第53話 我が儘な子供
(1)
ロザーナと肌を重ねるごとに、彼女の身体に残る傷跡をスタンは自然と把握していった。
男の自分はともかく、女性のしなやかな柔肌に傷痕が残るのは正直痛々しさを拭えない。
その、決して少なくない傷痕の内、明らかに仕事で負ったものではない古傷がいくつかあった。
例えば、二の腕の内側や脇の真下の縫合痕。足の付け根から内腿にかけての大きな縫合痕。そして、反対側の内腿、腹には三か所、焼き印を模したかのような火傷痕。
最初に抱き合った(厳密に言えば寝込みを襲われたのだが)夜はただただ彼女に翻弄されるばかりで、傷痕の原因についてまでは思い至れなかった。しかし、二度、三度……と続けば少しずつ余裕が生まれてくる。
何度目かに共に迎えた早朝。着替えを始めた背中に『前から気になっていたが……』と尋ねてみた。ロザーナは質問に答えず、黙々と着替え続けていた。
訊かなければよかった、か。
数分間の沈黙。押し寄せる後悔。
『我が儘な子供の仕業よぉ』
着替えを終えると、ロザーナはようやく口を開いた。
『あの子はどうしてもあたしを泣かせたかったみたい。火傷も脇の下の傷も、全部あたしの泣き顔見たさにあの子がつけたんだもの。火傷は奴隷の印、って意味……』
『わかった、それ以上は話さなくていい』
『ごめんねぇ、朝早くからこんな話しちゃってぇ』
『謝らないでくれ。むしろ、嫌な話を無理矢理聞き出そうとして悪かった』
『ううん、いいのっ!昔の話だしぃ、あの子はああいう子だしぃ、あたし自身も微妙な立場だったからぁ、年端もいかない内から割り切ってたわ。あの子としては、あたしは泣いて媚びてへつらうのが当然だって、思ってたんじゃないかなぁ??』
嫡子が庶子に悪感情抱く気持ちは理解できなくはない。かといって、縫合が必要な程の怪我や火傷を何度も負わせるのはーー、人目に触れない箇所を選ぶあたりが周到かつ悪質だ。
『あの子は何でも自分の思い通りにしないと、とにかく気が済まないの。いつもイライラしててぇ、何をしててもちっとも楽しそうじゃなかったわぁ。ママやあたしの存在だけじゃない、自分を取り巻く世界全てが気に入らないって感じぃ??何がそんなに気に入らないのか、あたしにはさっぱりわかんなかったかなぁ』
『我が儘な子供』
なるほど。吸血鬼どもを牛耳る女王……、女王然としているが、その実態はお気に入りの玩具をそこらじゅうに散らかした部屋に籠城する、我が儘三昧な子供、というだけ、かもしれない。
『それにしたって相当に我が儘が過ぎる。俺は度を越して甘やかされてきた奴が嫌いだ。特に立場や力があるとすぐ調子に乗ってでかい態度を取るし、人を踏みつけにする……。あぁ、悪い。仮にもお前の義姉なのに言い過ぎた』
『ううん、ハイディマリーは概ねそんな感じだから全然いいのっ。ただ、ね……、甘やかされてきた人全員が嫌な人って訳じゃない、と思うのぉ。ほら、うちにもいるでしょぉ??甘やかされてきた、っていうより、温室で大事に育てられてきた』
『そんな奴、いるか……??』
意外なことに、住処に住まう精鋭達のほとんどはそれなりの良家出身だ。
とはいえ、温室育ちという程でも……。
『あぁ……、わかった』
眉目が下がりきった困り顔が特徴の、あいつか。
『まぁ、ミアみたいなのはある意味希少かもしれんな』
今のところは、と、心中でのみ付け加えておく。
殺しを禁じていても、血塗れの道には変わりないこの仕事を続ける以上、いつ、どこで吸血鬼の本能が目覚めてしまうかなんて、誰にもわからない。
