第50話 『そんなもん』なんかじゃない

(1)


 黒革張りのL字型ソファーに座り、ワイングラスに口をつける。

 隣に座すメルセデス夫人は実に美味そうにグラスを煽り、警護の体で傍らに佇むマリウスもグラスから唇を離すなり吐息を漏らした。

 階下から殺伐とした騒音が響いてくる。ハイディたちにとっては単なるバックグラウンドで流れる音楽、退屈を凌ぐ余興でしかない。床面の一部が鏡張り――、ちょうど彼女達の足元ら辺を見下ろす。その、マジックミラーの床面から暗闇下で立ち回る賞金稼ぎ達の頭頂部、動き自体が全てお見通しである。


 あの時――、照明を落とし、蝙蝠の群れを乱入させた隙にマリウスがハイディと夫人揃って抱え上げ。暗闇と騒ぎに乗じ、天井壁の一部を蹴りでこじ開け会場から上、階の隠し小部屋へ一瞬で移動。

 賞金稼ぎ共の誰かに気づかれるかもしれない。随分危ない橋を渡ったと思う。

 だが、危険を承知での行動も刺激的でたまには面白いかもしれない。

 実際は誰一人気づかず(おまけに二名は場を離れていたし)、少々期待外れであったが。(案外無能なのかしら??)


 期待外れの無能と言えば、会場に集めた吸血鬼達だ。それはメルセデス夫人の使用人達もしかり。

 ハイディ自身の血をワインに混ぜ、飲んだ者からひそかに呼び出し、合図を送り次第人間の客を襲う。よくよく言い含めていたのに当てが外れてしまった。

 やはり、その場限りで適当に下僕化させた輩より、マリウスのように充分に飼い慣らした者を使うべきだった。私としたことが詰めが甘かった、と非常に珍しく自省する。


 そして、もうひとつ、気に入らない出来事が起こった。

 屋外から不快極まる歌声が――、そう、ミアの破壊的音痴な歌声が聴こえてきたのだ。


 ミアが吸血鬼城で暮らしていた頃、一度だけ彼女の歌声を耳にしたことがある。

 気弱でどんくさい箱入り娘の癖に!ある意味暴力的な歌声には背中に悪寒が走り、吐き気をもよおしたものだ。これまた自分にしては非常に珍しいことに、ミアの歌声には恐怖さえ覚えている。あくまで歌声に対してだけで、歌声以外は侮りこそすれ、恐れる要素など何一つ持ち合わせていない小娘--、なのに。


「面白くないわね」


 わざとワイングラスを床へ、鏡張りの箇所は避け、石膏の床面へ放り投げる。

 メルセデス夫人が、何をするのかと言いたげに、ただでさえ零れそうな瞳を更に大きく見開き、凝視してきた。赤が沁み込んでいく乳白色の床面、グラスの残骸を一瞥し、耳を塞ぎながら夫人に向き直る。


「あら??怯えていらっしゃるの??グラスが割れた音が狂犬たちに聞きつけられるかも、と恐れてるのかしら」

「……いいえ。仮に聞きつけられたとしても、簡単にはこちらへ侵入できませんわ。なぜなら――」


 ハイディに続き、メルセデス夫人も耳を塞いだ。ついでに秀麗な顔を歪めたマリウスも大きな掌で自身の耳を塞ぐ。

 黒革張りのソファーしかない、白く、殺風景なこの部屋は扉のない隠し部屋。唯一出入りできる場所は足元のマジックミラー部分のみ。裏を返せば、マジックミラーであること、及び、出入り口だと知られたら一環の終わりだが。


「万が一この部屋の存在を気取られたとしても、下僕のマリウスが彼らと対峙するので特に問題ありません。全員は無理でも一人二人なら始末できますし、隙を見て私たちだけでも逃げればいいのです貴女は別室にいらっしゃる夫君の元へ、私は適当に逃走経路を見つけて逃げます……」


 赤子でも理解できるだろう説明をしつつ、夫人の様子に注目してみる。

 ハイディの説明をちゃんと聞いてはいるようだが、違和感を覚えるというか。どこか上の空というか。顔はハイディの方を向いているが、目線は鏡張りの床、厳密には階下へ向けられている。

