第60話 半人前だけど
(1)
トレーを落とさなかっただけでも気の小さい自分にしてはよくやったと思う。
足音を立てず、速やかに扉の前から立ち去れたことも、自分にしてはよくやっただろう。
ミアはともかくスタンにはすべてお見通しに違いないが。
夜間訓練の後始末を手伝っていたせいで、ミアへの朝食を用意するのが遅くなってしまった。
慌てて食事を届けに行ったら行ったで、ミアはすでに先客が買ってきた軽食を食べていた。
その先客が大嫌いな
三年前、ハイディを危険視していたがために、ロザーナを城へ引き込んだ疑いを口実にヴェルナーはミアを追放した。非常に薄いながらも、ミアがハイディを討ち倒す力をつけて戻ることへの期待を抱いて。
そのためにルーイはミアの元へ送られたのだ。彼女が吸血鬼城で唯一心許せる存在だから、彼女を支えて欲しい、と。
最も、ヴェルナーに命じられずともルーイは自主的にミアの後を追う気ではいたけれど。
そしてヴェルナーの期待通りに、否、期待以上にミアは心身共に成長し、強くなった。
遂には仲間の協力もありつつ、あのハイディをも捕縛した。
なのに、なんで。どうして。
またハイディのせいで、ミアは苦しい状況に追い込まれている。
禁止されてたにも拘わらず吸血したことが悪い。
そうと言われればそれまでだが、ロザーナを守りたいがために咄嗟に出た行動だったのに。
自分のためじゃない、仲間を思ってのことだったのに。
長い廊下を急ぎ足で歩く。
まずはいらなくなった朝食を地下の厨房へ持っていかなきゃ。
ノーマンや賞金稼ぎ仲間達が下した判断は間違ってないし、妥当だとは思う。
ミアがハイディを吸血によって捕縛したことは警察に知られている。ごく一部ではあるが、今までも組織に吸血鬼の構成員がいること自体、世間から不安視されていた。
関係者に箝口令を布いてるとはいえ、ハイディへの吸血が世間に広まったら――、良くて誹謗中傷の的、最悪の場合組織の存続自体危うくなる。
特に、住処で暮らす者達はこの組織でしか生きていけないし、一つの疑似家族化している。
かくいうミアも、ルーイですらも――、できれば、ここに骨を埋めたいくらいに馴染んでいる。
彼らとて多かれ少なかれミアと自分に情を感じてくれている、筈。軟禁となると聞こえは悪いが、同時にほとぼりが冷めるまで世間からミアを守りたいという思いの現れ、だと信じたい。
でも、だけど。
先の見えない不安を、ミアが感じない訳がない。
ヴェルナーやドミニクはいったい何をしていたのか。
いくらなんでもハイディを野放しにしすぎだろう。その結果、ここ数か月の間に吸血鬼絡みの事件が頻発しているじゃないか。
アードラの情報曰く、ヴェルナーかドミニクが血液の受け取りしていたのが、ある時突然ハイディに変わっていたとか。
その情報を聞いた時は少し違和感覚えた程度だったが、今にして思えばすでに何かが狂い始めていたのだ――
「よし、決めたっ!」
現在、吸血鬼城がどのような状態か、確認するのは――、怖い。とてつもなく怖い。
だが、特に何もなければ(可能性は限りなく低そうだが)、ヴェルナーにハイディの持つ血の力を聞き出せる。何か起こっていたとしても――、そうなった理由だけでもヴェルナーから聞き出してやる。
ミアや他の精鋭達と違って半人前な自分。でも、吸血鬼城にすんなり潜入できるのもおそらく自分だけ。
「外出理由、どうしようかなぁ……」
まずはイェルクをどうごまかすか、が、第一試練だろう。
賢く勘の鋭い
考えなしに城を飛び出すのは無謀を極めているし、ヴェルナーに会えなければ意味がない。
「うー……、うわぁぁぁああっ?!」
うんうん唸りながら歩いていたせいで、長い廊下を抜けて螺旋階段に差し掛かったのに全く気づけなかった。
段差を踏み外し、思いきり尻から階段を滑り落ちていく。振動でトレイ上の皿やカップは撥ね飛ばされ、ルーイの周りに白い破片が散乱した。
「痛ってぇ……、あーあーあ――、やっちゃった……。自分で余分な仕事作っちゃったよぉ……」
散らばった皿の破片を疲れた目で見やり、尻を擦りながら立ち上がる。
掃除道具はどこだったか。早くしないとスタンが様子を見に来るかもしれない。
「あー、パンもハムももったいなー。破片から離れてるし洗ったら食べられないかなー、無理かなー??」
さっきまで食欲なんてなかった癖に我ながらゲンキンである。
いっそ森の動物にあげてこようか、と、考えたところで、ルーイの柘榴色の目がパッと輝いた。
(2)
陽が落ち、薄暗闇に染まる頃。黒い針葉樹群の影、ざわざわと絶え間なく聞こえる葉擦れ、梟の鳴き声に怯えながら森の中を歩く。
足元を鼠か何かの小動物が駆け抜けていき、驚きの悲鳴を上げそうになる。危ない。大声を上げるのだけは絶対に避けたい。次は何が飛び出してくるのか。凶暴な猛獣だけは勘弁してほしい。
深いところへ歩みを進めるごとに鼓動の速さ、喧しさは勢いを増すばかり。
吸血鬼化してもルーイはミアやスタン程の身体能力は持ち合わせていない。
せいぜい夜目が利く、稀に見る俊足ということくらいしか能力開花していないが、おかげでランタンなしでも夜の森を歩くことはできる。灯りをともさなくても済むだけ、誰かに見つかる確率も少なくなる。
草木を掻き分け続け、ある一本の樹の下へ到着すると、ルーイはベルトから下げていた小袋を外した。掌の上で袋をひっくり返すと、細かく刻んだパン、ハム、チーズの欠片が出てきた。
「おーい。ちょっとだけど、食べる物持ってきたよー??」
頭上へ囁くように呼びかければ、ルーイの掌くらいの大きさの影――、小さな蝙蝠がゆっくりと肩へ降りてきた。
蝙蝠は肩から掌へ飛び移り、掌の餌を食べ始めた。前回の合同訓練後の片付けの最中、巣から落ちていたのを保護して以来、時々こっそり餌を与えていた。なので、ルーイによく慣れているし、頭もよくひとの言葉も理解しているようだ。
巣から落ちた子供は見捨てられることが多い。
病弱ゆえに家族に持て余され、最終的に吸血鬼の餌に差し出された自分と勝手に重ねて見てしまう。
「ねぇ、交換条件みたいで気が引けるんだけど。ひとつ君にお願いがあるんだ??」
蝙蝠はルーイの声に顔を上げ、小首をきゅきゅっと傾げる。
ルーイはシャツのポケットから折り畳んだメモ紙を出すと、真剣な目で訴えかけた。
「この手紙を足に括りつけるからさ、この山と向かい合ってる山……、分かるかな、けっこう遠いっちゃ遠いけど」
空いている手で吸血鬼城の山の方向を指し示す。
「あそこの山に建つ黒い城にさ、ヴェルナーって人が住んでてさ。シュッと細長い顔立ちしてて、白髪をオールバックにした細身のおじいさんなんだけど。背はあんまり高くないけど若い頃はいい男だった感じ??あ、目はね、オレと同じ真っ赤な色してる。その人にさ、この手紙を渡してきてほしいんだ」
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