論を口にしているだけ。決して本意ではない、と思う。頭では分かっているのに感情がなかなか納得してくれない。
「うんうん、最高に腹立たしいよね。僕も同じくさぁ。うちの子たちまでつまらん決めつけやめてほしいねぇ。ミアとスタンレイには結構な危険冒させるけど、ある日突然軍に連行されて始末されるのとどっちがマシだと思う??僕の言わんとしてること、分かるかい??」
「嫌というくらい分かります。分かりますが、あちら側ではミアも標的かもしれませんよ??。もしも
「だからスタンレイを同行させるんだよ。いやぁ、僕が理由伝えて頼んだりしなくてもあの子自ら動いてくれたから助かった!」
「
何度目かに上げた怒声には悲痛な叫びが混じっていた。
ノーマンは『ミアが強制支配され、組織に仇なすようならスタンが必ず始末してくれる』と暗に告げている。
確かにスタンならわざわざ命じなくても最悪の状況下でも的確に判断し、動いてくれるだろう。私情を差し置いてでも。だから彼は精鋭の長を務められるのだ。
「イェルク」
「分かっています。分かっていますが、理解はしたくありません。ですが、重要なのは任務です。私情を挟むべきではありませんでした」
本当は到底納得などできていない。
ノーマンはともかく自分より若いスタンが納得できる(だろう)ことを、もう動き出した任務についてぐちゃぐちゃ抗議していても埒が明かない。
自分ができることは有益な情報を手に三人が無事に戻ってくることを信じるだけ。それに――
名を呼びかけてきた時のノーマンの顔からは笑顔が消え、子を案じる親の物憂げな表情が取って代わっていた。
(2)
――数時間後――
月光に晒された闇より黒い古城の影は、追放されたあの夜に見上げた時と何ら変わりない。
眼前に立ちはだかる針葉樹の森も記憶通り。なのに、あの夜まったく感じなかった禍々しさが確かに漂ってくる、気がした。
ごくり、喉を鳴らして立ち止まる。落ち葉の下敷きになった小枝が足裏でぱきり、折れる。
静かな夜の帳にか細い筈の音はやけに大きく響き、少し前を行くスタンが勢いよく振り向いてきた。この任務のために髪を黒に染めたせいか、普段より更に顔色と目つきの悪さが助長され、ミアの肩に力が入る。が、怒られるかと思いきや、特に咎められはしなかった。
「廃集落も越えたし森の手前まで来た。ここからが吸血鬼どもの領域だな??」
スタンは闇なのか密集する樹々なのか判別しがたい深い森の入り口を指し示す。
「はいっ、私たちが足を踏み入れたことが知れたら……」
「吸血鬼どもが押し寄せてくるかもしれないってことか。と、なると……、お前は飛行で、俺は跳躍して森を越え、城内に潜入しよう」
「はいっ!」
「よし、行くぞ……」
跳躍の助走のため、スタンが数歩下がった時だった。
遠くからこちらへ向かって、二人にとってなじみのある、大型自動二輪車のエンジン音が近づいてきていた。
「スタンさん」
「あぁ」
エンジン音は少し離れた場所で止まり、入れ替わるように枯葉を踏みしめる一人分の足音がこちらへ近づいてくる。エンジン音よりももっと聞き慣れた足音が。
「たぶんだけど
「……無断だろうな」
「よかったぁ、まだ潜入してなかったっ!」
少し舌足らずな、おっとりと柔らかい声が辺りに響く。
額を抑えて立ち尽くすスタンの、盛大な嘆息が暗闇に溶けていった。
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