 他の者ならば、お前は阿呆なのかと詰り、平手打ちしてやるのだが――、これでも国軍の中枢を担う人物を吸血なしで骨抜きにした傾城。裏取引で得た資金で多くの商売を成功させたやり手婆。(どんなに外見が若く美しかろうとも三十過ぎた女は婆でしかない)

 メルセデス准将が密かに法を犯し、闇の人身売買に加担するのも愛する妻のため。つまり、ハイディは現段階ではに預かっている状態なので余り強い態度に出られない。


 だがしかし、夫人に少しずつ自らの血を飲ませている以上、立場が逆転するのも時間の問題。

 ほら、今でさえ顔色を窺う目でハイディと足元の床面をちらちら見比べてくる。


「わたくしは決して怯えている訳ではありませんわ。ただ……」

「ただ、何ですの??」

「あの……、賞金稼ぎの中に、見覚えある者がいるのです。正確には、昔の知人と面差しがとてもよく似ておりまして」

「へぇ、どなた??」

「ちょうど今、鏡の真下を駆け抜けていった者です」

「あぁ……、あの」


 ――目つきと口の悪い、チビの狂犬ね。


「ねぇ、メルセデス夫人。お遊びもそろそろおしまいのようです。でも、もう少しだけ遊びませんか??」

「え??」

「まぁ、遊ぶというより、賞金稼ぎの犬を揶揄ってみると面白いかもしれませんわ。全部は無理ですけど、一匹くらいなら大丈夫なのでは??そうそう、先程貴女が気にした、鈍色の毛色の犬とお喋りしてみませんこと??」







(2)


 暗幕の向こう側から聞こえてくる悲鳴と騒音を背に、ラシャは酷く焦れていた。

 ファルケを例の髪紐を使い、後ろ手で拘束、自分とアードラの前で跪かせたはいいものの――


「何度も言ってるだろ??俺はハイディマリー様の仰る通りに動いただけだよ」

「だーかーらぁー!その、ハイディマリー様とやらがあんたに仰った内容が何なのか、いい加減口割りなっ!」

「俺が口割ったところで事態が好転するとは限らないんじゃない??」


 ああ言えばこう言う!さすがアードラの元親友だけあるんだから!

 イラッとして、ファルケ、アードラの順に睨みつける。そもそも『僕が吐かせる』と言い切った癖に、結局自分が尋問しているじゃないか!!


 まぁ、家族同然だった親友に『お前アードラは自分だけ助かりたくて俺を見捨てて逃げたんだって、ハイディマリー様が仰っていた!あの方がそう仰るなら事実だし、絶対に許してはならない、許すべきじゃない、とも仰っていた!!だから俺はお前を許さない!!』なんて高らかに言い切られたのだ。心が折れ、反論の術を失ってしまうのも分からなくはない、と思う。

 スタンやノーマンなら『この程度で……、甘い!』と一蹴するかもしれない。が、もしもラシャがアードラの立場で兄がファルケみたいに変貌してしまったら――、そう思うとアードラを責める気に到底なれなかった。


「俺はハイディマリー様に血を吸われたお蔭で生き直すことができたんだ!どこまでも忠誠を誓うのは当然じゃないか!」

「それはさっきから何度も聞いてるし、はっきり言ってどうでもいいのよそんなのは!吸血鬼のあんたがどうして人間の金持ちジジィの下で働けたのか、とか、メルセデス夫人とハイディマリー様とやらの繋がりとか、この夜会の目的とか……、本当は全部知ってるんでしょ?!」

「俺はハイディマリー様のご指示に従ってるだけだ。ハイディマリー様の言葉はいつも正しい。あの方の思考や価値観にそぐわないもの、反発することが間違ってる。お前達の組織の存在がハイディマリー様は気に入らないらしい。だから俺もお前達が気に入らないしアードラを許さない」


 怒りで全身が震え、額に青筋が数本浮かぶ。

 暗器で目を潰すか喉に突っ込むか、転がして股間のブツを踏み潰してやりたい!

