第62話 袋の鼠

(1)


 ミアと似て、ルーイもまた嘘やごまかしが得意ではない。


 ヴェルナー宛に飛ばした蝙蝠は次の日の夜には戻ってきた。

 掠り傷ひとつ負わず、特に危害を加えられた様子もなく元気な蝙蝠にホッとしつつ、足に巻きつけられた手紙の筆跡と文面に緊張が走った。


 ヴェルナーからの入城の許可は得た。

 あとはどうやって住処を抜け出すか。


 ここ数日間考えた末、思いついた住処を出る方法、それは。

『投擲の個人練習に一日費やしたい』だった。


 投擲は朝早くから夜遅くまで住処周辺の黒い森で練習する。

 これなら、外出して多少城に戻るのが遅くなってもそうそうバレにくい気が、する。

 ルーイのやる気に感心し、快諾したイェルクに強い罪悪感を覚えたが、嘘を悟られないよう笑顔でごまかす。上手く笑えていればいいけれど。


(賞金稼ぎの資質には恵まれなかったものの)体力向上訓練を受けていたお蔭で山を下り、麓の街を長時間歩き続けても疲れない身体に出来上がった。歩調も平均的な大人のそれよりずっと速い。

 順調に事が進めば夜中には帰ってこられる。もしも夜中を過ぎても『夜間練習もした方がいいと思って』とか言えば、最悪叱責されるだけで済む筈。

 今日のイェルクは外に出ず、住処での仕事に専念している。他の賞金稼ぎ達も、ロザーナは単身で遠方の街へ向かったし、兄妹は元々遠方が管轄なのでしばらく住処には戻らない予定。

 問題は近郊が管轄のスタンと目敏いアードラだ。ノーマンも要注意だろう。


 ルーイのオレンジがかった赤毛も、純血の吸血鬼でもなければ力を出していないのに真っ赤な瞳はよく目立つ。念のために黒いキャスケット帽を深く被り、大通りでも狭い路地でもなく中間の、そこそこ人通りのある道を突き進んでいく。

 大通りだと人目につき過ぎるし、案外狭い路地だと情報収集中のアードラと鉢合わせる可能性が高い

 。

 ミアのために情報を聞きだしたいと逸る気持ち、反面、仲間への後ろめたさが、吸血鬼城へ向かう足をどんどん速めていく。


 そうして、夕方になる前には麓の廃集落と、針葉樹が拡がる深い森の前に到着した。


 遥か頭上にそびえる黒い古城は青空の下ではくすんだ影にしか見えない。

 青空の下でこそ映える、住処の白亜の城とは対照的だ。

 否、吸血鬼城は夜闇と月灯りで不気味さが増す一方だが、住処の城はそれらの下でも美しい。

 ここまで考えたところで、随分と身贔屓になったものだと可笑しくなった。あくまでミアのというだけだったのに。


 住処の山と比べると、吸血鬼城の山の標高は随分低く感じられた。

 三年前、ミアを追って山を下った時は途中で力尽きてしまうかもしれない、と不安だったし、彼女に追いつける自信も正直なかった。(あの時追いつけて本当に良かった……)

 単純にあの頃より体力もついたし身長も伸びたからだろうが、息を激しく乱すことなく一時間もしない内に城門前に到着していた。


「……で、オレ、黙って入城してもいいのかな……」


 黒煉瓦を積み上げた重厚なアーチ門を前にルーイは迷う。

 決して、今更怖気づいた訳じゃない。門を潜ったはいいが、他の吸血鬼に見咎められないか、ふと気になったのだ。

 ヴェルナー自ら直々にルーイを出迎えてくれるとは思っていないが、案内人すらいないとなると、どうしたものか。もしかして罠に嵌められた??などと新たな不安、疑念が浮かんできては打ち消す。

