第54話 甘いのはどっち
階下での複数人の話し声と足音を感じ取ってはいた。
狂犬たちが戻ってきたのだろう。その中にロザリンドが含まれていれば、自分達の居所が知られてしまう。
だが見つかったところで、人間が高い天井まで飛べはしない。ミアなら飛べるかもしれないが、重たい鏡床をひとりでこじ開けるだけの力はおそらく、ない。
まだまだこちらの方が状況的に有利な筈だった――、なのに。
壁際へ避難した直後、下階から何かの発射音がした。嫌な予感は益々膨れ上がり、隠し扉へ急ぎ近づく暇すらない。数秒、閃光と爆発音が真白の部屋じゅうを満たしていく。
鏡床は木っ端微塵、ソファーも吹き飛ばされ。
鏡の破片とソファーの木片、革切れ、綿などが雪の如く降り注ぐ。
諸々の残骸からハイディを守るマリウスの腕に力が籠る。
それを不快に感じながらも光で視界を奪われ、聴覚が麻痺しかかっているせいで手も足も出せない。
「ハイディ……、げほ、マリーさ、げほげほっ!たとえ、うっ……、新たな賞金かせ、げっほげほ!賞金稼ぎが侵入して、げほ、きても、せいぜいひとり、か、ふたり、程度、でしょ……げほごほ……!今の僕、なら、全員まとめて始末できましょうっ!げほげほげほ!!」
粉塵が舞ってるからといって、一々げほげほと喧しい。喋ることで自分まで咳き込むのは嫌なので、何も言わず聞き流してやるけれど。
巻き上がる煙と粉塵に多少は目が慣れてきた頃、砕け散った鏡床の辺りで煙から徐々に人影が浮かび上がっていく。
やっぱりね。
白けた顔で、薄くなっていく煙と反対に濃くなっていく二つの人影をマリウスの腕の隙間から覗く。これもやっぱりね。予想通り過ぎて面白くも何ともない。高揚していた気分が瞬時に褪めていく。
「スタンさんっ!!どこぉ?!」
煙の完全消失を待たず、鏡とソファーの残骸を踏み越え、
艶々と輝く銀の髪が暗闇を照らす様は月の女神が降臨したようで、太陽の光と称えられるハイディの髪よりも映えるのがまた気に食わない。
月なんて所詮、太陽の引き立て役の癖に。
太陽以上の輝きを放とうなどとは生意気が過ぎる。
「ロザーナ!スタンさんいたよ!」
「本当ぉっ?!」
ミアが自分達から見て左側の壁際に指を差す。
そこには長い前髪をぼさぼさに乱し、暴れる夫人を抑えつけるのに必死なスタンがいた。
「よかった……、特に大きな怪我もなさそ」
「良くなんかないわよぉおっ!!」
「え??」
「スタンさんのバカぁっ!浮気者ぉ!!」
「えぇっ?!」
「慌てて助けに来たのにぃぃっ!あたし以外の女の人と抱き合うなんてっっ!!」
「待って待って?!どう見ても違うと思うよっ?!?!」
違う!誤解だ!と血相を変え、繰り返し叫ぶスタンの言葉も、ミアの必死の呼びかけもロザリンドには全く通じていない。おまけに、双剣の一つをスタン目掛けて投擲する始末。(ちなみに剣はスタンとメルセデス夫人の顔の間の壁に突き刺さった)
「ロザーナ!落ち着いてってば!スタンさん受け取ってくださ……、ロザーナ邪魔しちゃダメッ!!スタンさん!!」
マリウスがちらちらとハイディの顔色を窺い出したが、何も命じないせいで彼も動くに動けない。というより、子供じゃないのだから、一々命令しなくともハイディの意思を汲み取って自ら最善の行動してほしいのだが。先程の爆発から庇ってきたように。
あぁ、ほら、スタンの手に武器が渡るのを指を咥えて見ているしかないとは。
ロザリンドはハイディに一切見向きしない。反対に自分は一体何を見せつけられているのだろうか。
ハイディの
ロザリンドは昔からそう。ハイディのことなど眼中にない態度を取るのだ。
あの娘はいつもいつもハイディの気分を逆撫でることばかりする。
「……マリウス、夫人はもういい。代わりにあの小娘二人をいたぶって。命令よ」
「承知しました」
待ってました、と言いたげにマリウスが大きく頷く。
隠し持っていた
「ハイディマリー様っ!」
「また邪魔なの?!」
とうとう怒りも露わに叫ぶと共に再び爆発音が襲う。
一発だけじゃない。二発、三発と連続して擲弾が撃ち込まれる。
粉塵に噎せていると、今度は
馬鹿め。自分も夫人も壁際にいるので弾は届かない。無駄な攻撃だ。
現に、弾はあらぬ方向へ飛んでいくではないか。
「ハイディマリー様!」
マリウスが自分を抱きかかえたかと思うと、いきなり床へ転がった。
痛いじゃない、と文句を言い募ろうとして言葉を失う。
先程までハイディがいた壁際に弾がめり込んでいる。マリウスが咄嗟に庇わなければ、弾の位置的に頭部に命中していただろう。
「おのれ……、跳弾させてハイディマリー様を……」
「あれ、もしかしてマジで惜しかった??残念だなぁ」
階下から、緊迫した状況にそぐわないのんびりした、それでいて小馬鹿にした声が届く。
「僕、お嬢ちゃんのせいで今物凄く機嫌悪いんだよね。ラシャ達が穴開けてくれたし、壁際にいようが逃げ回ろうが今度は外さない」
「黙って聞いていれば!ハイディマリー様!!奴らを始末してきます!!」
「マリウス!」
マリウスは蝙蝠羽根を拡げ、穴から階下へ飛び降りていく。
一応は呼び止める素振りは見せたが、本気で止めるつもりはさらさらない。むしろ、彼にしてはいい判断をしてくれた。逃走する機会が作れそうだからだ。
メルセデス夫人は捨て置く。マリウスも夜会の相手役が終わればもう用はない。自分さえ無事に逃げられさえすればいい。
二人が捕縛後出廷し、自分の名前を出したところで自分に害は及ばない。
なぜなら、吸血鬼は現行犯でない限り逮捕できない。吸血鬼城への潜入捜査も行われない。
対角の壁際、スタン達の様子をちらと探り見る。
壁に手をつき、スタンをひたすら責めるロザリンドの傍ら、スタンに代わってミアが暴れる夫人を拘束している。
隙だらけなのも大概ね。怯えて動けないとでも思っているのかしら。
この程度で追いつめたつもりでいるとしたら、甘い。甘すぎる。
込み上げてくる笑いを堪えながら、ハイディの瞳は柘榴色へ変化していく。
明るい水色の夜会ドレスから剥き出しの背中に蝙蝠羽根が出現し、ぷくりと膨らんだ唇から牙が伸びていく。その間、僅か十数秒。
本性を曝け出せば必然的に身体能力も上がり、動きが普段の二倍速くなる。三人が気づき攻撃を仕掛ける頃には、壁の隠し扉から脱走できてしまう――
「自分だけ逃げるつもりなの??」
「?!」
隠し扉がある壁際へ飛び出そうとして、止まる――、驚きで止まらざるを得なかった。
ハイディの行く手を阻むべく、ミアが立ちはだかっていた。
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