 でも、相手が相手だし手荒な真似は我慢、我慢、と、怒りを鎮めるべく大きく深呼吸しかけて――、止める。肩に、アードラの掌がかかったのだ。


「ラシャさぁ、尋問下手すぎ」

「だんまり決め込んでたあんたに言われたくないんだけど?!」

「見てらんないから代わって」

「はぁあああ?!?!」


 叫ぶ間に、アードラに押しのけられる。すかさず文句を言い募ろうとして、言葉を飲み込む。

 アードラは背中を向けているのでラシャからは表情が見えない。

 だが、顔を見なくとも彼が纏う空気が凍てついたものへ、がらっと変わっていた。

 アードラはバルコニーの床面に膝をつくファルケと同じく膝をつき、彼と向き合った。


「あのさぁ、ファルケ。あんた、救いようがない程頭悪くなったねぇ」

「なに……」

「うちの組織が気に入らない理由も僕を許さない理由も、あんた自身の考えなら別にいいよ??僕が今のあんたをバカだと思うのはさ、自分じゃなくて他人の意思によってしか考えられない、動けないところだね。何のために植物状態から復活した訳??バカじゃないの??」

「だ、誰が、バカだよ?!」

「え、今この場に居る中でバカがあんたの他にいるとでも??」

「なっ……、うぐわぁああっ!!」


 アードラがファルケに覆い被さった次の瞬間、ゴキィッ!!と嫌な音が響き渡った。

 苦悶の表情を浮かべたファルケから離れたアードラに、ラシャは思わず後ずさる。


「ちょ……、あんた、何して」

「んー、ちょっと肩の関節外しただけ??ねぇ、ファルケ、どうする??バカの一つ覚えみたく、って、まぁ、バカではあるけど……、ハイディマリー様がとか繰り返すんじゃなくて、ちゃんと知ってること教えてくれない??そしたら、これ以上あんたを傷つけるつもりはないんだけど??」

「…………」

「あっそう、じゃ、次はお粗末な羽根に穴でも空けてみようか」


 そうだった。アードラの冷酷さはスタンの比じゃない。

 情報得るために拷問まがいの手法を取るなんてザラ。場合によっては死に至るまで痛めつける時もある、らしい。

 話には聞いていたが――、実際目にすると苛烈なラシャですら目を覆いたくなった。拷問対象が対象だから余計にそう感じるのかもしれないが。


「あのさぁ、ぼさっと見てる暇あったら会場戻って皆の援護してきなよ??計画が順調に進んでたら、そろそろミアも戻るだろうし」

「でもっ!」

「ファルケが僕にとって家族同然の元親友だから気にしてんの??余計なお世話だね。人と人との絆なんて簡単に断ち切れる。カシャとあんたは血の繋がりがあるから違うかもしれないけど、所詮他人と他人なんてそんなもんだよ」


 違う、否、違わない。違わないけど!

 世の中の大多数はそうかもしれない。だけども!


 反論を言いあぐねている内にアードラは拳銃を構え、ファルケの右肩側の羽根に照準を定める。

 ダメだ。ファルケだけは、アードラの手で傷つけたり、ましてや殺してはならない。


「確かに、世の中そんなもんかもしれない……、しれないけど!しれないけどさ!!」

「は??なに、まだいたの……」

「例外ってもんもあるでしょーが!!少なくともうちの組織はその例外だと思うけど!思うんだけど!!っていうか、あんたが勝手に皆に対してそんなもんだって決めつけて、勝手に線引いてるだけじゃないっ!!アタシらと、教会襲撃した犯罪者やここで呻いている奴とを一緒くたにすんな!!失礼すぎ!!謝れ!!」

「はぁ??意味ふめ」

「謝れ!ノッポハゲ!謝れ!!」

「いや、僕ハゲじゃないし」

「将来ハゲそうな髪質だし!」

「…………」


 何が言いたいのか、だんだん分からなくなってきた。

 脈絡なさすぎなラシャの言葉の弾丸に、アードラも言い返す気が失せたらしい。

 ついでにファルケを撃つ気も失せたらしく、めんどくさそうにため息を吐き、拳銃を下ろした。


「あのさ、さりげなく悪口挟んでこないでよ」

「日頃の行いが悪いせいじゃない??」

「……あのね、」


 アードラが再びため息をつき、閉口した直後だった。

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