 ぼやぼやしてても時間は無駄に過ぎていく。もし罠だったとしても――、上着の裏側、ベルトから下げた短剣ダガーをさっと順に撫でる。


「よ、よーし、いくぞっ!」


 覚悟を決めて、門の内へと一歩進む。

 そこから先へ進むごとに、ルーイは妙な違和感を覚えていった。


 門から玄関まで続く広い庭園はかつて四季折々の美しい花が咲いていた。

 滅多に外界へ出られない女達が退屈を紛らわすため、各々丹精込めて花を育てていた。

 だが今はどうだ。どの花も無残に枯れ果て、華やかだった庭は寂莫としていた。


 ポーチを上がり、玄関の重たいノッカーを叩く。やはり誰も出てこない。

 そっと押せば、鉄を引きずるような音を立てて扉が開いた。なのに誰も出てこない。


 扉を開けた途端、血臭が鼻の奥をついてきた。

 思わず、うぇっとえづき、口元を抑える。

 この三年で血への耐性はだいぶついてきたが、臭いは未だに苦手だ。きついとなると尚更。

 すでにほんのちょっと気分が悪くなってきたが、そんなこと言ってる場合じゃない。


「えっと、たしかヴェルナー様の執務室は……」

「僕が案内しよう」

「うわぁぁああっ!!」

「しっ!静かにしなさい」


 なんで気配消してるんだよ、とか、最初からわかるように出迎えてくれよ、とか。

 言いたいことは全て飲み込んだ。口を塞がれてるから言うにも言えないのだけど。


「しばらく見ない内に大きくなったな。その歳で僕と同じくらいの背丈だなんて。あちらで余程を口にしてるのかな??」


 ルーイの口を塞いでいた手を離すと、眼鏡越しにドミニクは人の好い笑顔を見せた。

 その笑顔に安心しつつ、『イイもの』という言葉が少し引っ掛かった。


「いいえ、フツーに人間と同じ食事摂ってるだけだし。それよりも、お久しぶりです。ドミニク様」

「三年振りだね。三年もミアの世話を焼いてくれてて恩に着るよ」


 世話を焼かれてるのはむしろ自分の方……、と言いたいのを堪え、ちょうどミアの話題が出たので話を切り出す。


「その、ミア姉についてなんだけど」

「あぁ、詳細はヴェルナー様に話してもらえないかな。君だってできればヴェルナー様以外には知られたくないだろう??」

「う、うん……」

「納得したなら行こうか」


 ドミニクの案内に従い、後をついていく。

 住処と違い、日当たりの悪い吸血鬼城内は夕刻前から薄暗い。

 照度類もわざと暗めにしてあるので余計に暗く感じる。

 唯一明るく感じる場所は、天井から大小複数の豪奢なシャンデリアが灯され、住処の倍の広さ、段数を誇る螺旋階段くらいか。それすらも、階段横の高い壁に飾られた肖像画の不気味さで相殺されてしまっているが。


 肖像画は古いもの程、黒髪で薄い顔立ちの人物が多く描かれている。

 昔は怖くてあえて見ないようにしていたが、今は怖いと思いながらもひとつひとつ眺めてしまう。


「ねぇ、ドミニク様」

「何だい??」

「吸血鬼一族と東の国の一族の血が混じったことで、何か変わったことってあったの??」

「変わったこと、とは」

「んー、うまく説明できないんだけど……。東の血が濃く出た吸血鬼は能力高いって言われてるよね??でも、東の一族って人間だったんでしょ??混血の吸血鬼は純血より高い能力発揮することもあるらしいけど、全員が全員ってわけじゃないって聞くし。その辺どうなの??」

「……さぁ、僕もよく分からないな」

「そっかぁ」

「それもヴェルナー様に訊いてみるといい」

「うん、わかった!」

「ほら、お喋りしてる間に着いたよ」


 精緻な彫細工を施された黒檀製の扉をドミニクが叩く。

 入室許可の声に影を潜めていた緊張が一気に膨れ上がった。


「僕はここまでだ。あとは自分で説明するんだよ??いいね??」


 扉を開けてくれたドミニクに、こくんとひとつ大きく頷くと緊張に震える足で室内に踏み入った。






(2)