願わくば――、この先も人間と関わり続けるなら、終生目覚めて欲しくないものだ。
(2)
膠着状態のメルセデス夫人とスタンの様子を他人事めいた目で眺める。
悪鬼の形相へ変化していく夫人に対し、スタンは表情どころか顔色もほとんど変わっていない。さすがは忌々しき組織最古参と言うべきか。ハイディとしては全く面白くない反応ではあるが。
連中の中でも、ロザリンド以上にこの男の存在は気に障ってしょうがない。
かの国特有の皮肉めいた物言いだけじゃない。この男のためならロザリンドがいくらでも涙を流すからだ。
幼い頃、どれだけいじめ倒してみてもロザリンドは決して泣かなかった。
直接的に暴力を振るってみても(顔や手など見える位置は狙わない。背中や胸、腹など服に隠れる場所を狙った。でないと、父親にロザリンドへのいじめを知られてしまう)、言葉のナイフでずたずたに引き裂いてみても。涙を一滴たりとも流さなければ、菫の双眸を潤ませることすらなかった。 なのに――、この男はいともたやすく彼女を泣かせた。
「気に食わないわね」
唇を動かしたのみ、声なきつぶやきにマリウスが反応を示す。
向けられた視線を『かまわないで』と振り払い、引き続き夫人と
夫人が激高するのも、それによってスタンに襲いかかるのは時間の問題。
この男はどう出るか。あっさりと殺してしまう……、いや、それはまずありえないだろう。夫人は奴隷売買の件含め、多くの罪を犯している。夫共々、法廷で裁かなければならない。そのためには捕縛のみで済まさなければならない。
あぁ、いいことを思いついた!
「マリウス」
『夫人の首の骨を折りなさい』
「させるか!」
ハイディの唇の動きはスタンにも見られていたらしい。なんて目敏い奴!
マリウスが動き出すより先に、スタンはメルセデス夫人に向かって一直線に飛びだす。横から伸びてきたマリウスの腕を避け、夫人を抱きかかえ元いた場所まで飛びずさる。
正面からマリウスが迫りくる。下の会場と比べて天井が低い分、上に逃げ場はない。
部屋自体の広さも会場より狭く、後方へ逃げればいずれ壁にぶち当たる。マリウスの横をすり抜けようにも彼の長い腕が伸びてくる。
出入り口も例の鏡の他にあるにはあるが、真白の壁に指文字で暗号を書き記すと、壁の一部が開くのでスタンでは脱出不可能。
「さぁ、子猫ちゃん!ここからどう無事に逃げきる??」
メルセデス夫人を手放す訳にもいかない。マリウスの攻撃も躱し続けなければならない。
なのに脱出もできない!!
「子猫ちゃん、じゃなくて袋の鼠、ね」
戦力の要であり戦闘時の指揮官も担うこの男を失えば、双頭の
何より、愛する男を失った時のロザリンドの反応を、この目で見てみたい。
ほら、怒り心頭のメルセデス夫人は彼の腕の中で暴れてる。その夫人を有無を言わさず抱え続け、体格差腕力差もあって己と同等の速さを誇るマリウスから逃げ回るのは必要以上に体力を強いられる。
あぁ、可哀想に。少しずつ息が上がってきてる。
夫人と共倒れするのも時間のもんだ……
声を出して笑いそうになった次の瞬間、この場の全員の表情が一斉に凍り付く。
「ハイディマリー様!」
マリウスが血相を変え、瞬時にハイディの傍まで駆け寄ってきた。
スタンも暴れる夫人を抱え、部屋の隅まで急ぎ駆けていく。
「マリウス」
「耳を塞いでください!」
スタン達と別の、彼らと対角になる壁際まで駆けながらマリウスは叫ぶ。
マリウスではなく自身の悪い予感に従い、ハイディは耳を塞いだ。
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