「三年振りだな、ルーイ」

「ご、ご無沙汰してま、ます!」


 最奥の大窓を背に執務机に座す姿、真っ直ぐ伸ばした背筋も、淡々としながらも射るような目線も、三年前と全然変わっていない。


「そう固くならずともいい。こちらとて、そろそろお前からミアの現状を聞き出す頃合いだと思っていた」

「で、でしたか……」

「まずは手紙の内容以前の……、私がミアを追放してから現在に至るまでのあの子の話を聞かせてくれないか」

「は、はいっ!」


 ヴェルナーに乞われ、ルーイは得意気にこの三年間のミアの姿を語り始めた。


 ロザーナの誘いにより成り行きで賞金稼ぎの組織入りしたこと。血反吐吐くような辛く厳しい訓練の日々。賞金稼ぎとして着実に力をつけていったこと。そして、あのハイディに真っ向から立ち向かったこと――


 ヴェルナーは表情も変えず、一言も口を挟まず、黙ってルーイの話に耳を傾けていた。

 話が小一時間続いてもその態度は一貫していた。


「あの子は……、私の想像を遥かに超える成長を果たしたのだな」


 ルーイの語りが止まると、ヴェルナーはぽつりとだが、心底嬉しそうに呟いた。


「ならば、呼び戻してもいい頃合いでもあるな。心身共に強靭になったのなら」

「え??」


 予想だにしなかった言葉に、思わず正面からヴェルナーを凝視する。


「あの、次期当主はドミニク様……、じゃ、なかったんですか……??」

「次期当主がドミニク??そのように決めていたこともあったな。だが、今は違う」

「え、え……、でも……。あ、そうだ!」


 一旦話題を変えよう。

 自分がミアの活躍をうっかり話過ぎたから、きっとヴェルナーはその気になってしまったに違いない。


「あ、あの、ヴェルナー様!手紙にも書いたけど、ハイディの血に強制支配の力が宿ってるってホントなんですか?!その血を吸ったミア姉は今のところ何も起きてないけど、影響は受けないの?!答えてください!!」


 非礼は承知で、口を挟む隙を与えたくなくて早口で問う。

 ヴェルナーの切れ上がった柘榴色の瞳がルーイを冷たく見据えた。


「あぁ、そうだ。お前の言う通り、ハイディマリー様の血は他の吸血鬼を強制支配できる。禁忌である若い女の大量吸血したからだ」


 答えてくれないと思われたが、意外にもヴェルナーはすんなり答えてくれた。


「き、禁忌なのに、アナタは見て見ぬ振りしたんですか?!ミア姉を追放した時、あんなにハイディを警戒してたのに?!」

「確かに警戒していた。だが、ハイディマリー様の血を頂いてからはすべてあの方の御心に従うと誓った。ドミニクも同様に。我々だけじゃない、この城に住まう全ての吸血鬼はハイディマリー様へ服従を誓っている」


 脱力感と強い眩暈に襲われ、気づくと腰が砕けていた。

 毛足の長い高級絨毯の上だというのに冷たさしか感じられない。

 長、否、長の前での失態を取り繕う気になんて到底なれない。元長も特に咎めもしなかったが。


「まぁ、そんな話はもうどうでもいい」

「ど、どうでもよくなんかないっ!」

「ミアの身に何も起きていないのはハイディマリー様の血を吐いたからだが、元々あの子に強制支配の力は通用しない。なぜなら――」


 ヴェルナーが今し方口にしたのは、先程のルーイの疑問への答えでもあった。


「何にせよだ。あの子にはハイディマリー様の右腕として働いてもらわねばならない」

「か、か……、勝手なことほざくな!クソジジィ!!」

「何とでも言うがいい」


 ヴェルナーが手元のベルを鳴らすと扉が乱暴に開け放された。

 振り返るより早く、ルーイは二人の屈強な体格の吸血鬼に羽交い絞めにされた。


「他にもミアを連れ戻す方法などいくらでもある。が、まずはお前を人質にして助けにくるか、試したかった」


 引き摺られながら、「放せよっ!」「さわんな!死ね!」と叫び散らすルーイの声が廊下に消えていく中、ヴェルナーは開いたままの扉を自ら閉めた。

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